監査役BLOG

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プライベート

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大雪

 記録だらけの大雪、本日の我が家です。 屋根に積もった雪が隣接する空き地に流れ落ちかけています。 我が家は秋田でも雪の降らない地域です。 一般に秋田県や東北は多雪と思われがちですが、なぜか能代市の沿岸部は雪が避けて通り、雪雲は内陸の山のすそ野に雪を降らせます。

我が家のある区域は雪が降らないために雪捨て場があまりありません。 市のホームページを開くと数か所あり今回の大雪で捨てる順番待ちの時間が長いそうです。 どうしたものかと近所で聞くと家から2百メートルほど離れた空き地に捨ててもよいとのことでダンプ(一輪車のタイヤのないもの)で積んだ雪を引きずってゆきます。 昨日は30往復、今日は10往復ほど捨てました。

ダンプを押していると近所のおばあさんが通りすがりに声をかけてくれます。 方言がきつく何を言っているかわからないので笑顔を返すが「よく降りましたね」くらいを言います。 地元の人は関西弁でしゃべるとすべて内容が分かるそうですが話す言葉は秋田弁(津軽弁に近いともいわれていて秋田の人は秋田弁と思っていない)です。

空の青さ、日差しが雪に反射し晴れているととても明るくサングラスがないと辛いほどです。 夜にこんな晴れ間がたまにあります。 先日は18時ころその晴れ間に空を見ると人工衛星が見えました。

隣町の藤里町には町営スキー場があります。 400mのコース1本、リフト1本の狭いゲレンデですが本日は車5台がとまっていました。 貸し切り状態です。 2日前に有名な安比スキー場に滑りに行きましたが、リフト・ゴンドラ共に待ち時間がありません。 雪質もよくスキー天国です。

昨晩は竜巻注意報が出て緊張しましたが、竜巻の発生報告はありませんでした。 雷警報は毎日のように出て、突然光って大音響の雷鳴が響きます。

気温は冷え込むと天気予報で行っても最高気温0℃、最低気温-4℃程度、能代に関して強い風を除けば快適な居住地です。 秋田の人口が減少し続けるのは多分に産業が発達しなかったからでしょう。

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[プライベート]

秋田の生活

 私の秋田での生活は在籍している会社の仕事の在宅ワークということになっています。 今年の東北は記録的な大雪、近所の人はこんなのめったに無いよと慰めてくれます。 確かに秋田の能代以外の地域は積雪が多いです。 能代の積雪は少ないと何度も書いていますが、能代市は427㎢の面積で大阪市のほぼ二倍、そこに5万人が住んでいます。 面積が広く私の住む沿岸部は積雪は少ないものの山間部の能代市は多雪です。 天気予報で雲の動きを見ていていつも雪雲は能代沿岸部を避けるように移動します。 しかし熱い雪雲の通過する空は鉛色で昼間の散歩も薄暗い中を歩きます。 家にいることが多く、在宅ワークは捗るはずです。

しかし、私の場合じっとPCに一日向かうのは苦痛です。 朝は4~5時に起きて8時までPCに向かいます。 メールもその時に見ますが5時に返信を受けた人はびっくりするかもしれません。 8時ころから必要なら雪掻きをします。 重労働で汗だくになりますが苦痛ではありません。 その後またPCに向かいます。 何冊かのノートを用意して新聞やネットの記事の要約を書いてゆきます。 漫然と読むだけでは記憶できないので要約しながら書くことで記憶します。

晴れていれば10時ごろから近所にある『風の松原』という防風林の松林に散歩に出かけます。 トレール(踏み跡)があれば楽に歩けますが新雪のままであれば歩くことが大変です。 今日は立派なトレールがあり、1時間半で8000歩ほどを歩けました。 林の中には1周6㎞のコースがあり、今日は歩き切りました。

帰宅すると昼食を摂り、小説を読んだり掃除をした理の生活です。 気が向けば日経子版を読み、ノートに記事の要約をまとめます。 1日の仕事時間は6時間程度です。

夕食後、8時ごろに眠くなり、布団に入ります。 ここ数日気温が低く、電気毛布とストーブをつけて寝ましたが眠りは浅く、寒くても暖房器具を頼らず寝るほうが熟睡できます。 私の寝室は寝るだけの部屋で、8時ころは氷点下です。 石油ファンヒーターは温度計が付いていますが0℃以下の表示が出ないのでいつも0℃を表示しています。 服を脱いで布団にもぐるのは寒中水泳で水に入る気分です。 頭まで布団をかぶり震えていると温かくなってきます。 しばらくすると心地よい眠りに落ちます。 8時半に寝たなら4時に起きても7時間30分布団いたことになります。

