相談役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[生活]

老人の背後に迫る過去、老人は明日に向かって走り続ける

 少し長い、気負った感じのタイトルになりました。 タイトルの老人は私で、すでに63歳、老人のイメージは見た目に老けている事でしょうか。 私が生きてきた63年は十分長く、濃密な63年の過去を引きずっているという意味で老人としています。

 高齢者の話題は過去の出来事が殆どで、将来が語られることが少ないと思います。 映画で本人が輝いていた過去に浸って生きている老人が登場します。 その時期が軍人であれば軍服を着て日常を過ごしていたりです。

 老人になり、生きてきた分野を引退する時期が来て、次にやるべき事が準備されていなければ、準備されていたり探して見つけたりしたとしても情熱を注げるものでなければ過去は容赦なくその人を虜にします。

 過去は決まっていて変わりようがなく、将来は強い信念がなければ単なる暗闇です。 年老いて暗闇に 一歩を踏み出すよりか明るく輝いている過去にとどまる老人が殆どでしょう。

 老境に入り、謙虚に過去に捉われることなく将来に向き合えば30年先といった遠い将来は描きにくくとも近い将来は見えるものです。 近い将来に行うべきことを積み上げながらとても生きていられない遠い将来を見通し、語ることができる人もおられます。 70歳でゴルフを始めてハンディ10を目指すことはハードルが高くとも可能な夢でしょう。 しかし、シニア選手権のチャンピオンを目指すとしたら妄想かもしれません。

 老人に自らを思い知れと言うつもりはありませんが、夢は実現可能な具体的なものが夢で、70歳からゴルフを始めてシングルになった人は日々ゴルフのためだけの生活を送られたそうです。 日々の練習、体調管理、筋トレ、ストレッチ、そしてラウンド、もちろんゴルフの試合は見逃すことなく、ゴルフの本も読む生活です。 私はそこまでストイックな生活を望みませんが、少なくとも過去の虜にならないように夢を追い求めています。 

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[会社運営]

他人と過去は変えられない

 タイトルは有名なことわざ、私が初めて知ったのは人から言われた時です。 その人は私を比較的まともな独善経営者と評価していたので、私が他人を変えようとしている事を諫めて言ったのかもしれません。 その時のことは覚えていませんが、よほど私の態度が酷かったのでしょう。

 そのような態度をとり続けた結果、ずいぶんあちこちで頭を打ち、嫌われたり非難されながらそれでも運が味方して経営者としてある程度成功しました。

 経営者は中小零細企業でもマネジメントとリーダーシップの両方を発揮しなければなりません。 どちらも相手の在ってのこと、考えを最低限あわさなければ相手=組織のメンバーは組織として機能を果たしません。

 平たく言えば尖がっていた私の考え・行動に共感したのか自分がやらなければという責任感からか判りませんが少数の人が最善を尽くし、組織を動かし、経営は一定の成果を上げたというのが私の評価です。 しかし尖がっていた私はその事すら自分のリーダーシップと誤解し、己惚れていた時期がありました。

 全くお目出度い話です。 しかし面白いことに最善を尽くした少数の人たちはそれぞれの考えと私の指示を擦り合わせ、私の戦略に従ってくれ、戦略的な成功を収めたのです。

 自分は戦略を考えることに長けていて、それを執行する方法において上手くなかったのでしょう。 自分の戦略が正しいという強い信念が強引な行動につながったのかもしれません。

 『他人と過去は変えられない』は 自分の外に向かっての言葉、他方自分自身に向けた言葉として『人のふり見て我がふり直せ』くらいしか思い浮かびません。 本当はもっと多くの言葉があるのでしょうが、ドラッカーが自分のことは解らない、せいぜい弱点くらいが解るだけであると言っています。

 ドラッカーは弱点をただすのではなく、強みで勝負しろと言っていますがそもそも自分のことが解りにくいのであれば強みで勝負できません。

 さらにリーダーシップを発揮する役割においては結果責任を負う立場ですから必死です。 ある人はリーダーシップの対象となる人に考えを強制したり、お願いしたり、同情をかおうとしたり、説得したり方法は様々です。

