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孤独

今日は私の62歳の誕生日、よくも長生きしたものだと思います。 最近は仕事一筋で遊び友達は減り、仕事では権限委譲を進めたので幹部は自分の業務・職務範囲の責任を果たすべく、私の愚痴に耳身を傾けたり、世間話に付き合ってくれません。 当社のように従業員が100人を超えた程度の会社は微妙で、会社のトップが何をしているか見えにくくなります。

先日はある課長から営業の地域戦略について質問がありました。 『自分の権限外の事なのでコメントできない』というと『まさか?』と思ったようです。 小さなことでもトップがすべて判断すると思っていたようで、そのようなことを判断するのであれば部門長、店長、課長からから膨大な報告を受けねばならず、それは大変なことになります。

課長にしてみれば話は聞いてくれるがこんな人に何を話しても無駄と思ったことでしょう。 それだけ自分の負担を減らしてもトップにはやらねばならない事があり、それはそれでうまくやるのは大変なのですが、もちろんその課長に『こんなに大変なんだよ』と言っても始まりません。 それぞれの役割ですから仕方のないことで、課長は蚊の成績として自分の成果は目に見えますが、私の成果は見えにくいものです。 それを言っても愚痴になるだけ、自分の役割を果たす上で何日も考え抜いても視力の衰えた目で夜中まで本を読んでも誰も褒めず、労わらず、判断したことが誰かの不手際でうまく行かなくとも私の責任、『全く腹が立つ』と愚痴は尽きません。

今朝、ある職員から7時にお誕生日メッセージをいただき、自分のことを思ってくれる職員もいて涙が出ました。 以前にも自分の仕事ではないことで残業していて、わざわざお茶を届けてくれる人がいて涙か出たことがあります。 どうも自分は人の優しさに弱いのかと苦笑い、経営者の仕事もたまには良いこともあります。

うれしいこと、辛いことはそれを感じるのは心ですから、辛いことが続けば慣れてきて辛さが弱まり、うれしいことが続いても慣れてしまうものです。 うれしいと感じることがたまにやってくると心は大きくうれしいと感じるもので、涙が出るほどうれしいのは最近辛いことが多く、慣れ切っていたのかと反省しています。

つらいことのいくつかは自分で辛くないことに変えることができると考えるからです。 仕事であれば思い切った決断、結果責任を取らねばならないのでうまく行かない時はさらに辛くなりますが、うまく行けばうれしいことになります。 それが自分のつらさを回避することが目的なら上手くいこうがいこまいが、そもそも仕事としての判断ではなくなります。

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