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コミュニケーション

採用面接をしていてコミュニケーションの難しさを痛感します。 具体的客観的な質問をするとその質問の意図を読み、意図に合わせた考えを答えられるケースが多いです。

『あなたの将来の夢はなんですか?』と聞くと将来に対する心構え、それも『明るく、楽しく、誠実に生きること』などと答えが返ってきます。 それも確かに夢ではありますが、具体的なものを求めているとき『明るく、楽しく生きる』うえで趣味にまい進する、それが魚釣りなら将来海辺に転居し、釣り三昧の暮らしがしたいとかになって来ると思います。

夢を実現させるのはいつの世も難しいことで、難しいから夢であるように思います。(もちろん難しくない夢もあるでしょうが、人の思いはえてして高きを求めるもの、そして高きは実現が難しいものということでしょうか) それゆえ夢の実現を明確に意識している人はいつまでに何をしてという夢実現に向けて時間、準備項目を明確にし、工程表を意識します。

夢は強く思えば、物理的に不可能なことを除いて実現させることができます。 私が60歳になって社会人野球の選手を目指すとしても野球はやってこなかったし、年齢的にも無理です。 しかし野球を楽しむ程度にやれるようになることは可能だと思います。

採用面接で若い人に夢を聞くと就職し、結婚し、子供を作り、戸建ての家を建て、と続きます。 そのことを否定するつもりはありませんし、職員の中には着々とそれを進めている人がいます。 普通に働き、普通にきちっと仕事をし、普通に昇給してゆけばある程度の妥協は必要でもここまでの夢はかなうでしょう。 そしてそのその先にあなたの夢があるのではないですが?、それを聞きたいのです。

私はどうかというと、最初サラリーマンになった時、社長ならやりたいと思いました。 つまりは会社運営、事業経営が夢でしたが、初めの会社で働けば働くほど浮いてしまい、結局退職して自ら会社経営をする羽目になり、サラリーマン時代の不愉快だったことを反面教師に経営しました。 そういう意味では企業規模はともかく、夢は実現しましたが充足感は半分といったところでしょうか。 会社経営に理想があるからサラリーマンになった時に夢にしましたが、その理想形を明確に描いておらず、日々の目先の課題対処で理想追求から遠のいていたのだと思います。 目指すべき規模は、社風は、事業分野はと明確に具体的に描いておればよかったと思っています。

話はコミュニケーションに戻りますが、人は何故具体的客観的答えを望まないのか(これは私が勝手にそう思っているだけですが)、仕事をするうえでいつも悩むことです。

仕入れ交渉など対外折衝で私はこれだけの仕入れをするのでいくらの仕切りなるか、提示を求めます。 そして妥結できれば全力で約束を守るようにします。 もちろん守られない場合もありますが、その時は相手に逐一報告し、誠意を示すようにしています。 最終的に未達であれば仕入れ先に謝罪に出向きますし、途中でより安い価格提示があっても乗り換えることはいたしません。 ただし、いつまでという期限が過ぎればあっさり乗り換える場合もあります。

ある仕入れ先と交渉した時、相手に譲歩してもらう代償として「販売予定額は?」と聞かれ、末端価格で〇〇と言いましたが先方は仕入れ金額を聞いていました。 帰りの電車で『しまった!』と思いましたが後の祭り、現在必死に拡販しています。

具体的客観的コミュニケーションは話がまとまりやすく、結果的に解釈に遊びがなくなります。 発言内容は約束として拘束力をもち、果たせなければどうなるのか?と不安になります。 これがコミュニケーションで曖昧になる要素だと思います。 具体的に話をまとめ、それを果たすか果たすべく最善を尽くせば信頼は増してゆきます。 この信頼感は業界・職種・役職・男女・年齢関係なく通用すると思いますが、いつも曖昧にコミュニケーションを図る人に対してはそもそも具体的、客観的な会話は成立しません。 こちらが具体的に話をしても相手は原則論しか言わないとか、私はそのような人に沈黙を守るようにしています。 無理にコミュニケーションをとっても非難の応酬になります。 コミュニケーションをとるべき相手はいくらでもいて、そちらに勢力を使い切ってしまい、不毛のコミュニケーションは私にとって意味がありません。

 

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