関西の景況は新聞に毎日のように書かれていますが、介護業界は無風状態です。 勿論業界内で取り合いの厳しい戦いがありますが、マーケットは拡大しており、それ以上に参入があります。
当社のホームページで職員の募集をしており、たまに応募してこられます。 昨日も一人応募してこられましたが、本日の面接を約束し、予定時間に表れません。
連絡すらなく、予定をキャンセルする気が知れません。 というのは、ハローワークに募集を出すと、ハローワークのホームページにアップされると同時に電話がひっきりなしに架かってきます。
今までになく優秀な人が応募してこられ、すぐに採用が決まります。 真剣な人は時間前に必ず指定場所に来られます。 すっぽかすような人は面接しても採用に至らないと思います。 私が一時面接をしますが、既に何百人と面接しているので、どのような人かある程度見抜けるようになりました。 すっぽかされたときは面接の時間が節約できたと思うようにしています。
当社は経験・学歴不問で面接しますが、すっぽかした人はどこかで採用されるのか心配になります。 当社でおそらく採用にならない人がよそで採用になるはずが無いと思います。 なぜなら人材紹介会社の営業の方と話していると当社の採用方針は珍しいとのことです。
だからハードルが低いとは思っていません。 経験・学歴不問である以上人間性は厳しく見て判断するからです。
亡くなられましたが、落語家の桂枝雀さんの『茶づけ閻魔』という落語が好きで、何度もCDで聞きました。 古典落語ではありませんが、松本さんという主人公が死んで天国に行くという粗筋です。
松本さんが閻魔さんの家でやり取りする場面から始まります。
松本さんは死んで天国に行くか地獄に行くか不安で、閻魔さんに色々質問し、天国にいけるように頼みますが、閻魔さんは天国は退屈だと諭し、さらにどちらにいくかは生前の本人の行い次第で、閻魔の権限で左右できないと告げます。 だから閻魔の庁に行き、自分が以下に真面目に生きてきたかを申告するのだそうです。
松本さんは「みんな天国に行きたいですよね・・・」だから真面目に生きてきたと嘘の申告をすれば天国に行けるのかと想像します。
そのやり取りの中で閻魔さんが「人間は正直や、いざ申告という時に『地獄』と申告しよる」という下りがあります。
当社が事業を営む介護の業界は、『高齢者の生活を支え、守る、やりがいは有るけど高収入ではない』 業界で、この落語で言えば天国かもしれません。
そのように思えば平気で面接予約をすっぽかす応募者は『地獄』行きの人でしょう。
落語で紹介される天国は退屈で平穏な世界、一方地獄では針山がゴルフ場に開発され、釜茹では温泉になり、血の池はジェットライナーで遊覧できる観光地になっています。
しかし作者は地獄の生活に釘をさしています。 地獄は毎日楽しく生きなければならないという責めを負わされ、毎日毎日新しい楽しみを開発していく設定になっており、それが如何に大変かを匂わせます。
この落語の作者は地獄を時代背景のバブル期に例えているように思えます。 バブルは発展し続けないと弾けてしまいます。
一方の退屈な天国にも控えめな楽しみ、笑いが込められています。 天国の住民として釈迦、キリスト、孔子、孟子、親鸞、日蓮などが出てきて、退屈な中に人間的にやり取りがあり、笑いを誘います。
主人公の松本さんが天国から血の池に落ち、釈迦がキリストとともに助ける場面では、釈迦がキリストに関西弁で「えらいこっちゃ、松本が血の池に落ちよった、キリストはん、助けて」といい、キリストがオリベ山から昇天する時に使った2000年前の縄梯子を使って釈迦と共に主人公を救出に向かうと、梯子が切れて血の池にはまり、ジェットライナーの操縦をしている赤鬼、青鬼に助けられたうえに説教されます。
「お釈迦はんにキリストはん、こんなところを人に見つかったらどないしますねん、どんならんこっちゃ」、「赤鬼はん、人にいわんといとくなはれ、すんまへんなー」と謝ります。
世の中の会社がこの落語の天国と地獄に色分けできませんが、自分の居場所はしっかり見極めるべきという含蓄を感じました。
尚、このCDは娘が通っていたキリスト教系の高校図書館に収蔵されており、これほどキリストをパロディ化したものをそのような学校が所蔵していることに思わず笑ってしまいました。