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空気を読む

『空気を読む』という言葉を聴いたとき、中高年である私は古臭いことを言うと思いました。
その空気は時代と共に変わる部分もあるし、変わらない部分もあるから『水戸黄門』など人情もの時代劇は廃れないのかと思います。

ただし、最近の時代劇ドラマの脚本家は意図して『現代風』を装っているところもあり、時代考証を誤っていることよりもエンターティメントを重視しているか、過去の空気が現代の人に理解できないと考えているのかもしれません。

そもそも空気を読むのは何らかの評価、意見、価値観の表明に対してタイミング、多面的な視点を求めるものなのかと思いました。
過去の人の知恵は常識や良識という言葉に代表されるように「言っていいのか悪いのか、今言っていいのか」などというとき年寄りに効きます。 落語ではっつぁん、熊さんが家主のところに相談に行く話はおなじみです。

現代はというとものの考え方、視点が多様化したばかりにある価値基準で合意したことでも別の価値基準で、個別の事例を基にして、程度の問題と質の問題をチャンポンにしたて、個人の内面の問題と良識を混同して、過去に譲歩してもらったことを反故にして好き勝手を言うようになっています。
その時違法行為があったりすると密告が流行ります。 しかし違法とまで行かない行為の場合は裏で攻撃されます。

その問題がどうも大きいように思います。 法律を含め、考え方価値観が多様に過ぎて分かりにくい、したがって正しいのか誤っているのか、良識的かどうかなど本人に判断がつかないし、価値観、教養、知識が同レベルの人たちとのコミュニケーションでは新たな視点が生まれようがありません。

そうしたゆがみを直す為に多くの本が出版されていますが、出版されたものは多くの検証を受けていると思っていると思わぬ自己中意見が出ていたりします。

したがって本により生き方のヒントを得るには古典が良いのかもしれません。 時代こえて生きてきた知恵には分かりやすさは別にして敬服します。

最近知人とちょっとした取引をしましたが、こちらは十分譲歩しているのに譲歩はいくらでも引き出せると考えたのか後から後からいろいろなことを言ってきます。 いろいろ聞いてみるともともと評判の悪い人、説得を一部試みましたが聞く耳を持ちません。

そういう人には誰も諭す話をしないので改まることは無いでしょう。 しかしこれが大きな問題で頭にきてWebで公表すると大問題に発展しかねません。 Webを観察するものは皆評論家です。 Webがどれだけ社会秩序の整理に貢献しているか想像もつきませんが、カオスの世相にたいしてよく効く、早く効くが副作用の大きな薬に思えます。

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