監査役BLOG

カテゴリ

未分類

[未分類]

好齢者村

 タイトルは字の間違いではありません。 横石知二著『生涯現役社会のつくり方』に書かれていた言葉です。
 高齢者介護の仕事は制度により儲かり、赤字になりします。 新しい分野であるため、いろいろな人が高齢者介護の事業に参入します。 あくまで事業ですから、利益の極大化はどの分野の経営とも同じく介護分野でも求められますが、あまりに生臭い話が最近横行しているように思われます。 利益確保の前には高齢者は商品かのような発想であったり、経営者が成金趣味になってみたりです。
 まあそのような発想でビジネスモデルを考えなくては斬新なことは考えられないのかもしれませんが、そこに働くのも対象となる要介護者も人間であることを忘れた瞬間、そのビジネスの将来は無いように思います。
 『生涯現役社会のつくり方』にはこの分野に携わって10年間考えていたことが実現したことが書かれていました。
 徳島県上勝町が舞台で、人口約2000人、その50%は65歳以上の高齢者です。 横石氏は上勝町農協の営農指導員として働いておられます。
 氏が入職された’79年、町の産業は柑橘類の生産でしたが、高齢者医療費が無料で、高齢者は診療所に行き毎日愚痴をこぼして暮らしていたそうです。(当時、高齢者医療費は無料で、そういう光景が多く見られたということです)
 人口は減少の一途、高齢化は進み、所謂限界村落に向かっていたときに著者は入職し、その後記録的な冷害で柑橘類が全滅、野菜の生産に切り替えようとした時に料理の添え物の紅葉等の葉を料亭に出荷する事業に取り組み、成功した話です。
 それを支えるのは高齢者、80歳代の女性が毎日パソコンを開き、注文を確認し、販売品の価格を見て所得を確認する、そしてかなりの年収を稼ぐという話です。
 当社は居宅介護支援事業所(ケアマネージャーがケアプランを作成する事業所)を営んでいますが、ケアマネは自分がプランする要介護者が「死にたい」と言うと話しています。
 人は夢や希望を失えば生きる力を失います。 まして高齢で介護が必要な状況になれば夢や希望を抱きにくいことは用意に想像できます。 その人の安心・安全な生活を、介護保険制度のサービスメニューを使って支えるプランの作成がケアマネの仕事で、夢と希望を与えるものではありません。 安心・安全とは生命に対するもので、それは直接には夢や生き甲斐や心の平安につながりません。 勿論ディサービスに行って、出会いがあり、友情や恋愛が生まれる話もたくさんあります。 大阪市内の要介護者がすべてそうとは思わないですが、ほぼ同じ年代の上勝町の人達は働き、稼ぎ、将来に向けて紅葉や柿を裏山に植えるそうです。 それが収穫できる頃まで生きていられるかどうかわかりません。
 そして、2000人の町民の中で寝たきりの要介護者は2人だそうで、町立の高齢者施設は廃止、医療費は県内最低だそうです。
 どうせ高齢者向けの事業をやるなら「早く死にたい」と思っている人より、体が麻痺しても這って山に行き、葉の収穫をする高齢者のお世話をする仕事をしてみたい、そして過疎の村の人口が増加し、移住してきた人が夢をもつ事業は私の夢になりつつあります。
 誤解の無いように言いますが、「もう死にたい」という人の安心・安全は意義のある仕事と思い今後も邁進していきますが、とりあえず見学に行ってきます。 関心がある人ははじめに書いた本と見学をお勧めします。
 私はこのような話題のときにアウシュビッツに収監され、奇蹟の生還を果たしたV・E・フランクルの言葉を思い出します。

『あなたの存在、あなたの人生には、すばらしい意味がある。いかなる絶望にも希望がある。人生はうまくいくようになっている。
ただ、そのことに気づきさえすればいいのだ。』
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

上に戻る