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古池や蛙飛びこむ水の音

 以前このブログで紹介しました浄土宗僧侶の従弟との話を書きました。 浄土宗の開祖は法然さん、従弟は浄土宗が個人の内面の救済に重きを置き、これに対して曹洞宗(禅宗)開祖の道元さんは社会問題の解決に重きを置く教えであると教えてくれました。 そこで現代の禅宗僧侶である南直哉さんの本を読み、なるほどと思う事が1~2割という話も書きました。

もう少し理解したいと思い宗教哲学者の山折鉄雄著、『宗教の力 日本人の心はどこに行くのか』を読み始めました。

著者は博識の人で、この本のタイトルである日本人の心の大本を分析するためいろいろな事象を時間を超えて紹介しています。 その中で特に面白いが表題の俳句の評価です。 芭蕉を目の敵にした臨済宗の有名な僧侶『仙涯さん』という方が江戸中期に活躍されたことが書かれています。 仙涯さんは俳句を作り、絵を描く人で、当時表題の俳句が秀逸であるとの評価に疑問を持ったそうです。

仙涯さんの絵に蛙が多く書かれていたそうです。 その絵の上に『座禅して人が仏になるならば』と書いてあるそうです。 蛙はいつも座していて、禅宗が座禅により成仏できるなら蛙はいつも座しているから仏になるという意味か、いやそうではないと山折れ鉄雄さんは言っています。

仙涯さんのパロディは『古池や芭蕉飛びこむ水の音』というものです。 芭蕉は僧侶のようないでたちで全国行脚し、問われれば『半分僧侶、半分俗人』と答えた記録があり、末期においてこつじき(托鉢)をしながら旅をしようとしていたようです。 仙涯さんがパロディめいた俳句を作ったのは芭蕉が仏教思想に影響を受けていたので、座禅を組んだ蛙が池に飛びこむより本人が飛びこんだ方が意味ある俳句であると著者は確信をもって解説しています。

表題の俳句の評価を集めた著者は高浜虚子さんのたわいもない評価を引き合いに出して、わびさびだけで評価すればたわいもない俳句であるとし、宗教学として奥深い俳句で、それを仙涯さんだけが見抜いたとしています。

パロディ俳句はびっくりでしたが、一番面白いのは宗教哲学者なる人が日本人の心を語るのに日本宗教=仏教徒八百万の神から分析する中でこのように面白い例示を上げて解説していることです。

山折さんは私より22歳年上ですから現在88歳、その柔軟な視点や分析に敬服いたしました。 少し思い込みが強いようにも思えますが、膨大な知識と教養が裏打ちされ、そうかと思ってしまいました。

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