秋田県人に平均睡眠時間は長いということを聞いたことがありますが、私は6時間くらいで目が覚め、布団から出るまでぐずぐずしているので以前より布団にいる時間は長くなったようです。

会社を辞めればメールも来なくなり、日経電子版を読む意味も半減します。 無雪期はオートバイで東北を走り回り白神哉八幡平のハイキング、積雪期はクロスカントリースキー、春山のクロスカントリースキー、3月~11月はテニスとゴルフ、天気が悪ければ図書館の小説を読む生活を計画しています。

我ながら気ままな生活とあきれています。

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[プライベート]

趣味と友人

 私はこの20年これといった友人を持たずに過ごしてきました。 仕事の責任の重圧から友人を持てなかったというのはかっこが良すぎるかもしれません。

かつてサラリーマンをしていた時には趣味が生活の中心で、趣味の友人は数多く大抵の人より多かったと思います。 サラリーマンを辞めると趣味もやめ、その時付き合っていた百人以上の知人・友人はほとんど関係が切れました。 そのことに残念な思いもなく、仕事がすべてになりました。

仕事が順調に回りだし、再び趣味を始めることになりました。 子供のころからやってみたいと思っていたこと初め、以前にやっていた趣味に戻ることはありませんでした。

新しく始めた趣味は陶芸、スキューバーダイビング、オートバイのツーリング、自転車ツーリングなどです。 代表を退いて気持ちに余裕が出来て60歳にしてゴルフもはじめました。 ゴルフは一人でできないのでゴルフを一緒にする人、オートバイのツーリング仲間もできました。

その中で一人友人と呼べる人が出来ました。 取引先の辰巳さんです。 知りあって数年が経ちますが60歳を過ぎても友人が出来ると思いました。 辰巳さんはいつもこのブログを見ていてただいています。

今日のブログは辰巳さんに向けたものです。

『あけましておめでとうございます。 本年も変わらずお付き合いください。』 ブログは不特定多数の人が訪問されますが、特定の人に向けたものがあってもそれはブログなので構わないと思います。

なぜ辰巳さんが友人かは自分でもわかりません。 私は新たな人間関係は自分の将来を共に築いてゆくものと考えます。 つまり自分の将来は自分一人で築かないものと思えるようになりました。 しかし以前は自分がすべてで将来は自分一人で築くものと考えていました。 自分が年齢とともに変わってゆくのが不思議で、自分の将来、例えば70歳の自分はイメージと違うものになってゆくと思います。 自分でも予期せぬ変化を感じた時にブログで紹介してゆきたいと思います。

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寒さ

 秋田に移住すると知人に言えば同じ問いが返ってきます。 なぜ秋田なのか?、寒いだろう? はじめの問いには秋田県出身か?に続きます。 実は秋田県には何の関係もなく、移住先の能代市が豊かな自然に囲まれているからというのが答えです。 大阪の守口市に生まれ育ち67歳までほぼ守口に住んでいてうんざりしたということもあります。 もともと定住するより放浪を好み、転勤や出張の多い仕事と思っていましたが40歳を過ぎるまで出張はありませんでした。 転勤もなく、転勤の可能性もありませんでした。 たまり溜まった放浪への願望が移住につながりました。 年齢から言って放浪がつらく、知らない土地に移住し、東北各県を旅行すれば放浪癖は満たされると考えました。

二つ目の寒いだろうという問いはその通り、大阪に比べれば平均気温は低く、冬は寒いです。 大阪は温暖で、温暖化が進むにつれて亜熱帯ではないかと思うほどです。 秋田も慣例であると覚悟し、防寒衣類を買いそろえました。 そして寒冷地用の肌着を着てフリースを着てポリエステルの綿入りのジャケットを着ると寒さはそれほど感じません。 今日のように日中の気温が氷点下でなければ家にいればストーブをつけなくても0~10℃程度の室温で厚着をしなくても過ごせます。 ストーブをつければポカポカして眠くなるので日中はあまりストーブをつけません。 朝の雪掻きも今まで厚着でしていましたが30分ほどすると汗をかいて肌着がビトビトになっています。 つまり薄着で作業すればよいということです。

