私の父は京都のお寺の生まれ、男6人兄弟の4男です。 それなりに裕福なお寺で、6人の兄弟はかなり勝手に育ったようです。 例えば次男である伯父はスポーツ万能で、小坊主として檀家周りをしてこずかいを貰うと墨染の衣で京都で唯一のアイスアリーナに行きスケートをしていたとかです。
6人の幼少期は第二次世界大戦に突入する時期で、私の父親はポリオに侵され、戦争とは縁がありませんでした。 障害を持つがゆえに引け目を感じつつ成人し、ひたすらまじめに生きてきました。
父方の母親は住職の嫁として近隣で慕われ、人格者として評判が高い人でした。 その人格者の祖母は我が家に来て帰宅するとき私は最寄り駅まで送ってゆきます。 途中で小遣いをくれたりお菓子を買ってくれたりするからです。 当然私は幼かったのですが、最後に祖母は毎度『お前のお父ちゃんは頭が悪かった、お前も頭が悪いだろうから気にせず生きて行け』と言いました。 家に帰って父親に話すと怒り、最後は京都のお寺に電話して抗議していたようです。
私はその助言を何とも思わず、年上の従弟が優秀であってもなんとも思わず学生時代を過ごしました。 頭が悪いのだからと勉強することもなく学生時代を過ごし、成績もさっぱりでした。 小学高4年の時、後に東大に進学した頭の良い子と友達になり、成績が少しづつ良くなりました。 地元の中学に進んでも勉強を続け学年で3番になったとき、勉強が面白くなく成績は下がってゆきました。 高校もさっぱりで大学受験も滑り、予備校でも成績は伸びず10月になってあと数か月で受験というときに勉強する気になり、大した大学ではないですがとても通りそうにない大学に受かりました。
不思議なことは祖母の助言、成績も悪かったので親の期待もなくのんびり過ごせました。 その後も多少の変化もあったけれど過大な期待や努力の強要もなく、大学も三流でプライドもなく人生を送れたことは幸せだったと思います。
面白いことに人生の節目になると思い出したように努力し、人並み以上の成果を上げてきました。 もし自分が『お前は賢く優秀な子だ』と期待をかけられ努力もし続け、成果も上げ続けたられたとしてそれが幸せかと思えません。
私はプロ野球選手の『いちろう』のようにストイックに努力し、評価される記録を残すより打率が低くても要所で得点できる地味な選手のタイプが向いているのでしょう。
今の生活を良しとするなら、その基礎となったのは祖母の助言だったと思います。