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社長の人格

会社を初め、社会に存在する多くの組織において、そのトップに対する構成メンバーの人格的な期待は大きいです。

ちなみに当社において多くの職員は私に対して高い人徳を求めます。
企業が社長の立てる方針や理念に沿って社会において認識され、利益を挙げ、高い成長率を示すのは当たり前です。

さらに内部に向かって職員に対し高い人徳をもって接し、悩みを聞き、適切な施策を実行し、好ましからぬ行為に対して罰を与え、外敵に敢然と立ち向かうヒーローをイメージしています。

確かに立派な経営者は世の中に沢山おられます。 そしてその中の多くの企業は同業他社にぬきんでて高い業績を上げ、順調な成長を示しています。

私の場合、常識に捉われない発想のユニークさや、施策が功を奏して高い収益性と成長性をこの数年達成しています。 ひょっとして業界の成長性に乗っただけ、職員の頑張りによる結果、社長がぼんくらで何もしないから実害が無かったという批判が私の知らないところで行われているかもしれません。

私は経営者としてどちらが正しくてもかまわないのです。 会社全体のよいこと、悪いことはすべて経営者の責任と思っています。(個別の成果や問題はここの組織に帰属しますが)
しかし殆んどの職員が人格的に優れた経営者を望むなら人格的に優れることが必要と思います。

人格に自信がない私としてそれは大変な困難ですが、本気で目指せば適うものと信じています。 それが職員の、会社の幸福にとって沿うものかどうかわかりませんが。

一個人としてなら「あの人は善良で良い人です」になることは簡単ですが、その人が社会に大きく貢献するとは限りません。 バカなことを言い、セクハラなどつまらないもんんだいを起こして「なんだ、あの議員は!」と思われている人が実は素晴らしい政治家であったりすることを聞きます。

自分がそうだとは言えません。 政治家も経営者も弱い人間、権力を持てば横暴にもなるし、人の痛みが見えなくもなります。

しかし尊敬され、信頼され、慕われる経営者がより良い仕事をする可能性は高いはずです。 なぜなら現代において組織運営は組織員全員の協力の下に達成され、どこかの国の将軍様の思いつきですべてが決まる時代ではありません。 社長は、トップは構成員の僕としてその機能を果たすようになっているのが現代の組織論だと思います。

昨日法事で久しぶりに会った年上の従兄弟が地方自治体で大変出世しているのを知りました。 良い家柄、甘いマスクで長身で、有名大学出身で、人柄もよく、従兄弟の中では憧れの人でした。

さぞかし難しい判断をする仕事かと思いきや仕事の多くは人事問題の処理、組織内の不倫の注意や勤怠の評価と対策、個人の悩みの相談など頭の下がる働きでした。
彼の能力を持ってすれば市会議員はおろか国会議員も視野に入るのではと思って「誘いはないのか?」と聞くと「誘いはあるが政治家になりたくない」との答え、聖人君子に過ぎたる彼は最後は自分の身を第一に考えているようです。

民間中小企業の経営者はもう少し業績向上に注力しなければならず、聖人として行き辛いのか甘えていますが、ある職員の訴えから「聖人にチャレンジしてみよう!」と決心しました。

「反省するより悔い改めよ」が私の信条、今は聖人とは何か、を考えています。 イメージの湧かないものになれませんから。

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