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時間と成果

 昔、山スキー(雪山をスキーの板を使って登攀する)を教えてくれた人が水彩画の画家になってグループ展を毎年開催しています。 二回に一回は見に行きます。 毎回画風の変化に驚かせられ、絵を描くことは進化すること、単純に自分の画風やテクニックで書き続けて、偶然傑作になるものと思っていましたが、この人は以前の作品とは全く異なるものを書いているのを目の当たりにして驚きました。

 前々回に広い川の淀みを描いた絵が気になり、何度も見返した記憶がありました。 今回も同じような淀みの絵があり、額縁から川の水が流れ出てくるような錯覚にとらわれました。 どうも静水を描くと生きる画風なのかと素人ながらに感心しました。 しかし淀みの質感はリアルであっても描かれた対象は単に淀んだ川で、部屋に掛けようかという気がしませんでした。

 そこで淀みの絵を二枚譲ってもらい、部屋に掛けて10日ほど経ちました。 見慣れてくるとだんだん良くなってきます。 毎日何度もその絵を見て、不思議なものだと毎日感心しています。

 絵を描く趣味は描いた絵を残しておけば自分の成長は実感できます。 自分が書かなければ絵は存在せず、絵の存在そのものが自分の存在そのものになるから過去を振り返ったときに自分の伝記がそこにあります。 この人は描いた絵をすべて売ってしまい、手元に置いていません。 絵は書いたら、書けたら、表現できたら反れてよい人のようで、未練をもっていません。 むしろ過去が見えるのを好まないように思えます。

 私は会社経営という仕事をしていますが、私の仕事の方法は自分ではほぼ何もしない経営者です。 人の話を聞き、それで終わりで、必要に応じて控えめなアドバイスしたり、『やってみたら』と背中を押したりするだけです。 だから過去を振り返り、自分の業績や成果というものは何も見えません。 大きな方向性の判断やビジョンの策定、取引先の選定など大きな項目には関与していますが、自分で営業に出かけることも社内の制度を考えることもしません。

 大きな方向は数年の期間の中で実現され、成果を生んできます。 そのような大きな決断は数年に一回あるかないかで、毎週一枚の絵が仕上がるのとは様子が違います。

 例えば年初からの半年は重要な決断をしていません。 採用面接など作業の一部はになっていますが、それは私がいなくても回るようにしています。 つまりは成果を生んでいないことになります。

 高額の役員報酬をもらっていれば、たとえオーナーであっても焦ってしまうでしょう。 報酬に見合う成果を上げなければと、重要な経営判断を迫られる機会は突然訪れ、あっっという間に機会は去ってゆきます。 ぱっと飛びつかないと逃してしまいます。 報酬が多いとどんどん飛びつきます。 飛びついて不首尾に終わる確率は9割以上、見極めが大切です。

 『老人と海』の漁師のように何日も大物を狙って漁をし、ここ一番でヒットしたときは絶対逃さぬファイトが必要です。 経営でもそのファイトを失わないよう健康に気を付け、会社内外のことを目を凝らしてウォッチしています。 日々業務に追われ、作業の辛さ、迷い、苦悩と達成感に浸れる現場と仕事を持つ人をうらやましく思うことがあります。

 それぞれに役割があり、自らの役割を淡々とこなすのが私の地味な人生、毎日今日何があったかノートに書き込み、ため息をつく毎日です。
 

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