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待つこと、耐えること

日常生活で失敗したこと、辛かったことを振り返ると私の場合待てなかったことが原因である場合が多い。

私にとって待つことは耐えること、誰かと利害の反する話題で話をしていて相手の問題点に気付いてそれを言ってしまったような場合です。

相手はそのことに気付いているかもしくは気付くだろうことを相手の言葉から読み取った瞬間にそれは違うといってしまった場合です。

気づいてもそれを口に出すより沈黙が説得力を持つ場合があるということです。 議論では考えたこと、気付いたことを正確に伝えるよう誰もが心がけます。 浮かんだ考えは浮かんだ時に一番自らの心の中で光ります。 光った瞬間に言えば言葉に『自分は確信した』と言う力がこもります。

しかし何かの事情で一時間たって相手にそれを言ってやろうとすると考えはくすんで光を失っています。 つまりは思いついた考えの多くは価値をもたない場合が多いということでしょうか。

軽快なコミュニケーションは相手の放った言葉を受けてリズミカルに響く言葉を投げ返すことでしょうから人はコミュニケーションにおいて常に考え、うまい返しを狙って言葉を発します。 漫才や演劇の会話、小説の中のやり取り、「うまく切り返す」と思います。 映画では間の取り方は表現の重要な要素でしょう。

間と表現できるわずかの時間、瞬間以外に数分、数時間、数日、数か月、数年といった長い時間を耐えることもテーマとなります。 自分の事に戻って、数年耐えて忍んだ事が人生にはいくつかあります。

ある主要仕入れ先は取引を初めて取引先としてふさわしくないことに気付きました。 それはほぼ直感なのですが、そこと取引を継続すれば自社の成長発展はないだろうと確信しました。 そこで10年前後、取引継続期間にその会社の事を調べ、その会社の職員に面談し、様々な提案をして相手の考え方、企業としてのスタイル、歴史を調べ、取引をやめた時に代わりの仕入れ先を探して取引を中止しました。

結果は当社にとって大きな貢献をもたらす仕入れ先変更となりました。

何事につけ、時間の長短にかかわらず待つことの大切さを知る事件でしたし、数時間、数日、数か月の待ち時間を耐えて成功したこともありますし、待ってしまって失敗したこと、待てずに失敗したこともあります。 何年と言う期間も間と表現するなら、間の使い方は意思決定の重要な要素で、待ってる間に調べることができる場合はまだしも、ひたすら待つことのつらさも格別です。

数年待つような話題は数年先のことを考えるから、数秒待つのは目先のことを考えているから、いろいろな時間の将来を常に考えることが会社運営や人生をうまく運用するうえで重要になってきます。

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