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ボーダーレス

私はすでに64歳ですが、二十歳代のころ何をするにも多くの規制や規範がある一方で高度経済成長が続いていました。 為替も固定で1ドル360円、1971年スミソニアン協定でドルの切下げにより308円/ドル、1985年プラザ合意により変動相場制に移行した円は200円/ドルとなりました。

1971年で私は18歳ですから国際的な金融改革とともに生きてきたことになります。

現在企業の決算発表で為替の影響は必ず解説されています。 金融のボーダーレス化とともに輸出入の増加、冷戦の終結へとボーダーレスは進展してゆきます。

スミソニアン協定の1971年から30年、国内でもボーダーレス化は進みました。 個人的に実感できたのは家制度の変化です。 私が子供のころは家長である父親が絶対で、結婚相手、就職先、住まいなど重要事項は家長の承認がなければなりません。 そもそも前節したように金融・経済・国際関係が急激に変化していく中、東映の映画の時代劇のような家長制は機能しなくなっていて、都市部では崩壊していたと言えるでしょう。 しかし私の生家は都市近郊にもかかわらず古き文化を温存していました。 私の家族との関係はこの家長制との戦いが大きかったです。

我が家は社会性が低く、私が経済的に独立しても父親などの温存の努力は続きました。 私が30歳を過ぎるころには何を言われても従う事がなくなっていましたが。

ボーダーレスは規制がない半面、自己責任がついて回ります。 古い価値観が残る組織でボーダーレス=個人主義を貫くと自己責任を厳しく追及されます。 組織と強調したなあなぁの責任体制から『勝手にするのだから責任はとれよね協力はしないから』というのが守旧派の対応で、会社でも入社したころはずいぶん苦しめられました。 いくら苦しめられても自分の考えを貫く生き易さを選んでスピンアウトし現在の会社で働くようになったわけです。

自分の考えを貫いて個人として生きていく上ではよかったのですが、会社という組織でボーダーレスが生きるマネジメントを行うには人事評価だけで解決できないものがあります。 社風や企業文化は新たなボーダーで、古きボーダーから変化するだけですが、進化と言えば進化です。 この厄介な企業文化については経営者も手を焼いているように思いました。 次回は当社のボーダーレスと新たなボーダーについて解説したいと思います。

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