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人間関係

[人間関係]

会話

毎日誰かと会話して気付いたことですが、話す内容、言い回し、結論を先に言うか後に言うか、とかが人によって違うし、私の方も人によって話の切り出し方がパターン化されていることに改めて気付きました。

ある管理職の人はとりあえず当たり障りのないことをはじめに言います。 今日は寒いですね!とかです。

その人は本当に当たり障りのないことをいろいろ言い続け、こちらもそれぞれに適当に返事し、五分もしゃべると別れます。

そしてしばらくして、『彼との会話はいったいなんだったのか?』と不思議な気持ちになります。

全くの第三者であればそのようであるべきだし、重たい会話をされても対応に困りますが、同じ会社の管理職の人で、勤務時間中ですから当然業務にかかわることになります。 そしてその会話のかなりの部分は業務にかかわることで、しかも重要な事を含んでいることが多いです。

彼の発言は『誰々はこう思っている』とか『これこれは上手くいっている』で、だから決めなくてはならないことはこうすればよいと考えます。 考えただけなのか、何も決まっていないのか、と思ってしまい会話に関心を失い、聞いた内容を忘れてしまいます。

しばらくして、『あの件はどうなったのか?』と質問すると、『この前話した通り、これこれです』と返され、以前そんな話を聞いたのか?となります。

明確に結論を先に話す、決めた、会った、こうであった、等と言えば記憶に残るのですが、周辺の話をされると記憶に残りません。

以前はそのような場合に『結論はどうなんだ?』と質問し、それが詰めているように聞こえて、事実は詰めているのですが、非難や反対しているようにとられ、ソフトに聞くようにした結果、キーワード無き重要事項の伝達は不調に終わってしまいます。

私の意図にかかわらず、周囲の人たちは私に気を使っている、もしくは恐れているのかもしれません。 私は業務上のやり取りは余計なことは言わずに端的に伝達することが正確であると思っています。

もちろん仕事の決定であっても確信のある決定やほかに選択肢がない決定もあり、そのニュアンスを伝えるために人は言葉を飾り、濁します。 仕事のコミュニケーションは結論がすべて、ニュアンスで行動や意思決定は出来ません。 そう信じている自分が味気なく思います。 ある管理職はコミュニケーションについて近い考えをもっていて、私との会話はまるで軍隊の報告のようにそぎ落とされた会話になっていて、誤解や伝達不良はあまり起こりません。

前出の周辺事項を説明する人の人間関係は広く、結局彼の話し方の方がより多くの人とコミュニケーションを図るうえで効果的なのかと思います。 関係の薄い人、得体のしれない人に結論ありきで話をするのはリスクがあります。 そのような人と話すうえで結論ありきの関係性はおそらく築けていないでしょう。

人は不器用で、丁寧にものを言う人は喧嘩をしていても丁寧に言うでしょうし、言葉の荒い人は接客でも荒い言葉で話すでしょう。 どちらも相手を知らなければびっくりしてしまいます。 もちろん器用に言葉をもてあそぶ人より信用できそうな気がしますが。

私も不器用な一人として、初対面でも意見を求められれば明確に言ってしまい、誤解されたりします。 たとえ正しい評価であっても言わないほうが良いことは相手は誰であっても言わないように心がけ、相手の立場に立って相手が建設的に私の言葉を受け入れるのであれば言葉を選んで話をするようにしています。

この歳になって何を今更ですが、会話のスタイルを変えるのはなかなか辛いものです。 数年続けていて、少しづつ板についてきた話し方、先ほどの軍隊会話が通じる管理職は『何があったのか、なぜ変わったのか』訝っていたようです。

話し方だけでなく、先ほどの例のように相手の立場に立って良いことかどうか考える癖や、相手を悪く言わない、考えない癖はなかなか身に付きません。 しゃべるだけなら気を付けていれば何とかなるのですが。

若い時、そのようなことを直すのに『ふりをする』ことを教えてくれた人がいます。 サラリーマンのふりをする、善良な人のふりをする、仕事ができる人のふりをする、ふりをしているうちにそのようになるというものです。

ただし、ふりだけで考え方まで変えるのは至難の業で、私は自分の目指す考え方と異なる行動や発言をがそれに合致しないことを鉛筆で紙に書き、修正しようとしています。 これは反省文を書いているようなものですが、目的は反省にあるのではなく、目指す自分になるための行為です。

あまり急激に自分を変えようとすると自分の中にAとBがいて、整理がつかなくなったりします。 自分の人格は生まれいてから長い年月をかけて形成されたものですからすぐに変わる事、成長することはありません。 しかし疑問をもち、考え正してゆかなければそこで自分が固まってしまいます。

今かつての自分の考え方や行動を振り返って同時のピュアで粗野な自分に戻りたいと思うことはありません。 それほど人は未完成なのです。

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