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人が考えを変えるとき

まだ若い時、サラリーマンをしていてなぜ自分はサラリーマンという職業をうまくやれないのか、と思い悩んだ時期があります。 直接の上司は会社内で嫌われている人で、それを自慢しているぐらいです。 その人といつも二人で仕事をするわけですから今なら上司のパワハラに悩んでいたというところでしょうか。

パワハラを受ければ反発するのが自分の性格、もちろんその人にも良いところはあったはずです。 当時の考え方はどんな組織でも自分にとって居心地の悪い状況があり、全く気にしない生き方ができれば自分は会社で大きく貢献できるのではと考えていました。

当時の会社はパワハラや社内暴力は当たり前で、現在とは違うかもしれませんが、たまに事件として同様なことが報道されたときは当時よりはるかに陰湿な印象があります。

何とか自分を変えるきっかけとなった一冊が素 空慈(ソ コンジャ氏 韓国人キリスト教牧師)著 塩田今日子訳 『悟りの瞬間』でした。 禅の奥義書「伝灯録」を解く とサブタイトルがついています。 かつて名僧と呼ばれた人が悟りを得る瞬間を解説したものです。

自分の苦しみは宗教家の悟りとはかけ離れたものであっても当時の自分にとっては『悟り』という言葉に取りつかれたのでしょう。 時代背景も違い、他国の僧侶の悟りの瞬間が自分の人生に影響を与えるのかそんなことも考えず、何か難病の特効薬を求める気分でした。 読んでみて理解できたこと、心の重さがふと軽くなったことはあったのですが、以後も同様に日常のサラリーマンライフで悩みを募らせていたように思います。

解説されていることにたとえ話は多く、せせらぎに流れていく笹船(笹の葉で作った船)を上から見ているというのがあります。 笹船が自分なら渦巻く激流に翻弄され、眼前の光景は激しい水流と流れてゆく陸地の景色でしょうか。 それを上から眺めてみると小さなせせらぎを笹の葉の船が静かに流れている光景だというのが『悟り』ということでした。

このたとえ話になるほどと思う人が多いかどうかわかりませんが、当時は!でした。 つまりは激流に流される自分も離れて見れば静かに流れる葉のようなものと理解しました。 しかしそう思っても当事者である笹船は激流を危険に思い、ストレスを感じながら流されていく不安から解放されるわけではありません。 何とかしたい、今の状況から抜け出したいと思う気持ちは変わりません。 それゆえ瞬間に心が軽くなっても翌日からのサラリーマンライフではパワハラから逃れられませんし、苦痛は感じていました。

教えとしてはそれを苦痛と感じることに意味はないということでしょうか。 もしそうなら苦痛がない分仕事に身が入り、ミスも減り、嫌な上司はパワハラに意味のないことに気付くかもしれませんし、日々の生活は景色が違ってくるでしょう。

今もその本は手元にあり、過去3回読みましたが、最近また読んでみたいと思っています。 60歳を超えて『悟りとは?』と悩む愚かしさに嫌気もさしますが、日々は激流に流される笹船の気分です。

 

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