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自分の意見

北海道へのツーリングで海外の青年の出会い、話をしました。 場所は稚内のユースホステルで、私から声をかけました。

見るからにバイクのツーリストと思ったら自転車で来られた台湾人です。 日本語は全く話せず、片言の英語とスマホがコミュニュケーション手段、大学を7月に卒業し、警察への就職が決まって自転車を担いで空路千歳に来られたそうです。

なぜ警察官になったのかと聞くと、給料が良いから、しかし市民から嫌われているとのこと、はっきり言う人です。 そこに遠慮もなければ、空気を読むなどもありません。

日本の車、トヨタは素晴らしい、日本は清潔、安全、食事がおいしい、日本をほめます。 褒められたら悪い気はしないだろうということでしょうが、ほんとにはっきり褒めます。

私もお返しに台湾の自転車メーカーのジャイアントや故宮博物館の話をそれとなくしました。 果たして褒めているように伝わったか定かではありません。

大変勇敢で、行動力を感じる青年、何ら嫌味もなく好印象の人でした。 帰阪して北海道出身の懇意のバイク屋のご主人にこの話をすると日本人でもいくらでもいる、とのこと、彼の客はバイクを買って言葉の通じない国に何人も言っているそうです。

どうやらそういう行動力が衰えてきた自分から見て、若い行動力がまぶしく見えたのでしょう。 はっきりした意思表示はそのことを強調したのかもしれません。

帰宅してたまっている日本経済新聞、約一週間分は五cm程度の厚さになりますが、日付順に読んでいると『言葉のぼかし表現浸透』というタイトルが目につきました。 『微妙』は良し悪しが判断できぬとき、『わたし的には』自分の責任回避とサブタイトルがついています。

営業職の採用面接をしているとこのような新しい表現(言葉は昔からあったが使いまわしがかつての慣用とことなる)を多用する人がいます。 時に真意を問いただし、ある時は『わたし的には』と言いつつも自らの意見でないことを言い、つまりは評論ですが、だったら何が君の意見なのか?に行きつかず、イライラが募ります。

利害関係のない人間がどのような考えを持とうが構わないし、干渉する気もないのですが、採用面接で自分の考えを主張しないで第三者はこんな意見も言っているというのは何ら生産的ではありません。

明確に自らの意見を述べることは意見に対する責任もついて回ります。 しかし責任ある意見を全く持てない、もしくは披歴する気がなければそもそも組織になじめるのか、自分の意見がない方が組織に馴染み易いと考えからこそ無色透明の意見のようなものを言うのでしょうが、少し勘違いのように思います。

もちろん組織で自分の意見に固執すれば生きにくくなりますが、自分の意見をもっているからこそ他人の意見はその対比として理解しやすく、その繰り返しが多様な価値観の中で正しい選択ができる、正しい大人になると思います。

台湾から来た自転車青年が帰国後、警察官としてうまく組織に馴染み、信頼されるようになる事を願います。

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