原子力発電所
私は原子力発電所賛成派です。 あまり政治に絡む話題はしたくないし、賛成派と称する上で明確な安全性に対する知見を持っているわけではなく、情緒的な意見です。
海外でも数多く稼動しており、絶対的に危険なものなら国連ででも稼動禁止にすべきで、そうでないなら安全なものにしてゆけばよい、安全が絶対的に確認されない以上禁止とまでは思いません。
東海村で放射能漏れが起こり、その対応の危機感の無さが話題になっています。 確かに世論が反原発に動いている中で感度の鈍い話です。
もともと原子力行政で通産省と電気事業者の癒着などが暴露され、反感が高まった中で大震災による原発の放射能漏れと連鎖しています。
世論が反原発に向けばいろいろな学者先生が『だから言ったのに』という報道が繰り返されます。 それが怖くて隠される原発以外のリスクも多くあるのでは、と勘ぐってしまいます。
友人と遠慮のない会話をしていると『お前はそんな事を考えているからよくない』と批判されます。 なるほど、考えた事をいくら気の置けない友人だからといって口から出してしまえば気分の悪い話もあるだろう、言った事を非難されたより考えた事を非難されたわけで、『そこまで言われるなら考えないようにしよう』と思っても邪悪な事を考えてしまいます。
いつも聖人君子で邪悪なことも考えず、清く正しくは残念ながら生きていけないと思ってしまいました。 しかしほんとにものの理を見抜き、余計なことは言わないが返事に困るような事を平気でさらっと言う、天使のような人が世の中にはいて(残念ながらお目にかかったことはないですが)、素直で疑うことなく、それでいて皆に信頼されて社会に貢献する人が居るのでしょう。 このような事をたまに考え、最近思い出すのが震災直後に岩手県の宮沢賢治記念館に行ったことです。
広い公園に野良猫がたくさん居て、ふくろうの置物があちこちに配置されています。 建物は震災直後ということもあり、来館者は私一人、静かな展示館でその雰囲気が宮沢賢治なのか、きっと理想の人間を思索し、現実との違いに悩んだと思います。
私に『邪悪な事を考えるな』と言った友人に『出来るならお前がやってみろ、現実とのギャップに嫌気がさすぞ』と言ってやりたい。