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失言

 友人の一人に口うるさい人がいて、その人にとって不快なことを私が言うと批判します。 『そんなことを言うのは何時もそんな事を思っているかだ』と、思わなければ言葉にでない、誰でもいろいろなことを考え、思い浮かべてしまうものです。 何かの答を導き出すときに我々は頭の中にある情報を総当たりで組み合わせ、評価し言ってしまうものです。 学校教育でも考えるスキルという点で情報=予見を組合わせて答えを導く訓練がなされます。

組み合わせの中から最適解を導き出すのは価値観と情報の網羅によりほぼ決まります。 価値観は仕事であれば設定された目標そのものになります。 情報は集める過程でその人の本質的な価値観で決まります。 何に関心があるかで同じものを見ていても入ってくる情報は異なります。

情報を組合わせ設定された目標に合致しているか選別した解の中には特定の関係者にとって好ましくない解も含まれます。 仕事であれば皆が嫌がる作業を含んだ解で、誰かがそれをやらなければならない時などです。 他の解に比べそれが一番目標に沿っているなら皆が嫌がる作業は避けられません。 それを口に出して言えば組織の誰かがそれを担う事になり、担当する誰かが自動的に決まります。 その人は「また俺か」と嘆きます。

最適解をきめるのは仕事では組織長、誰かに負担を強いる解の決定をできない人は辛い作業を含まない迂遠な解をあえて出すときがあります。 組織メンバーの殆どが最適解に気づいていて誰かが会議でその解は迂遠であり最適解を提案する場合があります。 発言者が嫌な作業を自分がやるといえば治まりますが、特定の人に押し付ける発言をすればその人から恨まれるでしょう。

設定された目標に沿っているのでこの場合も感情を排除すれば妥当です。 解が違法であったり、他社の人権を侵す要素を含んでいれば発言した段階で許されなくなります。

会社でも政治の世界でも複雑系の話題でよくある話で、悪魔のささやきに傾くときがあります。 それを避ける方法考えていて思いついたのは利害を超越する事だと思いました。 自分の保身や決断できないという評価を甘んじて受ける覚悟があれば最適解にたどり着きやすいと考えました。

利害を超越する方法はお金や役職にこだわらず、質素に暮らすこととともに正しい目標を設定して最適解を考え抜くことに尽きると思います。 そしてそれは凡人にもできる行いです。

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