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人間関係

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相手の立場

『相手の立場に立って  ・・・・』、この言葉は仲裁などによく使われます。 争いがある中でそれを収めるために仲裁があるのですから、落としどころを見つけるためには相手の立場をおもんばかる必要があります。 つまりは妥協することですが、単純に妥協するのではなく『あなたの主張はこうですね、理解しているからここで折り合いをつけませんか』ということです。

外交交渉などでは理解のしようがない行き違いが話題になります。 経済の話なのに感情論が優先されていたりして、いったい何を決めたいのかわからない報道がされます。 過去の経緯、文化・宗教観の違いなどは私のように大阪でずっと暮らしてきた人間には理解しがたいことだらけです。

これが個人間の問題、同じ会社の人間、しかも同じ大阪出身者同士の利害調整でも大いに手間取ります。 相手の損得、メンツ、希望など理解しているうえで『〇〇でしょう?』とまとめにかかると『そうなんだけど・・・』と煮え切らない返事が返ってきます。

人はそれほど合理的に判断するわけではなく、長い過去に影響を受けていたり、微妙な価値観であったり、様々なことによって判断が揺らぎます。 このように考えると相手の立場に等立てません。 それでもできるだけ合理的に相手の立場を慮って歩み寄ろうとします。

相手が高齢で少し認知症になっていたり、非常に感情的になっていたりするととにかく話を聞くしかありません。 そして相手の意見に共感する、そして沈黙、また話を聞く、この繰り返しになってきます。

クレーム対応で弁護士と話をしたときに『とにかく相手の話を聞いてください』と言われ、『とれぐらい?』、『二時間』、『それでだめなら?』、『もう二時間・・・』、『二時間の根拠は?』、『それくらい文句を言うと疲れるから』というやり取りでした。

実際の場面で二時間耐えて忍んで話を聞いて、相手が矛を収めてくれた場合とそうでない場合がありました。 そうでない場合はそのクレームをお金にしようとする場合でした。 何らかの不手際があった場合、慰謝料など金銭による解決はある話ですが、程度から言えば法外なケースが多いです。

認知症の高齢者の場合、話したことすら忘れてしまうので繰り返して聞くことになり、本人は何度も話していることで思っていたことを口に出してそれが確信に変わることがあります。 折り合いがつくことはありません。

これが身内だと本当に嫌になります。

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