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幸福学

幸福学という学問があるそうです。 人が幸せを感じる要素は何か?などと研究するそうです。

たまたま読んだ本に『人は他人との比較で幸福と感じる傾向をもっている。』と書いてありました。 ゴルフの友人がヨーロッパ車に乗っていて、自分は同じメーカーの上級車オーナーになり、たまたまゴルフ場でその友人と出くわした時を想像してください。

相手は明らかに気が悪いでしょう。 そして上級車のオーナーは優越感に浸る事が出来ます。 この優越感を幸福ととらえるのが妥当か疑問を感じます。

先程の言葉には続きがあり、『放っておくと不幸はなくならない、人との比較による幸せは長続きしない幸せであることが知られている。』と綴られています。

話は変わりますが、落語家の故枝雀さんの創作落語で『茶漬えんま』があります。 その中で地獄が楽しい世界と描かれています。 登場人物はお釈迦様と凡人、凡人が「お釈迦さん、地獄は楽しそうですね』と言うとお釈迦さんは『毎日楽しいことを考え続けなければならない、昨日よりも楽しことを・・・』と続きます。 お釈迦さんは毎日楽しいことを考え続けることの大変さを達観しているのですが、凡人は大変でも楽しい方が良いと安易に考えます。 他人との比較で幸福を感じるというのはこの落語に描かれる地獄だと思いました。

毎日お酒を飲み歩き、時間があればゴルフに行き、海外旅行に行く、身に着けるものは高額品、すべて比較にによる幸福であるように見え、際限が見えません。

私はほどほどの生き方を追求しているのではありません。 むしろ毎日お酒を飲み歩く事が出来る人はそれだけの金銭の余裕があるわけですから何らかの成功者、成功したがゆえに出来る幸福を追求されています。

一方私は好きなことを追求しています。 子供のころアメリカのホームドラマでスキンダイビングの世界が映し出されていつか自分もと思い、資格を取りましたが実はやってみてあまり面白いとは思いませんでした。

もちろん道具を買いそろえれば高額の費用が掛かりますから余裕がなければできません。 小説を読むのが好きで、気が向くと小説を読むだけで何日も過ごすことがあります。 オートバイが好きですが、オートバイのツーリングが好きだという事が乗り出してずいぶん時間がたってから気が付き、乗るバイクの種類にこだわりがないことに気がつきました。

先程のヨーロッパ車を買う人は高級車というステータスを買ったのか、少なくとも私の知る人は車そのものにあまり関心がなく、幾らという事に関心があるようです。

私のオートバイのツーリングや小説にはまるのはずいぶん長く続いていて、行きたいと思っていたところにツーリングに行けたり、今まで知らなかった作家の作品が大変面白いと発見したときは大変うれしく、喜びは色あせることはありません。

この喜びが幸せの体験なのかわかりませんが、喜び地震に理屈はありません。

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