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価値観

[価値観]

北方謙三著の『水滸伝』(集英社文庫全19巻)を読んでいます。 現在12巻にかかり、2回目です。 続編として『楊令伝』もあります。
もともと北方ファンで、全作を平均1.5回は読んでいますが、『水滸伝』は読み物として面白く、北方作品に一貫したテーマが顕著な作品と思います。
巻末の作家の解説もほとんど絶賛、解説は解説で、絶賛してどうするのと思うほど褒めちぎっています。
水滸伝のリメイクでここまで書き上げるのは作品の出来、不出来にかかわらず偉業といえるのでしょう。

北方氏が一貫してテーマにするのは、私は『ダンディズム』に尽きると思います。 カタカナが悪ければ『男らしさ』が嵌ります。
『男らしさ』とは何か、強さ、優しさ、くよくよしない、意志、頑固などいろいろあるでしょうが、死に向かう儚さ、という点で登場人物は死んでいきます。 『水滸伝』は長編であるため、登場人物の死者の数は多く、それぞれの死に様に『男らしさ』を表現していると思います。

戦争をテーマとした作品であるため死者の多いのは当然として、自らの志のために死す者、他人の犠牲で死ぬ人、死に様の蓄積がストーリーの展開を生んでいると思います。
われに振り返り、志のために死ぬるような『男らしさ』を貫いているか、というと恥ずかしくなります。 戦争物語だから死ぬのは当たり前、だったら命がけという言葉はうそになります。 水滸伝では登場人物が死に様を見せる前に生き様を見せていて、生き様の中にも『男らしさ』を貫いています。

NHKの大河ドラマで直江兼続を主人公にしていますが、私がある作家の作品で抱いたイメージは戦闘的で『男らしさ』を持つ武人でした。 だからイメージと異なるドラマになっています。
黒澤明監督の『七人の侍』の主人公は『男らしさ』を体現するキャスティングだったと思います。
ジョン ウー監督の三国志に出てくる豪傑と呼ばれた登場人物のキャスティングはやはりイメージと異なりました。
裏返せば北方作品や黒澤作品の『男らしさ』は現実社会では受け入れられない、もしくは古きよき男文化なのでしょうか?

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