 ドラッカーの言う強み・弱み が説得や高圧的な態度を話題にしているのではないと思います。 それはあくまで表現スタイルで表現すべき考えを強み・弱みの対象にしているように思います。 そのように考えればリーダーシップやそれを発揮しなければいけない経営者の役割はその考えに集約されるかもしれません。 リーダシップと対になるフォワーシップも信頼関係でなっており、『信頼とは善良な動機から始まる』という言葉があります。 善良な考え、動機、それに伴うリーダーの行動は一見誤解を招いていたとしても強い信念に基づいていればいずれは通じるもの、通じさせる方法ばかり議論されるの浅はかな気がします。

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[生活]

闘病生活

 タイトルは話題に比べおおげさです。 私は最近風邪をひきました。 検査をしていないのでインフルエンザかそれともよく罹る百日咳かどうかわかりません。 60歳を超えてからこの手の風邪をひくと1カ月くらいは咳が止まらず、睡眠も浅くさんざんな日を送ることになります。

 喫煙の習慣が災いしているのかそれとも百日咳というくらいだから仕方がないのか判りませんが、とにかく苦しい日々を送ります。 これが年単位であればどれだけ辛いだろうかと想像しました。 かつて介護を必要とする寝たきりの高齢者を訪問してその老人が見えるものはベランダ越しの空、今日は雨、今日は風が強いを毎日見ていますと言われたのを思い出しました。

 ベランダの軒先に風鈴が吊ってあって風が吹けばわかるのです。 高齢者で寝たきりになると寝ているだけで他にすることはなく、変化がなく、じっとしている日々が続くのです。

 高齢者で寝たきりの人の何割かは健康だったころに健康維持のために気を付けなかった人たちだろうと想像します。 残りの何割かは予防や対策の難しい疾患を患っています。 寝たきりになってから介護を受けるより寝たきりにならない、出来れば介護を受けない健康年齢をできるだけ長くしたい、個人も行政も高齢者介護にかかわる事業者もそう考えねばならないと考えます。

 風邪で 2日寝込んだだけでこのように思うのですが、体験しないと実感しないものです。 介護保険が始まったころ、高齢者は介護認定を受けるのが流行ったかのような時期があり、要介護の判定を受け、それが当然であるかの介護を必要としない老人をたくさん見ました。 その人たちが考えを変えて日々散歩をするなど軽い運動を繰り返せば何もギャッジベッドに寝る必要はありません。 何の疾患もなく出歩けば転倒して骨折するかもしれないと出歩かなくなって約15年、そのお客様の消息は分かりませんが、そのまま寝ている時間の長い生活を送っていれば生きておられれば散歩に行けない状態であることは容易に想像がつきます。

 健康寿命を延ばし、病気にならない生活習慣をもっと意識して日々の生活を送るべきと思います。 

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[社員教育]

仕事が早い

日本経済新聞に『仕事ができる人の仕事のやり方』についてhow to 本の広告が出ていました。

ポイントは仕事が入ったらすぐに取り掛かること、でした。 営業であれば依頼が来れば1%でよいから直ちに着手するというものです。

そのこと自体は全くその通りと思います。 私の場合、やりたいことをメモ用紙に書きだし、優先順位をつけて実行してゆきます。 書き出すときは作業の難易度、量、組み合わせなど無視して書き出します。 そして一番最初に取り掛かることを決めてすぐに取り掛かります。 10日予定表を作り、10日の予定も組みます。 こちらは習慣にしていることを項目として列記し、実行したものにチェックしてゆきます。 毎朝メモ用紙に項目を書くのは予測していなかった作業をこなすこと、10日予定表の項目で出来ていないこと等です。

例えば10日予定では筋トレ項目がありますが、その日の体調により3項目やるとかです。 ある程度全力で項目をこなして疲れてしまうともう何もしません。 昼過ぎから家に戻ってぽやーとしていたりします。 朝5時から起きていることが多いですから3時にその日の活動を終えても10時間、もちろんその時間内に食事も摂りますが、8時間は活動しています。

