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価値観

[価値観]

再出発

 人は新たな人生を歩むときに過去を捨てなければならない時がある。 新たな人生とは少し大げさかもしれませんが、転職する、転居する、結婚する等物理的空間的なあらたですし、何か新しい考え、例えば宗教に帰依するようなことも精神面での新たな人生でしょう。

 過去にない大きな出来事に遭遇したり、大きな決断を強いられ、人に話せないことで、そのことを心の中に封じ込めて残りの人生を送らなければならなないようになるとかです。

 では過去はというと、転職などでは過去の待遇、人間観などです。  転職においては一般に年収が下がるでしょうし、役職もなくなる場合が多いと思います。 以前は課長だ部長だと言っても今役職がついていないなら今を中心に日々の生活が流れるのは言うまでもありません。 この場合、捨てるべきはプライドであったり、視点、以前部長蜀でれば部長職の視点を捨てなければ今の職位に応じたものの見方でなければ職務を全うできません。

 過去は抽象的なものですが、過去に持っていたもの、私の場合趣味のものが多いですが、山登りの道具、テニスのラケット等はやめて何年もたつのにクローゼットに残っています。 またいつか再開するかもしれないはずはなく、持っていても仕方がないのですが。 それでも多くの物をすてさりました。 山登りであれば国土地理院の地図、過去にはじめて登る地形図を買い、携帯に便利なように折りたたみ、登ったルートをペンでなぞった地図は数百枚あったと思いますがすべて捨て去りました。 自分が数多く寄稿した山岳会の会報も捨てることができました。 何百人もいた山の仲間の人間関係も全部切れてしまいました。

 こういった人間関係をずっと大切にする人、思いである物を大事に保管する人もおられるでしょうが、私の場合これら過去を捨てるには捨てる訳があり、捨てた過去に興味がなくなったか変わるべき新しい何かを始めたかです。
 山登りは体力の衰え、転職で山に登る時間が無くなったこと、十分多くの山に登り満足したこと、そのころ勤め人でしたが休日ごとに山を登り、いつ辞めても未練がないと思ったことでしょうか。

 人間関係が途絶えたのも山の付き合いは山だけと思っていたからです。 山をやめるきっかけとなった転職後、新たな人間関係が築かれこともあります。

 必死にやっていたから未練がなかった、過去を捨てることに抵抗がなく新しい環境を受け入れることができた、いまだに持っている山の道具は捨てそびれたものと思っています。 多くの人間関係も山が縁での付き合いで、山以外でも付き合うほどの関係でなかったということでしょうか。

 その一方で山登りで得た考え方などは身についてしまっていて、時々出てきます。 物をさっさと片付けるとかです。 山でテントの中は狭く、食事などはさっさとすましてすぐに食器などを片付けないと次のことができません。 それが身についていて、食事が終わるとさっさと食器を片付け、洗ってしまいます。

 いつもなぜそうするのか疑問をもたなかったのですが、重要な来客があってお茶が出て、客が帰ると自分でお茶碗を炊事場に片づけています。 これも捨てられなかったテニスのラケットのようなものでしょうか。

 多くの経営者を見ていると断定した見方、お金の使い方、価値観に共通点があります。 私は時々外れていて、質素であったり、自分で何でもやってしまったり、周りの経営者からきっと貧乏性と思われていると思います。私の捨てられなかった過去は貧乏性に集約されるのかもしれませんし、あまりカッコもよろしくないのですがそれが自分、最後まで捨てられない、捨ててはいけないものと思い、上手く付き合っていこうと思います。
 

 

 
  

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