監査役BLOG

カテゴリ

価値観

[価値観]

家族

 私は家族とは考え方が違い、上手く寄り添うことができませんでした。 ここでの家族は両親や兄弟のことですが、両親は当然自分より古い時代を生きてきています。 私を中心にすれば生まれ価値観が形成される次期、三歳児から思春期が30年前後ずれています。 両親は大正時代末期の生まれ、私は昭和28年生まれで高度経済成長期にそって成長してきました。

 家に対する考え方が特に違い、個人は家制度に従属するという封建自体の考えを色濃く持っています。 私はそうではなく、そのような価値観に触れるたびに時代劇を見ているような気になります。 しかしそれを強制されたとき強い反感を持ちます。

 家制度にみられる価値観のすべてが悪いとは思いませんが、家さえ良ければ個人は隷属するところに私も両親も妥協できる余地は少ないです。

 このような葛藤は大正時代の私小説 で解決した問題と思っていましたがそうではありません。 このような家制度=組織偏重の考え方の基礎は日本が農業国で資産の中心が土地であったこと、その土地が国土の狭さから一部の地域で大きく値上がりし、資産価値が莫大になったことに原因の一端があるとおもっています。 莫大な資産価値に隷属する個人の姿がみれます。

 もう一つは江戸自体の武家文化や身分制で、 社会的地位は世襲に合ったから世襲の主体が家制度に依っていたからにすぎません。

 最近相続税率が上げられ、資産相続はより厳しいものとなっています。 家制度を崩壊するため政策が税率を上げたのではなく税収不足から相続税の増税がなされたにすぎません。

 一方地位の世襲は企業において話題になります。 上場している大企業のカリスマ社長が子供にその地位を譲る場合です。 そして後継者である子供が高いパーフォーマンスを示す場合、帝王学の強みが話題になりますが、逆の結果を生むケースも大変多いと思います。

 私も以前サラリーマンをしていたとき創業家の息子、孫まで会社にいて、二代目社長の子供、初代副社長の甥など多くの係累が幅を利かせていました。 肌で感じたその文化が良いと感じた局面は一度もありませんでした。

 このような世襲の考えは欧米の社会でも垣間見られ、欧州ではいまだに世襲の貴族が存在しますし、アメリカでは大統領の一族が大統領候補になり、親子が大統領とか夫婦で大統領とかアメリカの文化のイメージから遠いことが起こっています。

 私事に戻り、私の母が90歳にして認知症となり、とても面倒を見切れないので施設に入所させました。 反りが合わない親子関係というより長い時間の中で憎しみが募るような親子関係でした。 それでも親子、日々安否確認の電話をするうちはまだしも、救急搬送されて病院に入院し、認知症が一気に進みました。 この状態で一人で暮らせないので施設に入所させたのですが、日々施設からの脱走を試みます。

 母はまだらの認知で、完全に過去の記憶から解き離された状態、自分は誰でここはどこ、のときは赤ん坊のような顔をしています。 過去の記憶がよみがえると厳しい表情が戻り、自分を閉じ込めたことをののしります。

 私の母への憎しみは私が子供のころの母の理不尽な行いです。 しかしどうすることもできない状態、改善の可能性のない状態の母を見て憎しみは消えてゆきました。 しかし親子の情が戻るかといえばそれは戻りませんでした。 情は血縁だけから生まれるものではなく、情を築かなければ残っていかないことを実感しました。

  

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

上に戻る