紙に書いた項目は自分への約束、程度の差はあれ義務感が湧いてきます。 何年かこれをやっていると思わぬ成果、例えば腹筋の形が出てくるとか、を生みます。

書き出した項目には目的があります。 健康でいたいから筋トレをする、ダイエットをする、などですが達成すべき目標は決めていません。 例えばダイエットは何キロ痩せると書いていますが、毎10日予定に書いていて意味をなしていません。

明確で必要に迫られた項目の設定が望まれますが、自分を追い込まなくては必達目標はなかなか設定できません。

一つ威張れるとしたらここまでの方法を自分で考えたこと、何年も改善しながら実行していることでしょうか。

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[人間関係]

憎しみ

腹が立って仕方がないことがあります。 その人が極めつけの身勝手で、知る人ぞ知る嫌われ者で人間関係が避けられない場合があります。 例えば身勝手な身内とかです。

昔なら村八分、最近ならネグレクトなどの問題になりかねません。 身勝手の程度によりますが、善悪の問題であるなら付き合わない選択もあります。

私はこのような例では付き合わないようにします。 最初は断るべきは断り、関係における不満はなるべく丁重に述べます。 それが続けば面談を断ります。

会って話をするぐらいどうという事は無いのですが、やはり不愉快です。 不愉快が重なれば、そして自分の時間を奪われ、金銭的な損失が重なれば全く無視することになります。 たいていはそれで関係が切れます。 それが親子など濃い関係ではうまく行かない事があるかも知れません。

一番厄介なのは相手が善意に満ちていて善悪的に問題がなく、極論すれば価値観のかなりの部分も寄り添えるにもかかわらず話をしたくない人がいることです。 例えば上司と部下、取引先、同僚などです。 できるだけ避けたいと思っても面談の必要性は高い場合があります。 事実はそんなに頻度は高くなくても合わない人と思えば一時間の面談が一日の苦労にも感じます。

ここの気遣いをうまくやらなければ善悪・損得の問題ではないので憎しみが募ることになります。 これは不幸な事、相手が悪い、でも自分が悪いと腹をくくる場合でも心の重荷になってしまいます。

たまにそのような人と瞬間的に意気投合して人間関係が改善することがあります。 多くの人も経験があるでしょう。 初めに合わないと思った先入観がついて回って、それがふと消えたとき別に嫌でも何でもない人間関係が成り立つ時です。 先入観はのちの情報でどんどん評価を変えられる心の柔軟さが大切なのでしょう。

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[会社運営]

合議制

会社運営では課題があり、課題解決の意志決定を行うことがたびたびあります。 会議で合意に達することの難しさを痛感しています。 どうも私は自分ですべて決めていたようで、批判を受けました。

そこで取締役会の合議により決議を図るべく意見を求め、議論しようとしますがなかなか合議に達しません。 個人的には課題が難しいとは思えず、一人で決めることができるなら3分で決められます。

合議を目指したのは3分で決めた結果が最善であっても私が3分で決めたことに対して不満が残ります。 以前は結果が見えてきて課題解決につながったとき皆が『よい決断であった』と納得します。 しかし課題が具体的でないとき、例えば人間関係のすり合わせがうまくいかない場合に現場に介入し、関係修復を手掛けたようなとき、人間関係という微妙な問題の解決の糸口が私の介入にあったと確信が生まれなければ副作用だけが話題になります。

この場合はそもそも会議で合議するような課題ではないので議題になりにくいのですが、課題が存在したことは事実です。 解決したことも事実、副作用として新たな問題が生じたこともまた事実です。 たいていの行為行動には最善であってもマイナスの影響は残ります。

一人ですべて決められるなら決断は早く、結果の責任もすべて自分、シンプルで解り易いし納得も行きます。 それが合議となると時間がかかり、場合によっては結論の出ないようなことになります。 合議に達しにくい理由はそのプロセスにあるように思われます。 課題解決の目標は異論がありませんがどのような方法で達成するかはスタイルの問題で好みが出ます。

