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 ある有能な管理職の人が標語書いて机の前に貼っていました。 五行ほどの言葉の最後の言葉に釘付けになりました。 『美しいものを見る』と書いていたのです。 釘付けになったのは他の言葉が気持ちを鼓舞するような言葉でしたが、この言葉を書いた意味が全く想像できませんでした。

 その人は多くの部下の話を聞き、適切なアドバイスをし、恨まれるような言葉も必要なら必ず 言います。 それは適切な管理職の行為、部下の職員は彼が話を聞いてくれるので言いたいほうだいを言い、彼はそれが愚痴であっても理不尽な要求であっても、正しいけどすぐに対処できないことでも言い訳することなく聞きます。

 それは必ず他に誰もいないところで行い、説明できない時は『一緒に頑張ってやりましょう』と励まし、相手は感動して最後に泣き出してしまうようなこともあるようです。 いつも笑顔で、前向きで、最後に感動するような結末を迎え、部下の成長を促します。 当社の理念、ミッションを地で行く人です。

 私にはとても真似の出来ることではありません。 人の話を聞くことに膨大なエネルギーを注ぎ、真剣に集中する姿は立派であるとか優れているとかでは形容しがたく、『神』の存在を予感するようだと言えば言いすぎでしょうか。 その人が美しいものを見る、ということをスローガンにしているのです。

 私が最近見た美しいものは奈良興福寺の仏像です。 阿修羅像は有名ですが、他にも素晴らしい仏像が数多く展示されていて、苦悩に満ちた表情、見るものを恫喝する恐ろし気な仏像、慈愛に満ちた表情、ごくごく普通の人の顔、優しがにじみ出ている仏、あらゆる感情を想起する顔が並び、たとえそれが苦悩に満ちたものでもそこいらにいる人の顔でも美しく見るものに語りかけます。

 ある管理職は意地悪な人であっても愚痴ばかり言う部下であっても皆善悪や好悪で判断せず、それぞれの人生が皆美しいものとして接しているのではと想像しました。 それで『美しいものを見る』意味が解けた気になりました。

 本人に真意を聞いたことはないですが、私の想像が強ち外れていないと確信しています。 人がどのようにしてそのような心境になれるのか、神秘であります。 話を何度か聞いてもらった部下は問題行動がなくなり、気持ちよく挨拶するようになり、仕事に励むようになります。 創世記のハリウッド映画で神をテーマにしたシーンのようです。 キリストに触れるものは病が瞬く間に治り、キリストを神として信仰する、そのシーンを彷彿とさせます。

 たいていの人は考える力があり、心の蟠りが解けると自分の職責において最善を尽くすようになります。 最善とは誰にも勝る生産性やパーフォーマンスという意味ではなくその人のその時持てる力を最大限発揮することです。 管理職として最善の方法を支持するのではなく、最善の自分を発揮できる、発揮する上で障害となる迷いなどを取り除くことにほかなりません。

 もし正しいことや効率的な方法を教え、教えられた人が素直に従えば効率が上がりますが、その人の成長ではありません。 自ら考え、自ら工夫する事が出来るようにその人の苦悩を取り去るので、『神』を予感すると言いました。

 そういう意味での『神様』は誰の心にも宿り、他の管理職の人でも同じシーンを感じたことがあります。 話題にした管理職は常に神が見え隠れする、そういう人なのです。

 神の見えざる手に着目すれば『よくできた人』と評されるかもしれません。 ずっと観察して管理職の部下指導という本が書けるかもしれません。 しかしその本は手法や現象を書くだけで神ではないのです。

 多くの人が『神』に憧れ、自らが神に近づくことを願います。 反れば権力欲や金銭欲との二人三脚、神は誰の心にも宿り、表に現れるのは邪念を捨て去った人にのみ現れてくるもののように思います。 そうして神が現れるとその人は他人への憎しみを捨て去ることができ、何事も望めば叶う素晴らしい人になります。 神は天から降臨するのではなく美しい人の心の奥から現れる、だから常に美しいもの、絵画や彫刻などに触れ、自らの心の美しさを保つ必要があるのかもしれません。

 

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