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[価値観]

キレる

何もないのにイラついて、些細なことで感情がコントロールできないことがあります。 手が震え、頭の中は真っ白、原因を作った人に当たり散らします。

誰でもそのような経験があり、頻発する人は社会性が乏しく、上から押さえつけられるととんでもないエネルギーに展開しますが、少し時間がたつと何でもなかったようになります。

私の友人でも多くの人がその性癖をもっていて、人によっては暴力に走ったりすることがあり、周囲の人間はハラハラします。

私の場合、最近は幸いにも殆ど怒らず、また小さなものが起こっても抑えることができるようになり、怒鳴り散らしたりすることは無くなりました。 しかし抑えきった後の数日は胃の調子が悪く、下痢をしたりします。

いつも原因が何かを考えますが、そのようになった自分を正当化するために善悪の尺度で測ったりしますが善悪の要素はあってもその反応として切れてしまったことの合理的な説明になりません。

一方、全くといってよいほどキレない人もいます。 少なくとも自分の周囲の人間でそのような状況を見たことのない人の事ですが、感情の突発的な衝動をいわゆるキレた時のような反応ではなく、内に込めているかお酒で紛らわしているか、心の中で起こっていることが同じでも人の対応は様々だと思います。

私がイメージするのは心の中に一つ一つかたまりになっている火薬が詰まっていて、何かが火をつけると爆発するというものです。 いっぱい火薬があっても殆どの場合そのうちの一つが爆発し、一つの爆発でほかの火薬が誘発していないように思われます。 また、一つ爆発したから一つ減って、何度も爆発を繰り返すうちに心に詰まった火薬の数が最後にゼロになるということはないように思います。

年齢を重ねて火薬が爆発しないようになるかと言えばそうではないように思いますし、何もなしに消えてしまうこともなく、気が付いたら増えていることも減っていることもあります。

私もこの火薬の扱いに苦労し、つまり感情の衝動のコントロールに苦労しますが、何かを成し遂げるときにこの火薬が役立っているように思います。 自分が何かをやろうとしたときにそれをやめさせようとする自分がいて火薬を少し爆発させることで止めさせようとする自分を吹き飛ばしてしまうようなイメージです。

やった方がいいのかやらないほうがいいのか、悩んでも結論が出ない時、これによって反対する自分がなくなるわけですから自分にできることは出来てしまいます。

例えば何かの試験勉強をしなくてはいけない時、どうせ通らないとかめんどくさいとかネガティブな自分を吹き飛ばしてしまったとき、勉強が始まりテキストの字が読めなくなって初めて日が暮れたことを知るようなことです。

それではネガティブな自分をいつも爆破していればやりたい事が出来るかと言えばそんなにうまく行きません。 自分の心のコントロールは難しいのです。

会社で不満をもった職員を観察していて面白いことに気づきました。 ある職員が報酬の不満をもっているとします。 この人だけが不満を口にします。 数年たってその人が一流の仕事ができるようになり、貢献に応じて報酬を増額すると『もらいすぎだ』と言います。 この人はお金にこだわりの強い人かと言うとそうではありませんでした。 入社したころは確かに報酬は低かったですが、先輩や同僚への不満がありました。 その問題が解決したと同時に彼の会社への貢献が大きくなって報酬増額の時期と重なり、『もらいすぎ』と言う話になりました。

自分の感情すらコントロールできないのに他人の感情はなおさらコントロールはおろか感情を動かす原因すら理解できません。 本人すら理解しておらず、それが報酬への不満につながったわけですから。

もし彼の心の中をのぞく事が出来たら、心の中の火薬を私より随分小さくして、少しずつネガティブな自分にぶつけているのか、キレることなく淡々と仕事をしています。

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