そこで思い切って役割を決めてしまい、事後報告にすれば早く、ほとんど問題なく課題が解決されます。 そもそもその程度の課題であったと思われます。 つまりもっと重要な問題を課題として合議を図ることが望まれます。

この方法にも問題があり、幹部もそれぞれ自分の責任範囲を持っており、目先の課題にとらわれます。 役割を決めるということは権限委譲が大きくなっているからで、権限範囲の責任が各管理職にのしかかってくるから当然です。 重要方針を明確にしておけば個別の問題は解決の糸口がつかみやすいのですが、重要方針のような話題に対して日頃の訓練ができていないので皆が話題について行けません。

仕方がなく会社の代表がさんざん考えて方針素案を提案して、誰一人反対することなく、審議もされず決定されます。 会社といえど個人の考えが色濃く表れる瞬間です。

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[人間関係]

人間関係

 社会生活を営む上で人間関係の問題は避けて通れません。 私も人並みに人間関係で悩み苦しむことが多くあります。

 たまたま先日ある本を読んでいて人間関係の要となる言葉に出会いました。 『信頼とは善良な動機から始まる』というものです。 誰の言葉かひかえていないので判りませんが、この言葉に出会った時生るほどと思いました。 もちろん人間関係の問題のすべてが信頼感に根ざしているわけではありません。

 人間関係は大きくは善悪の問題と好悪の問題(価値観の違いと言えるでしょうか?)に大別しています。 仕事での人間関係に限定すれば殆ど善悪の問題として対処が必要でしょう。 人事考課や仕入れ先の選定を好き嫌いでされたらたまりませんし、 例示した言葉通り信頼感は築けません。

 しかし解っていても好き嫌いはありますし、 結果に反映しているでしょう。 ある仕入れ先は担当者が来たとき『この担当者なら取引してもよい』とひらめき、現在主要取引先になっています。 その時の担当者は出世し、やがては当社の担当を外れることになるでしょう。 私が今後も仕入れ先の決定権を持つなら後任の担当者が気に入らなければ仕入れは大幅に縮小されることになります。 その仕入先との取引により、当社は大きく展開することができました。 別の仕入先で同じ結果になったかわかりませんし、担当者が別の方であれば全く取引することはなかったかもしれません。 つまりお互い気に入ったおかげで相互の利益を作り上げることができたわけです。

 同じような話は大企業の社長の話にも出てきて、そんな神がかりな人間関係が世の中にあるものだといつも不思議に思います。

 社員の採用でもそのようなひらめきを感じる人がいて、入社が叶うように話しかけ、入社後活躍されている方もいます。 活躍したのは本人の努力の賜物なのですが、私はことあるごとに話を聞いたり話したり励ましたりします。 これを依怙贔屓と言えばそうなのでしょうが、こちらがそう思わない人に同じことをしたら疎ましく思われるだけです。

 私はひいきにしている人の仕事がうまくゆくように心から思って話を聞いたり話したりします。 つまり最初に紹介した『善良な動機』 に基づいて対応し、お互いに信頼感が生まれます。

 では絶対的な『善良 』はあるのでしょうか? 前出の例では依怙贔屓されているから本人が頑張っただけではないか、それのどこが善良なのか? 人事考課でその人に甘く評価したわけではなく、本人は人並み以上に努力し成果を生んだ、それのどこがいけないのか、そもそも人は相性があり、私の時間や心に制限ある中ですべての人に平等に対処などできるわけがなく、私が励ましても成果を生まない人に励ましの言葉をかけて本人が疎ましく思い、腐ってしまうなら言わない方がよいに決まっているではないか、と言い合いになります。

 正しいことや善良なことに絶対性を求めても意味が無いように思えてなりません。  結果的に会社に貢献できることを私の心の善良性から行っている、別に自分に都合の良いシンパシィを得ようとしているような善良でない意思は持っていません。 

