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ヒール

ヒールという言葉を知ったのはプロレスでした。 私は59歳、子供のころにテレビが普及し始め、プロレスは当時人気番組でした。 第二次世界大戦終戦から14~15年ごろ当時繁華街の近くの公園に櫓が組まれ、その上に白黒のTVが設置され、夕方公園は人でいっぱいになります。
そこで放映していたのはプロレス、白人のいかにも凶悪な顔つきのレスラーと日本人レスラーが戦い、日本人レスラーが一方的にやられふらふらになったときに逆転勝利というパターンです。

白人レスラーはヒール(悪役)、戦争で子供を失ったおばあさんは特に興奮して見ていて、たまにヒールが勝利したときなどばあさんがTVを叩き壊したとか興奮して脳の血管が切れたとか、噂は絶えませんでした。

当然ショーですからシナリオを準備してのものですし、最後に力道山(日本人レスラーでカラテを使う)がヒールをカラテでなぎ倒すのは子供にとっても見ていて爽快でした。 白人対日本人という構図の中で善悪や好悪の感情を総動員させるショーは愛国心や戦争体験で白人に反感を持った当時の高齢者にとって解りやすいものだったのでしょう。

最近の領土問題はこの構図と重なり合って見えます。 なぜに日本がヒールなのか、国家を挙げてそれを演出する中国や韓国に歴史の重みや文化の類似性を感じてしまいます。 しかし国家が大統領がそういった感情論をプロモートするとき、違和感も感じます。

第二次世界大戦後10年くらいの間に来日した旧連合国の文化人は日本のプロレスにどのように反応したのかあまり聞いたことがありません。
最近読んだボクシングのドキュメンタリー小説で、終戦直後日本人ボクサーを世界チャンピョンに育てたアメリカ人軍人が紹介されていましたが、国民的感情論は地道な民間の交流や長い時間の経過を通じて解決していくものだろうと思いました。

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