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空気を読む

一時はやったフレーズです。 我々の世代は「場の雰囲気」などといわれました。

元来生き物には危機予知能力が備わっていて、人も例外ではないと信じています。
「空気を読む」のは人間の高度な社会生活の中での話しで、天敵に狙われる動物の危機察知と違う部分があるかもしれませんが、本質は同じで危機の種類が多様化しているだけだと思います。

私自身、動物的な危機察知は何度か経験したことがあります。
あるとき自転車で走っていて、幹線道路の交差点の100メートルぐらい手前から背中がぞくぞくしたことがあります。 そのまま青信号で交差点に侵入したのですが、交差点への侵入直後高速で左折車が突っ込んできました。
思いっきりペダルを踏んでかわそうとしたのと自動車の運転手が気づいてブレーキをかけたのが同時で、かろうじて衝突を免れました。
交差点をわたって振り返ると車は交差点内止まっており、運転手はハンドルに額を乗せて自分の不注意と事故にならなかったことにほっとしていました。

この事件は人生の中でも不思議な出来事で、この時ほどはっきり危険を感じたことはありませんが、今まで大した事故に遭わずにこれたのはいろいろな局面で危険を回避してきたからかと思います。

会社勤めを20年経験し、その中で私は常に空気の読めない人だったと思います。 それでも何度か重要なポストにつけてもらい、それなりに成果を挙げても評価は低いものでした。 しかし一緒に仕事をした何人かの人は私の判断を評価していました。
そして時間の経過の中で私の判断は正しかったことが証明されたのです。 それらの私の判断は面白いほど皆と違っていました。

それらの判断は殆んどが背中がぞくぞくするようなものではなく、知識と情報を元に直感したことで、後付での説明が悪かったため支持されなかったのかと反省しています。

今は経営者の立場なのでそのように直感したことは周囲の反対を押し切って実行し、それなりの確率で成功しています。 私の場合、残念ながら経営判断に有効な経験が少ないようにく、経営者をしたこの11年、常に経験豊富な人を側において自分の判断を経験に照らすことをしてきました。

たとえは今の時期は事業拡大のチャンスと判断しても方法を決めなくてはなりません。 それは往々にして経験的判断が求められ、本で読んだ知識ではうまく行きません。

このような直観力をより精度の高いものにしたいと思いますが、方法が見つかりません。 しかし雑音が無ければ「神の囁き」は聞き取れるので、コストがかかるとか、みんなが賛同しないとか、仕入先が嫌がるとかは神の囁きが聞こえてから対策を考えればよいのかと思います。

私の場合、「神の囁き」は歩いていて思いついたり、話をしていて相手の話にイメージが浮き出したりします。 だから体調がよく、五感が働く状態を維持することが大事なのかと思います。
最大の雑音は自分の感情で、怒りが心を支配すると何も感じなくなります。

多分誰でも「神の囁き」は聞こえると思います。 それは超自然的なことではなく、自分が得た知識・情報を頭の中で溶かして再結晶させている瞬間で、もっとも自分らしい時だと思います。 それを大切にしなければ優秀な人が沢山働く一流企業が倒産したり、政治判断を誤って戦争を引き起こしたり、税金を平気で無駄にする政策に賛同したり、挙句の果ては交通事故にあったりするのかなと思います。

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