大阪にいた時にある工場で春になって暖房を切るとすぐに冷房を入れると言っていた人がいました。 それほど寒暖差に敏感になっていると思います。

秋田の知人の家に行くと家の裏の山に縄文時代の遺跡があると言っていました。 縄文時代、秋田が今と同じ気候なら寒いはずですがわざわざ縄文人が寒いところに住んでいたのか不思議です。 当時秋田は温かかったのか、縄文人は寒さに強かったのかどちらかです。

現代人は逆に温度差に耐性が低すぎるのではないかと思います。 私が子供のころ住んでいた家は江戸時代に建てられた木造建築で、冬に家の中で氷が張っていました。 暖房器具は私が小さい頃は火鉢だけです。 家の中で勉強するときに吐く息が白くなっていたのを覚えています。

当時に比べ衣類は進化して防寒性能は格段に上がっています。 値段も手ごろです。 さらに家も窓は二重サッシでこちらも防寒性能は高く、私の寝室も一番寒い時に0℃くらいで、暖房器具なしで寝ることが可能です。

だから暖房しないで暮らせと言うつもりはなく、寒さになじめば秋田も暮らし良いところでしょうか。

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能代の憂鬱

 記録的な寒波で能代も積雪が東北らしくなりました。 空は鉛色、風は強く降った雪は舞い、雪煙で見通せないようになります。 最高気温も氷点下、ストーブのない部屋で温度計を見ると0℃付近です。 寝る時は気合を入れて服を脱ぎ、冷たい布団に身を沈めると体が震えだします。 頭も布団の中に入れます。 外に出していると夜中に起きた時に頭が冷たくなっています。しばらくすると布団の中にぬくもりが広がって安らかな眠りにつきます。

眠りはともかく吹雪の昼間は外に出られないので筋トレ、ストレッチ、新聞読み、記事の要約をノートに書くなど予定していますが気分がブルーの時に筋トレもストレッチも気が乗りません。 仕方なくアマゾンプライムビデオで映画を見ます。 景気づけになるような映画を探してみますがますます落ち込んだりします。

何とかポジティブになるためにもがき苦しんでいる東北の吹雪の日々です。

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能代にて

 12月18日に能代に帰りました。 直前まで気温も雪も平年並みだったのが冬型になり各地の降雪量が記録的な日に帰りました。 朝の便でフライトは問題なかったですが、昼過ぎの能代市は一時ホワイトアウトして車での走行が危険な状態になりました。 その後はたまに暖かい日があっても殆ど最低気温が氷点下で庭の雪も完全に解けません。

能代に到着した日、同級生の友人から電話がありびっくりしました。 その2週間ほど前に自宅で倒れていて8時間後に救急搬送され、面会謝絶で様子が分からなかったのですが話しぶりはしっかりしていて安心しました。 その3日後本人は医者に説明を受け、私に死を覚悟したメールが届きました。 本人は延命治療を断り自然死を望み、余命1~2週間の宣告受け入れたそうです。 メールを読んで返す言葉もなく涙があふれてきました。

それから2日たち本人の携帯にメールを送りましたが返事はなく、別の友人が奥さんに電話し延命治療を受けることにしたことをメールで伝えてきてくれました。 ほっとしましたが同い年の人の死に向き合う潔さは自分にできるのか、恐怖です。

能代ではいつも雲に覆われ、雪がちらつき寒い日が続く中重い話に心がふさぎます。 面会謝絶で大阪にいても見舞いに行けず、メールを送っても読めているのかわかりません。 返信のメールは読んでくれていると思います。

友人の回復を心よりお祈りします。

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帰阪

 コロナが収束して非常事態宣言が解除になり、秋田に写真のバイクで下道を通り1泊2日で帰りました。 約900㎞、初日は470㎞ほどの新潟県柏崎市、翌日は400㎞ほどの走行で秋田に無事走破しました。

秋田の生活は早朝のテニス朝練や家の仕事(冬に備え燃料のタンクイン、小修繕など)、バイクで紅葉の気になっていた林道めぐり、あっという間に半月が経過し10月25日からの週のうちに帰ることになりました。 25日は東北は晴れで26日は北陸から近畿が晴れの予報で25日出発しました。 今回もなるべく高速道路を使わず初日に距離を稼ぎ富山県魚津市のビジネスホテルを予約しました。 距離は570㎞で排気量2500ccのバイクの一日走行としては限界の距離です。 途中新潟市で渋滞を避けるため短区間高速に乗りましたがあとは一般道で夕方17時に到着しました。 12時間の走行時間で休憩は4回ほどです。

