監査役BLOG

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[プライベート]

寒さ

 秋田に移住すると知人に言えば同じ問いが返ってきます。 なぜ秋田なのか?、寒いだろう? はじめの問いには秋田県出身か?に続きます。 実は秋田県には何の関係もなく、移住先の能代市が豊かな自然に囲まれているからというのが答えです。 大阪の守口市に生まれ育ち67歳までほぼ守口に住んでいてうんざりしたということもあります。 もともと定住するより放浪を好み、転勤や出張の多い仕事と思っていましたが40歳を過ぎるまで出張はありませんでした。 転勤もなく、転勤の可能性もありませんでした。 たまり溜まった放浪への願望が移住につながりました。 年齢から言って放浪がつらく、知らない土地に移住し、東北各県を旅行すれば放浪癖は満たされると考えました。

二つ目の寒いだろうという問いはその通り、大阪に比べれば平均気温は低く、冬は寒いです。 大阪は温暖で、温暖化が進むにつれて亜熱帯ではないかと思うほどです。 秋田も慣例であると覚悟し、防寒衣類を買いそろえました。 そして寒冷地用の肌着を着てフリースを着てポリエステルの綿入りのジャケットを着ると寒さはそれほど感じません。 今日のように日中の気温が氷点下でなければ家にいればストーブをつけなくても0~10℃程度の室温で厚着をしなくても過ごせます。 ストーブをつければポカポカして眠くなるので日中はあまりストーブをつけません。 朝の雪掻きも今まで厚着でしていましたが30分ほどすると汗をかいて肌着がビトビトになっています。 つまり薄着で作業すればよいということです。

大阪にいた時にある工場で春になって暖房を切るとすぐに冷房を入れると言っていた人がいました。 それほど寒暖差に敏感になっていると思います。

秋田の知人の家に行くと家の裏の山に縄文時代の遺跡があると言っていました。 縄文時代、秋田が今と同じ気候なら寒いはずですがわざわざ縄文人が寒いところに住んでいたのか不思議です。 当時秋田は温かかったのか、縄文人は寒さに強かったのかどちらかです。

現代人は逆に温度差に耐性が低すぎるのではないかと思います。 私が子供のころ住んでいた家は江戸時代に建てられた木造建築で、冬に家の中で氷が張っていました。 暖房器具は私が小さい頃は火鉢だけです。 家の中で勉強するときに吐く息が白くなっていたのを覚えています。

当時に比べ衣類は進化して防寒性能は格段に上がっています。 値段も手ごろです。 さらに家も窓は二重サッシでこちらも防寒性能は高く、私の寝室も一番寒い時に0℃くらいで、暖房器具なしで寝ることが可能です。

だから暖房しないで暮らせと言うつもりはなく、寒さになじめば秋田も暮らし良いところでしょうか。

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[プライベート]

能代の憂鬱

 記録的な寒波で能代も積雪が東北らしくなりました。 空は鉛色、風は強く降った雪は舞い、雪煙で見通せないようになります。 最高気温も氷点下、ストーブのない部屋で温度計を見ると0℃付近です。 寝る時は気合を入れて服を脱ぎ、冷たい布団に身を沈めると体が震えだします。 頭も布団の中に入れます。 外に出していると夜中に起きた時に頭が冷たくなっています。しばらくすると布団の中にぬくもりが広がって安らかな眠りにつきます。

眠りはともかく吹雪の昼間は外に出られないので筋トレ、ストレッチ、新聞読み、記事の要約をノートに書くなど予定していますが気分がブルーの時に筋トレもストレッチも気が乗りません。 仕方なくアマゾンプライムビデオで映画を見ます。 景気づけになるような映画を探してみますがますます落ち込んだりします。

何とかポジティブになるためにもがき苦しんでいる東北の吹雪の日々です。

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[プライベート]

能代にて

 12月18日に能代に帰りました。 直前まで気温も雪も平年並みだったのが冬型になり各地の降雪量が記録的な日に帰りました。 朝の便でフライトは問題なかったですが、昼過ぎの能代市は一時ホワイトアウトして車での走行が危険な状態になりました。 その後はたまに暖かい日があっても殆ど最低気温が氷点下で庭の雪も完全に解けません。

能代に到着した日、同級生の友人から電話がありびっくりしました。 その2週間ほど前に自宅で倒れていて8時間後に救急搬送され、面会謝絶で様子が分からなかったのですが話しぶりはしっかりしていて安心しました。 その3日後本人は医者に説明を受け、私に死を覚悟したメールが届きました。 本人は延命治療を断り自然死を望み、余命1~2週間の宣告受け入れたそうです。 メールを読んで返す言葉もなく涙があふれてきました。

それから2日たち本人の携帯にメールを送りましたが返事はなく、別の友人が奥さんに電話し延命治療を受けることにしたことをメールで伝えてきてくれました。 ほっとしましたが同い年の人の死に向き合う潔さは自分にできるのか、恐怖です。

能代ではいつも雲に覆われ、雪がちらつき寒い日が続く中重い話に心がふさぎます。 面会謝絶で大阪にいても見舞いに行けず、メールを送っても読めているのかわかりません。 返信のメールは読んでくれていると思います。

友人の回復を心よりお祈りします。

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[言葉]

見たことのない景色

 ネット上にはいろいろな珍しい写真が氾濫しています。 行ったことのない土地の風景や動物園でも見られない動物、太陽系の惑星の地表の写真など想像しにくいものの写真や想像図を見ることができます。

映像化できないものは頭の中で映像イメージが浮かばないと思います。 例えば『誠実』は抽象概念で映像化しにくく、私の場合は知っている人の中で誠実と思っている人の姿が浮かびます。

戦略や戦術を部門の責任者に質問した時、説明を聞いてもイメージが浮かばないことがあります。 なぜだろうと考えていて質問が戦略なのに答えは行動様式や心構えで会って戦略ではないことに気が付きました。 それは戦略ではないとそのまま行っても回答者は戦略と思っているので何を言われているかわからないようです。

これだけの話であれば質問者である私と回答者である責任者の戦略の言葉の定義が食い違っているのかもしれません。 何度も戦略の定義についてたとえを交えて話をしますが伝わりません。 自分が正しいという前提で回答者は戦略のイメージを全く持っていないと判断すればこの食い違いは説明できます。

TVの番組で生まれながらにして盲目の人が目の手術により成人してから視力を得たドキュメンタリーを放映していました。 飛行場でジェット旅客機の発着を熱心に見つめている姿が印象的で、その人はジェット機が羽でおおわれていると信じていたそうです。

戦略をイメージするのに戦争映画は参考になるかもしれません。 なぜ戦争をしているのか、どのように戦うのか、武器は・物資の輸送は・敵の戦力は・指揮官の指揮の高さは・兵員の士気はといろいろ映像で説明してくれます。 その中には戦争そのものの戦略も描かれています。 個々の兵員の戦闘能力、例えば射撃のうまさとかも描かれます。

誰もがそのような映画を見たり、戦略の解説本を読んだり、ネットで調べたりできるのに、つまり見たのにイメージを持たないのが不思議です。 車内で立場上ビジョンや戦略や戦術という言葉を使った会話がすべてずれた概念をもとになされていたと思うと寒気がします。 戦略のように絵になりにくいもののイメージを伝達するには模式図でもよいですが結局言葉によらねば正確にならないと思います。 従って細心の注意を払いながらふさわしい例示をもとに積み重ねてゆくしかないと考えます。

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