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小さなこと

 フランクルの言葉に

『小さなことが気になるのは自分が神のように完璧であるべきだと思い込んでいるからだ』というのがあります。 ドラマの相棒で刑事の杉下右京が小さなことを気にして推理し、事件を解決する筋立てが基本になっています。 そして警察組織に馴染めないまでも杉下右京は完璧な推理者として描かれ、次々難問を解決してゆき、完璧な人格を表現しているように思います。

私はキリスト教徒ではないので神の存在を認めていませんが、完璧を求める人との出会はあります。 それらの人には少し窮屈な感じを受けますが、なるほどと思う事も多くあります。

フランクルはこの言葉で何を表現したかったのか意図は判然としませんし、宗教や文化の、価値観の違い、そしてアウシュヴッツの体験などを考えれば共感できないことなのかもしれません。

小さなことは気になります。 単に些細なことであればそれにとらわれ本質を見誤ることを避けるように言っているのかもしれません。

一方でキリスト教圏の言葉に『神は細部に宿る または 真実は細部に宿る』というのがあります。 一見矛盾して見えますが、日本のことわざにも同じようなものが見られます。 真意を確認したことはありませんが。

私の結論は小さなことでも拘るべきこととそうでないことを分けて考えればよいと考えました。 会社の中でささやかな節約、例えばコピーをするとき出来る限り白黒印刷をして5円を節約するとします。 節約の感覚をもっていれば大きなプロジェクトでちょっとした節約の発想から数千万円が節約できる、コピーの5円も積もれば大きいのですが、節約する感覚の重要さは5円を上回るものです。

私は自分の考えをまとめるときに裏紙に鉛筆で書いてゆきます。 木遺棄される裏紙は私個人の書類の中にも山のようにありますが私は間違いを消しゴムで消し、上手く表現できないことを炭に絵をかいて1枚の裏紙に考えをまとめ切ることに情熱を注ぎます。 書ききった後、その裏紙の上で鉛筆をナイフで削り、丸めて捨てます。 それで1枚の紙を最後まで使い切った気持ちになります。

ではとらわれる意味の無い小さなこと、ちょっとした言葉の行き違いをくよくよすること、などでしようか? 人によってはその小さなことをこだわるあまり暗くなってしまい、前出のフランクルの言葉が重く響きます。

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[生活]

人生は結果の責任まで人間に要求したりしない

 タイトルはオーストリアに生まれた精神学者でユダヤ人でアウシュビッツで生き延びたビクトール フランクル氏の言葉である。

氏はロゴセラピーを提唱し、私はその言葉に救われたことがあります。 タイトルで気づかれたと思いますが、人生と人間をそれぞれ別人格として表現しています。 人は人生を演じるわけですが、演劇に例えれば役者=人は演技(人生)の稚拙なことまで責任追及しないという事でしょうか。

自分=私は必死に人生を歩み、苦しみや喜びをかみしめています。 苦しむのは私で、人生ではありません。 喜びも同様です。 不幸を感じて苦しんでいる人が人生が良くなり喜びを感じられるように人生に期待するのは間違いで、人生がそれを演じている人間に期待しているのです。

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