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口に出して言ったこと

人はめんどくさいもの、裏に回れば悪口で、自分でいうのを憚る人は他人の悪口に乗っかって囃し立て、その批判はよく聞けば悪口だったりします。

悪口にも種類があります。 このブログにも『死ね、死ね・・・・』などと書いてくる人がいます。

私は運は良いこと、悪いこと同じだけあり、別に特定の人にどちらかが重なっているわけではないと思っていますし、なぜそうなのか説明することができます。(今回は説明しませんが)

私が日常生活で不愉快なことがあると、例えば歩いていてスマホをいじりながらぶつかってきて謝りもせずにそのまま行く人に昔は怒鳴っていました。

しかし今はその人の良い運勢が自分に鞍替えすると思っています。 したがってそのことで私の良い運は増えてゆきます。 ゛例をしでかした人は良い運が逃げてゆき、相対的に悪い運が残ることになります。

運が良いということは単純に幸せになると理解しています。 まことに幼稚極まりない運命論に思えますが、そう考えて自分の感情をコントロールし、いわゆる得を積むことで自分もかかわりあった他人も幸せになると思います。

ところが得を施しても良い運が積み増しされない人がいます。 会社に会ってみんなが幸せになるべく私は日々徳を積みます。(ちょっと宗教的ですが) 徳と言えばたいそうですが最高の笑顔で先にあいさつするとか、心から相手の健康状態の回復を願うとか、大変だった仕事の労をねぎらうとか、その程度の事です。

言われた方は決して悪い気はしません。 自分は大変影響力のある人間なのかと誤解するほど相手は悪い気をしていません。 もちろん笑顔は最高のもの、相手を気遣うときは心の底から気遣う気持ちを持って行うのは当然です。

悪口を言われている人の愚痴を真剣に聞きました。 その人は気が楽になったのでしょう。 そこで私は欲を出してしまいました。 「悪口を言われるなら相手が悪口を言いたくなくなるような振る舞いをしてはどうか」と言ってしまいました。 正攻法で言えば動じない対応です。 もしくは悪口によってはそれは正しい自分への批判と考え、自分の振る舞いを正すとかです。

ある社員教育のセミナーで『自分が源』というスローガンを盛んに言っていました。 自分を取り巻く環境が正しいわけではなくとも、それを良い方向に自らの行為行動で改善していく、そういった意味で『自分が源』です。

これには無理があります。 そもそも自分の周囲に裏に回って悪口をふれる人は相手の出方に応じて対応する人ですから始末に負えません。

ある社員とこの話をしていたらその人が結局『どのようにしていこう』と言うのを決めて門なそっちに向かわせるしか改善方法はない、と言ったのです。
言われた瞬間霧が晴れた思いで、『向かうべき方向』が明確に言葉になればそれに反する行為、行動は自然と減って行きます。 たとえは『前向きに考え、他人の批判はやめよう』と言うことを強く徹底した場合、悪口は減ります。

まさか! あり得ない・・・とお考えの人もいるかもしれません。 ポイントは徹底すること、本当に徹底できれば悪口は出てきません。 徹底の過程で誰かを批判したりしてはいけません。 それは自らがおきてを破ってはいけないし、常にぶれない対応で徹底して『向かうべき方向』を目指すことにほかなりません。

人は口に出した言葉に制約されますし、それが善悪の判断として正しければ『違う』と言えません。 人は自分が悪の存在と自らも他人からも思い思われたくないものです。

とにかく面倒くさいのが人間なのです。

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