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他人と過去は・・・・

昨晩、店長が企画した営業課長職(当社の管理職で店長の次が課長)の社内研修がありました。 私はオブザーバーで一切発言しませんし、思っていることがあっても言わないようにしています。

テーマは「目標達成に向けて、課員との接し方・対応・教育をどのように行うべきか?」です。 10名ほどが2グループに分かれディスカッションします。 要は部下とどのようにコミニュケーションをとるかですが、実に様々な意見が出ました。

運動クラブ指導者の暴力ではありませんが、「最後は殴る」、「怒鳴りつける」、「ネグレクトする」などはありませんでした。 主流は部下に接する自分が変わらなければ伝わらないというものでした。

「他人と過去は変えられない」というのは私の経験、しかし人は自ら変わるものと思っています。 その人にとって変わる必然性があるなら、自身が変わろうとするなら、周囲の者は管理職であっても家族であっても変わるきっかけを提供することしか出来ません。

私の場合、東北をドライブしていて、民家の壁に貼っていたキリスト教の看板の言葉、「反省するより悔い改めよ」を見たときでした。 いくつもの看板が目につき、総てに聖書の言葉が書かれていましたが、なぜかこの言葉に反応してしまいました。 それから何度も頭の中で反芻して自分なりの解釈をし、行動に転化しました。

「反省するより・・・」は反省しなければならないような失敗をしたとき、失敗を反省しても仕方ないと解釈しました。 失敗と判断すべき行為・行動・意思決定は何度もあり、同じパターンで同じ過ちを犯すことも多くあります。私は子のブログを読んだ方はお解かりでしょうが、世間を観察し、政治屋経済活動、日本の官僚などにかなり批判的であります。 良く言えば自分の周囲を常に観察し、良いこと・悪いことを見つけて評価する癖があると言うことでしょう。

その中にはしてはいけない評価もあります。 例えば他人の価値観・好みなどとやかく言うべきではないでしょう。 ある友人が私に言いました。 言ってはいけない事を言うのはそう思っているからだと。 「反省するより・・・」のくだりから言えば、これは言ってはいけないことではなくそう思ってはいけないこと、考えを変える、悔い改めることになります。

ところが「悔い改める」→「考えを変える」は反省するよりはるかに困難なこと、きっかけは「思い知る」や「痛い目に合う」でなければなりません。

自ら思い知る方法は、悔い改めるべき事を常に意識し、日常生活で「なるほど」と思える事実を積み重ねることでしょう。 少し例示は悪いですが、何度も禁煙に失敗し「意志が弱い」と思っていたのが、意地悪?な医者に「お前の肺はもうだめだ」と宣告されてすんなり禁煙できたことです。 以前の禁煙のようにタバコが吸いたくてたまらないことはありません。 健康でいようという気持ちがタバコに関しての考えを変えてしまったのです。

変わるのは瞬間の技です。

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