ビジネスホテルにつき荷物の整理をして着替えると疲れが出て起きていられませんでした。 ホテルに到着すると雨が降ってきて夜中十雨が降り続き心配しましたが翌日朝5時には雨か上がり、出発できました。 本日の予定は350㎞、距離は楽勝です。 石川県、福井県を通過して滋賀県に入ると快晴で気温も高く着ているものを脱いで湖西道路を快走しました。 京都に入ると暑く、渋滞していて帰ってきたと実感しました。 寝屋川の会社に向かう途中でガソリンが底をつき止まってしまいました。 セルを回すとエンジンがかかり100m先のガソリンスタンドで給油出来てほっとしました。 最後に燃費計算を誤り、ガス欠になったのは唯一のアクシデントでした。

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[プライベート]

秋田

 今日は雨模様で車で温泉に行くことにしました。 碇ヶ関という江戸時代の関所跡にある温泉で、入湯料が400円とお得な温泉です。 前回報告した玉川温泉は濁ったお湯でしたが碇ヶ関は透明の温泉です。 秋田の温泉はどこも湯温が低く長時間浸かっていられます。

温泉を出ると晴れてきたので日本一美しい紅葉との触れ込みの蔦沼に向かいました。 碇ヶ関からの経路は八甲田山山麓を巻くように走るルートですが標高が上がるにつれて気温が下がり、紅葉が進んでいました。 対向車の屋根やボンネットに雪が積もっていて雪が降っているのかと思っていたら降ってきました。 写真は引き返したパーキングの積雪です。

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[プライベート]

秋田を満喫

 昨日は雨上がりの合間を縫って秋田・青森を縫って走る林道をバイクで走りました。 紅葉の向こうに岩木山が見られます。

テニス仲間と話していて山菜取りが話題になりました。 連れて行ってほしいというと5月とのこと、残念ながらその頃は大阪にいる予定です。 ではキノコ狩りはというと食べられるキノコが分からないので行かないとのことでした。 バイクのツーリングの話をするとこの林道を紹介してくれました。 名前は『青秋林道』(セイシュウ林道)美しい響きです。

林道は車が離合できないほど狭く、落ち葉で蔽われガードレールはありません。谷側が深い場所が多く、山側には溝があり、こちらも脱輪すると大変です。 時速30㎞程度でそろそろと進みます。 その道を小型バスが下ってきたのでびっくり、多くの車はカーブミラーなどで対向車を発見すると道幅の広い所で待ってくれています。

終点は摩須岳987.7mへの登山道が伸びています。 ここは白神山地の中心に近いところで頂上からはブナの群落の紅葉が見られるが日本海の潮風が災いして反対側のほうが美しいと終点でお会いした男性登山者が教えてくれました。 私が住んでいる能代から東に30㎞の所にある鷹巣に住んでおられます。 聞けば同じ年齢、おそらく鷹巣で70年近く暮らしてこられたのでしょう。 何を言っておられるか方言が強くてわかりませんでした。

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秋田ナウ

昨日の八幡平の景色です。 八幡平と白神山地は30年前からあこがれていた山域です。 当時私は山の会3か所に加入して山にばかり行っていました。 夏はピークハントに沢登、冬は山スキー、春と秋は上達しなかったけれど岩登りに挑戦していました。 雪の山のスキーは一番惹かれ、積雪期は降雪の多い北陸に通いました。 いつかは東北・北海道の山と思いましたが当時は叶いませんでした。

秋田に来て東寺であれば憧れの山域が日帰りで楽しめます。 今は山スキーはやめていて白神や八幡平のブナの自然林に通っています。 昨日八幡平に紅葉を見に行くと降雪で通行止めで、まさか10月に降雪とは思わなかったのですが、ゲートを管理していた作業員に聞くと昨年より3日遅いとのこと、ゲート前の駐車場には他府県ナンバーの車が並んでいました。

秋田に来て地元の人はスキーをしない人が多いのに驚きます。 秋田は雪質の良いスキー場が多く、ウィークディに行くと安比のような有名スキー場も待ち時間なしでゴンドラに乗れます。 秋田の人に連れて行ってもらいましたが飽きもせずリフト・ゴンドラで一人で滑っていると皆さんは早々にレストハウスで休んでいます。 私はきっとあくせくしているのでしょう。 早くスキーシーズンにならないかと思っています。

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