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違和感

 最近入社した若い男性薬剤師は『社長は今日何をしたか?』と会うたびに聞かれます。 朝何時に起きて、会ったその時間までの詳細な行動です。 私はあまりいい気はしませんが、出来るだけ正直・正確・詳細に報告します。 質問者はそれに対して一切コメントをしません。 コメントを控えているというより単純に『そうなの』と思うだけのようです。 それが一般的でない行動でもコメントはありません。 例えば私はだいたい9時から10時の間に寝ますが、目覚めるのは3時頃、4~5時に離床します。 起きてからコーヒーを飲み、ストレッチ、筋トレを行い、新聞や本を読みます。

 私にとって朝は考えるのに最高の時間で、スピーチの原稿や経営の方針などを考え、A4の紙に鉛筆でまとめたりします。 一度書いたテーマがそれで完成ということはなく、翌日も書いたりします。 A4一枚1000字程度、前日に書いたものを見ないで何度も書き直します。 たまにまとめて以前に書いたものを見ると稚拙で実用に耐えません。 4~5回書き直すとユニークで論旨も通ったものに仕上がる時があります。 会議で発表するとすぐに反応する人は一般に少なく、がっかりします。 しかし、数日後、数週間後、数か月後、数年後に『あの時こう言ったではないか』と指摘され、ちゃんと理解し覚えていたんだと感心します。 私はあまり評価されなかったのでその後も何度も書き直し=練り直し、修正後のものを発表して実行しています。

 逆に自分の周りで起こっていること、他の取締役の発表された意見に反対意見は思い当たらなかったが違和感を覚えるときがあります。 その場で質問できれば良いのですが、何を聞いたら良いかわからずそのままにしておき、その取締役はそのまま実行し、相当時間が立って頃、結果に驚くことがあります。 思っていたより良い結果であったり、イメージと違った結果になったりしたとき、『あの時こう言ったよね』と問いただします。 それは最初にプランを聞いたときできなかったイメージがだんだん固まってゆき、それが出てきた結果と異なったということです。

 では最初にイメージも共有できなかった会議で提案を決めてしまったことは正しくなかったのか? 難しい問題です。 イメージを共有できるまで議論すると時間がかかり、決定が遅れてしまいます。 イメージもなく決めることはリスクを伴います。 よほど重要な問題でない限り、イメージの共有がなくとも懸念を表明して決定してしまいます。 そして不都合があれば途中で修正されます。 不透明なことに時間を費やすより、実行して姿が見えてきてから修正したりするので、最初のプランがベストではない場合が多いです。 ベターでもグッドでも良い、何もしないよりやった方がよい、結果悪い提案であって、提案時に違和感を感じなければ己の不明を嘆けばよいと考えています。

 新聞を読んでいたり、日常で違和感は多く感じられます。 経済雑誌を本屋で見るとタイトルが時代を表していると感じるときがあります。 記事を読んでみると大したことが書いていない場合が多いです。 したがって私は経済雑誌をほとんど読みません。 これら雑誌の記事のタイトルは多くの人が違和感を感じるイメージと現実のギャップをうまくついているのだと思います。

 最近本屋に行って3冊経済紙を買いました。 『おや!』と思ったタイトルの記事もほとんどが知っている事だったり、私がタイトルにつられたということは私の違和感も平均的で、雑誌が廃刊にならないのは記事の内容にたまに『おや!』が『なるほど』につながることが書かれているか、私が理解していることは実は一般的に『なるほど』ということなのかどちらかと思いました。

 私が会議で練りに練ったプランを提案して、賞賛を受けなくても雑誌のタイトル程度には斬新で『おや』、『なるほど』の提案かもしれないと安心しました。

 

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