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マーケティング

インドネシア出身の経営学者フィリップ・コトラー氏はアメリカの大学で研究し、「近代マーケティングの父」と呼ばれているらしいですが、社内セミナーのテキストとして「コトラーのマーケティング3.0」を使用しました。

そのセミナーメンバーは部署にかかわらず管理監督の地位にある人が参加するものです。

氏のマーケティング理論は1.0は作れば売れる(何を製造するかが問題)、2.0は同等品の中での差別化、3.0では社会にどのように貢献しようとしているのか、だと認識しました。

介護機器の業界でいえば歩行が困難な人に車椅子を提供する、車椅子という移動・移乗・椅子の機能を提供することで利用者の方の移動性などが格段に上がる、その事業を行うのがマーケティング1.0、揺れの少ない車椅子やカラフルなシート柄、体格に合わせた車いすなど差別化を目指したものがマーケティング2.0、車椅子は高齢者介護では制度上レンタルですから回収した車椅子の消毒工程で公害を出さないとか、コストがかかっても包装材料を工夫するなど環境負荷を軽減するとかがマーケティング3.0と考えました。

私の浅い理解でいえば全くその通りと思うのですが、それぞれの段階でどのようなスタイルの事業が一番発展したかを考えると全くコトラー氏の言う通りと思います。

話は変わりますが私は以前古典落語をよく聞いていました。 古典ですから話題として江戸時代の話が多いのでしょうか、上方落語では人情、とんち等が話題の肝になります。 特に上方では主人公が商売人になりますから商売の話が結構多いと思います。 その中に飢饉で食べるものに困っている庶民を身を削って助ける商売人の話があります。

そのような話はお金を稼ぐことに商売の目的を置いている商売人が社会貢献を果たす(困窮している人を救うことを社会貢献として)ところに話題性があり、数百年も語り継がれてきたと思います。

身を削ってばかりでは商売は成り立ちませんし、デモンストレーションとして少し身を削り、善良である評判を獲ろうとすれば見破られます。 商売は世間があって成り立つので世間に役立ちながら生かされていくもの、本心からそう思って商売を営んできた商売人が現代まで生き残っているのでしょう。 もちろん、それだけではなく経営手腕や社員の質もょ奪いを支える大きな要素です。

私は経営を続けるうえで経営判断を迫られたときにこのような考えが頭をよぎります。 いつも考えているわけではないので、経営がコトラー氏のマーケティング3.0で例示された企業ほどうまく機能していません。 そもそも医療・介護の分野は国の制度でコントロールされ、そもそもが社会貢献を果たす分野です。 役人が作った制度ですが、それはそれはよく考えられていて日本の官僚のレベルの高さを肌で感じます。

しかし事業化された実態は不正請求であったり、非人道的社内システムであったり、新聞にその一角が報道されます。 いかに巧妙な方法であっても誰もが『おかしいのでは?』と疑問を抱くことが私の周囲でも垣間見られます。

逆に天使のように純真な気持ちで事業を営み、高い評価を受けながら事業撤退する事業者もおられます。 経営のセンスにかけているのでしょう。 社内でも知識偏重で知識があれば貢献できて事業として正しいとか、楽して儲けることが経営の王道であるとか、ブランドが確立しなければ経営は存続できないという考えがあったり、多様です。

違法でなければどれもが正しく、一概に否定するものではありませんが一つの考えで律することができないのも現代社会だと思います。 落語の『くまさん、はっつぁん』の話ほどには単純にゆきません。

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