前回のブログで代表をしていた時のお話を始め、今回2回目です。 前回のお話は経営者の仕事は責任を取ることをテーマにしました。 その続きで経営者は責任を取るためにどのようなことをするかが今回のテーマです。
経営責任はすべて結果に対してのもので、当たり前のことですが好ましい結果が出なければ責任を取らざるを得ません。 かつて山一證券が倒産したときの社長の記者会見で号泣しながら『社員は悪くない』と社長が絶叫されていました。 その社長は会社が倒産することが見えてきたとき突然と社長に指名されたそうで、なんで私がと思われいたようです。 シャープや三洋電機のその後のルポルタージュを読むとよく似た話題が出ています。 最悪の結果が想定された時点で彼ら社長は会社の実態も知らされずいけにえにされたような印象をもちました。 自分が小さい会社ながらも代表をしていて背筋の凍る思いでした。
当社は私が代表就任後幸いにして業績が良くなり、売り上げがどんどん増えてゆきましたし損益も黒字化しましたが、就任時には債務超過に陥っていて金融機関からの負債も少なく(借り入れができなかった)、仮に倒産しても泣いて債権者に謝罪することは免れたと思います。
当時あるフランチャイズに加盟していましたが、本部仕入れの支払いは松七五三良く15日現金払いでした。 一方売上の大きな比重を占める介護保険関係の回収は月末締めの2か月半後でした。 つまり保険事業を行えば行うほど資金はショートしてきます。 資金残量は月末がボトム、月半ばの現金は1千万円ほど、月末の支払いは1200万円が想定され、支払い不能を覚悟しました。 もちろんその半年前から資金調達の準備を進め、銀行に借り入れの申し込みに行き、国金の借り換えなど検討しましたが、保証協会の転貸融資のみ可能ということで安心していました。 ところがいざ申請に行くと一部の不正経理が発覚し、融資がかないませんでした。
つてを頼りに知人や親戚まで金作に走りましたが誰も応じてくれません。 絶望し、自殺をして生命保険、損害保険の保険金で賄おうと決心しました。 資金ショートする月の下旬、今週の金曜日に車の事故で自分は死ぬと決めた月曜日、自分の父親が逝去しました。 自分の父親(晩年は仲が悪かったのですが)が死んで私は命が助かったと思いました。 結局相続財産から会社に貸し付けを行い事なきを得ましたが、その額300万円でした。 自分の命が300万円、何やら情けなく思いました。
上位仕入先2社のトップに面談したときたまたまこの話が出て、2人とも結ってくれれば支払いを猶予したのにとおっしゃっていただきました。 しかしその時追い詰められていた自分は気が回らなかったし、仮に気が付いても支払い条件は絶対と思っていましたから頼みに行けなかったかもしれません。
その後も業績は順調でのちに資金がショートすることはなくなりました。 自分にとっては経営者が責任を取るということをそのように考えていて、随分馬鹿な経営者だったと思いました。
経営責任を取る方法はいろいろある選択肢の中から決めることです。 結果が上手く行けばその経営者はサイコロを振って決めていても「すごい」ということになります。 結果の責任は称賛に代わります。 しかしサイコロを振って意思決定を続けていていつまでも勝ち続けられるものではありません。 経験からここ一番の意思決定の勝率は1から2割程度です。
勝った1~2割の成功は周囲の人から称賛の目で見られます。 しかし経営者は少なくとも私は失敗した8~9割の決定についていまだに夢に出てきます。 成功したことは忘れていることすらあります。 勝った喜びより負けた悔しさ、他人対する感謝より憎しみが忘れにくいものであることは心理学の実験などで話題になります。
しかしそれだけ低い勝率であっての意思決定を恐れたことがなかったのは自分の誇りです。