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掃除

 

私は毎朝店の掃除をしています。 今朝は5時に起き、6時30分に家を出て、地下鉄で会社の近くで下車、3駅を歩きました。 年齢を重ねるとゆったりした運動が心地よく感じられます。 店の掃除を1時間すると体も頭もはっきり目覚めます。 頭がはっきり目覚めないと考える仕事は出来ません。

以前ある研修期間に参加し、掃除をテーマに解説と会社のトイレを掃除するという宿題がありました。 「掃除をすることに楽しみを見出せ」という話があり、便器に名前を付けて「太郎ちゃん、今日もきれいにしようね」といった具合に掃除をする話がありました。
話のネタはV.E.フランクルのアウシュビッツの生活からきているそうです。 アウシュビッツでは収容者に穴を掘らせ、次にその穴を埋めるという作業を繰り返し、収容者の心を破壊するそうです。 それに耐えるために作業に意味をもたせるというものですが、研修の解説はあまりにバカバカしく思いました。

私は掃除に意味を見出していません。 掃除が必要だからしている、そして集中して行う、単純な作業であっても集中して行えば苦痛はありません。 気がつけばきれいになっており、達成感があります。 きれいになったことに喜びや達成感がなければ掃除をした意味がなく、その継続が人格を磨くといえば教条的ではありますが、おそらくそのような解説は良くされると思います。

掃除のために1時間早く出勤する、そして1時間掃除することが苦痛でなければ得るものはあると思います。 出勤途上に朝早くから店舗の周囲を掃除している不動産屋がいます。 一度信頼できる業者ですということで紹介を受け、相談に行ったことがあります。
確かに信頼できる人でしたが、その人が掃除をしている時の安らかな顔つきを見ていると教条的な意味を思い出してしまいます。

仕事の中には単純で煩雑な作業は多く、それに多くの意味を見出す代わりに無心に集中する習慣を身に着ければよいと思います。

単純作業は監視がつく場合が多いと思います。 道路工事の現場監督とか、そしてそのような仕事をこなしてきた人の注意は決まっていて「黙ってしろ」とか「いやなら帰れ」とかです。

当社において高齢者介護の営業職や薬剤師の仕事、これらに付帯する事務にはこの単純な作業が多く含まれています。 良く観察していると考えても仕方の無い単純作業部分で集中を欠き、肝心の知的作業で考えがまとまらない人が如何に多いかということです。
別の言い方をすれば考えることに集中し、考えないことに集中するということでしょうか。 この切り替えは意識して行わないと出来ないことで、考えないことに集中していないと単純作業で単純ミスを繰り返し、考えることに集中できないと生産性が低下します。 得意先に営業訪問してワンパターンのプレゼンしか出来ないとか、相手の話を聞いていないとかです。

考えないことに集中したり、考えることに集中する訓練は自分で行うことで会社で教えることではありません。 それこそ少し考えればわかることです。 スポーツをやってきた人は比較的これが出来るように思われますが、どちらかというと考える方が苦手に思います。 ただし一流選手は良く考えています。 スポーツをやらなかった人は考え落ちになるきらいが多いように思います。 あくまで経験上の話ですが。 私の解決策というか訓練方法は「悩まないこと」です。

悩みは脳に負担を与え、考える余力を奪います。 悩まなければ考えないことに集中できます。 悩まない為に夢や目標をもちます。 一度騙されたと思って試してください。

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