 何を行っても反感はあり、反感を抱いた人たちにも毛嫌いするわけでもなく誠実に対処してエゴイスティックな指針がないことを示し続けなければ信頼は生まれません。 単純に私の行為に反感を持つ人は日々のあいさつの仕方でも感じようがにじみ出てきますが、こちらからは感情で返すことはしないようにしています。

 何か自分の考えを表すことはここまで気を使わないといけないならそもそも気に入った職員に声などかけなければよいのですが、それもこれも人間であるから出てくる話で、避けて通れないのでしょう。 

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[価値観]

意志を示す

日米交渉でアメリカの代表が『show the flag』と日本側に詰め寄った話を記憶しています。 何の話題で誰が言ったのか覚えていませんが強いインパクトを受けました。

日本語で言えば『旗色をはっきりせい』というところでしょうか。

会社は組織に関わる決定を日々行います。 重要事項は稀ですが、細かな決定は多くあり、各管理職段階で付与された権限に基づいて多くの決定がなされます。 決定に沿って業務=作業が進むわけですから作業の数だけ決定が行われているということでしょうか?

決定自体の品質もさることながらタイムリーにというか速やかに行われるかは大きな問題です。 上位の管理職ほどその割合が多く、現場に近い人ほど決定の重みは減って作業の重みが増します。

決定にとって必要なのは方針・考え方・事例などの情報でしょう。 上位の管理者は不確実な=前例がなく予測が困難な決定を多く迫られます。 経営者は企業規模の大小にかかわらず予測が困難で影響が大きい選択が迫られます。

結果の責任はすべて経営者にのしかかり(責任を取るかどうかは別として)、決定そのものが最善であったとしても執行者がうまく行えない場合も多くあり、それでも責任を取らねばならないので臍を噛む思いは多くあります。

減点主義の組織では大きな失敗は失脚を意味します。 民間企業はどちらかと言えば得失点で評価されます。

何をもって決定が誤っていたかという評価では見方が分かれます。 ある営業マンはこのような戦略で自分の得意先を攻略したいという意思を社内外に明示して、社内的にもその意志が認められていれば結果が評価になります。

バントのサインが出ていたけれどフルスイングしたらホームランになり、その打者は監督から叱られるという場合です。 この例では監督の意志である指示が出ているわけですからそれが評価の基準、監督から指示がなければバッターは明確な意思を持たなければ出塁がかないません。 臨機応変、決め込むとチャンスを逃すなどいろいろな話題が出ますが、ここ一番でヒットを打ったバッターは例えばレフトに長打を打つことを狙っていたなどと明確な意志をもってバッターボックスに立ったと証言している場合が多いと思います。

結果センターにヒットになればそれでもよく、何も考えずバットを振ったらセンターに飛んだでは確率は低いと思います。

私は野球ではなくテニスをよく見ますが、あるトッププレーヤーが『この位置にトスを上げ、ドライブ回転をかけたサーブをセンターにうち、ネットにダッシュしたら想定した位置に返球されたのでボレーで決めた』という証言を聞いたとき、そこまでイメージしてプレーしていることに感心しました。

経営判断は秒単位の切迫感がないので、こうしてああすればとストーリーも描けますし、どこまで意志を外部に示すか時間もあります。 決定に関わることはこのように明確な意志を持つべきだろうと思います。

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[社会]

新しい考え、古い考え

新規事業を検討し、既存事業の改善を行う担当者が同様のことを行う人が参加する会議のことを話してくれました。

当社の担当はいつも斬新な発想を展開する人ですが、その会議では20代前半の人に考えが古い、古き良き時代の考え方と言われることが多いそうです。

私にも若い時代があって同様のことを言ったり言われたり、という記憶があります。 今ではそのような若い人と話す機会がなく、いわれることもありません。

一つ思い出したことで、私が55歳の時、新規事業を立ち上げたり、若くして経営者になる人たち向けの1年間の研修会に参加したときのことです。 平均年齢は30歳程度、私ともう一人が50歳代中盤で明らかに高齢者です。 私は年齢を意識すことなくセミナーでは最前列に座り、講師に質問を繰り返しました。 途中から若いメンバーも質問に参加しだしましたが私にとってつまらない質問ばかり、一方講師はコンサルタントを業とする人で、本を読んでいるだけでなく実際に企業の指導をしている人たちです。

