監査役BLOG

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[コミュニケーション]

リモートワーク

 秋田に来て2ヵ月が経過しました。 うえろくに席があるのでリモートワークをしています。 実際の仕事の中身は報告メールのチェック、問合せ(メール・電話)でリアルな面談を多用していた者としては不自由さになれません。

コロナ禍でリモートワークが多くなり、日経の記事に出てきます。 印象に残るリモートワークの記事はありませんでした。

私は日本の非製造業の生産性が世界の中で非常に低いことを気にしていました。 私が関与する事業は実態として非製造業でその生産性が低いと我々が行っている仕事の生産性が低いことになります。 調剤薬局や高齢者介護の仕事は厚生労働省の仕事、おそらく世界一報告書類の多い事業だと思います。

だから仕方がないのではなく改善は図るべきだと思います。 そのきっかけがコロナ禍をきっかけとして広まったリモートワーク、私のように簡単に出勤できない者は究極のリモート、つまりはこれで仕事ができるなら海外に住んでいても構わないと思います。 せっかくだから自ら実験してみようと意気込むのですが、メール送信される報告内容で実態が分からず、成果につながることが出来ていません。 なまじ見えない不安が募り、疑心暗鬼になってしまいます。

自分の仕事の目的はこの成果を上げることと明確に定義され、そのためにここまでの権限と権限行使にまつわる報告義務と責任を明確にする必要を感じました。 きちっと権限範囲が決まっていれば指示もできます。

役割間の食い違いを減らすため質問を多用し、質問を受けたほうは定例の報告様式に工夫を加えるように仕向けることで目的にアプローチしようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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[人間関係]

コミュニケーション

 大昔のTVコマーシャルで耳の遠い老夫婦の会話がアニメを交えて使われました。 山本山の海苔のコマーシャルで耳が遠いからお互いに商品名を連呼するというものです。

会社で私が一番コミュニケーションがうまくゆかない状況は質問と答えがねじれる時です。 実際のビジネスについて『結局何をしたいんだ?』と問えば求める答えは戦略であったり戦術であったり投資など実際のアクションなりです。

答えるほうは言いたいことがあり、勢い込んでそれを言います。 聞き手は必要だから聞いているわけで、言われたことが聞きたいことと違えば重要なことを言われても『ちょっと待ってくれ』になります。

私は2度は聞き直しても3度目はありません。 それがあまり多いので私のコミュニケーション能力が低いのかと思ったことがあります。 能力の高い低いは比較対象があっての話でしょう。 問われている人が意図して問いと異なる答えを出していたら敵意すら感じることになります。

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[プライベート]

なまはげ柴灯まつり

男鹿半島のなまはげはユネスコ遺産にも登録され有名な鬼です。年末に村の若者がなまはげに扮して村内の各家を周り子供を脅して躾ける行事です。男鹿半島の山中にある真山神社で毎年祭りとして披露されるようになり、多くの観光客を集めています。今年は新型コロナの影響で観光客は少なかったです。各村に伝わる面は素朴で迫力のあるものです。 なまはげの太古の演奏は迫力がありました。

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[価値観]

価値観

 政治と宗教の話はご法度ですが、あえて今世の中で一番話題をさらっている森氏のことにつき意見を言いたくなりました。

ノンポリの私が議員として森氏のことを知ったのは首相就任した時からです。 前首相の病没の枕もとでの一言で自ら首相となったことから日本の政治の未熟さを思い知り、私の政治不信のきっかけとなりました。 その後渡米した森氏が当時の米大統領クリントン氏に『Who are you?』といったとか言わないとかで新聞社に勤める友人が激怒していた人です。

さて今回の問題発言に接したとき、私は何とも思いませんでした。 当人はそのような人、私が以前勤めていた会社にはよく似た人がたくさんいて、それは個人の問題ではなく蔓延した価値観のあらわれにすぎないからちょっとした不快感以上に感じることはありませんでした。 おそらく自民党を支配する本流価値観を象徴していて、民間企業でも同じような価値観を中心とする会社は取引先にもありました。 その弊害は日常的にあらわれます。

漏らした一言を追求することから始まり本人そのものの否定、そして自民党派閥領袖のN氏の森擁護発言、この発言が引き金になり組織の体質を問題にする記事が増えました。 体質にどっぷりつかっている山下氏は当初沈黙、発言の不適切さ、批判を阻むJOCの体質、すべてわかっていて小出しにするところに組織にしみ込んだ価値観の深さをにじませています。

おそらく批判は本質に向かって続き、森氏の意地の張り合いの末一番見苦しい辞任劇に展開すると思います。 私の近しい人は数年前からオリンピックのボランティアに登録していました。 スポーツが大好きな人で今回のも静観していました。

わが身に振り返り、批判されている価値観に自分自身が汚染されていないか気になります。 このような旧弊に染まった老害を見てきた身として自分がその立場に立ちたくないからです。 いま私の年齢に近い人が世界の政治のトップに立っています。 日経新聞の国際欄で海外のトップの発言を聞いているとこわくなってきます。 そこまで思い出したとき、森氏に始まる批判が時代錯誤の価値観を消し去ることを願ってやみません。

 

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