マーケット理論の解説をした講師にその理論は最新か?、古典落語でも同じスキルを利用して設ける話を聞いたことがあるが?と聞きました。 講師は「そうですか」と答えただけでした。 誤解を恐れずマーケット理論を販売スキルと言い換えれば今までない全く新しいスキルはほぼないと思っています。 古典落語の時代と現代で経済規模や事業体の組織構造、法的規制などは明らかに違いますが人間が考えることは同じと思います。 どのようにスキルを使うかによってその効果が威力を発揮するかどうか分かれてくると思います。

例えば私が子供のころに全国的によく売れた『おまけつきグリコ』、キャラメル販売にちっょとしたおまけをつけることで幼児顧客のリピート率を上げたものですが、同様の販売手法は自動車の販売(今ならカーナビがついてくるとか)でも見かけることがあります。 江戸時代でも同様の販売スキルがあったと思います。

考え方やスキルはカタカナで解説されれば新鮮な印象を持ちますがそれだけのこと、それらスキルをどの分野でどのように展開したかは多様性があると思います。 考え方や何かの方法が新しいのではなく、その業界でその方法が効果的であることを見出した人がいくばくかの新規性の発見と多大な利益を稼いだに過ぎないと思います。

世の中にはマーケット理論の本があふれていますが、古典落語を聞くだけでも多くの理論が学べると思います。

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出来る方法を考える

子供のころ戦国武将である信長、秀吉、家康の性格をたとえて『鳴かずんば・・・』という言葉が印象に残りました。 何か自分の力が及ばず、解決できないことがあればお膳をひっくり返す、本日米大統領に就任するトランプ大統領のように。 現実の世界では取り返しのつかないことになる場合が多々あるでしょう。

秀吉のたとえの『鳴かせてみよう、ホトトギス』はタイトルの『できる方法を考える』に通じると思います。 社内でこれを言い出した社外取締役はこの言葉で多くの職員の背中を押しました。

現実の会社経営などで交渉がうまくゆかず、いたずらに時間が過ぎるし話がかみ合わない場合があります。 ほとんどはあきらめざるを得ません。 その交渉でお膳をひっくり返せばおそらく二度とその取引先が交渉のテーブルに着くことはないでしょうし、あえてその会社と再交渉しなくても交渉先は世の中にいくらでもあります。

時期を待つ方法はマーケットの環境変化が速い中でチャンスを逃がしてしまう恐れがあります。 経済膨張器であればチャンスが巡るでしょうが停滞期ではよい条件のチャンスが巡ってくる確率は大変低くなります。

そこでたいていの場合は何とかすることになります。 『できる方法を考える』の意味はもっと可能性を考えてみればどうかととらえています。 人によっては闇雲に行動を促す言葉と感じるかもしれません。 うまくいく方法が見つからない、予測が立たない、などリスクのある決断を闇雲にして大勝する人や企業もありますが、事業は大勝することが最善ではなく、生き残ることが最善と考えていますけれど何も考えずに耐え忍びながらチャンスを待つのは流儀ではありません。 あれやこれやとシュミレーションしながら可能性を図る、チャンスと思えば果敢に行動するのが流儀です。

結論としてそんなにうまくはいきません。 1勝5敗程度でしょうか? 経営者として情けないと思います。 でも生き残り、できる方法を考えてくれる職員が増えました。 5敗は授業料、当社ほどの企業規模でも5敗の重みは大変大きいものです。

ドラッカーが事業において百発百中は曲芸であると言っています。 少し気が楽になるたとえです。 反省すべきは外れた5発の損失が大きすぎたことです。

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