監査役BLOG

カテゴリ

未分類

[未分類]

管理職

 当社が操業して43年、私が就職して19年が経過しました。 私が就職したとき職員はパートを入れて12名、売上は120百万円、薬局1局だけの会社でした。 私が入社したころは就職氷河期で求人を出せば応募はあるのですが会社の規模から期待できる人の応募は少なかったように思います。 入社2年目からひたすら応募者の面接を行いました。 お昼ご飯も食べず、1日5人くらいの面接で、場合によっては一人に2時間程度話をします。

会社の概要はプロモーションビデオがあるわけでもないのでひたすら説明します。 新卒ではなく何度か職を挫折している人がほとんどです。 挫折した人でもうまく育てる事が出来ればと思い、あらゆる質問を考えます。

会社の利益の余力が小さいので選び抜いた人を採用します。 10人から20人面接して1人採用といった具合です。 10年ほどたって社員数が30人くらいになると採用も要領よくなり、広告を行ったりするようになりました。 従業員が70人ぐらいになると採用専任者を決めて二人で面接を繰り返しました。 採用方法も紹介会社を使うようになり、社員数が150人を超えた時、自分も含め管理職が育っていないことに気が付きました。

なんとものんきな話です。 管理職に任命すれば勝手に仕事が管理職に育ててくれるという考えは間違っていました。 本人は管理職として強い責任感をもち仕事に邁進するのですが、管理職としてやるべきことを誰かに教えてもらったわけではありません。

大企業は職員数が多く、管理職に昇格させるのに対象者が多く、昇格基準も洗練されています。 また管理職を見て皆が育ってきているので管理職が何をするかもある程度理解しています。

当社は見本となる管理職がいなかったうえに昇格について現場任せにしていました。 これが組織力を築けず、結果として規模拡大に対して実績が出せないようになっていました。

そこで外部から管理職として活躍してきた人を採用することになりました。 合計4人採用し、4人とも大きな会社で活躍してきたひとです。 これらの人が依然会社と同様に管理職として高い実績を計上するもののと期待していたのですが現実にはそれぞれの文化の違いからうまく機能していません。

今はすり合わせの時期、組織を活性化するのに近道がない事を思い知りました。

 

コメントを残す

[未分類]

企業風土

 当社の理念はミッション『もっと元気に寝もっと笑顔に、きっと感動』、ビジョン『働きたい会社№1』そして行動指針であるバリューが続きます。 当社がこの理念通りでないことは当然ですが、強く目指していることは事実です。

この理念が出来たと同時に取り組みだしたことはコンプライアンスで曖昧だったことの整備でした。

当社の職種は当時9職種に分かれ、営業職とケアマネージャー職は予定残業手当がついてそれを超えると残業代が追加で支払われるというものでした。 この2職種を除く職種では残業は5分単位で計算されて支給されます。

営業職員は予定残業制のため残業時間を正確に管理しておらず30時間を超える残業について残業代が支払われていませんでした。 営業職員目管理職に対し残業時間をきちっと管理するように指示したところ10~20時間予定残業時間を超えていました。 そこで超過した部分の残業代を支払うようにしました。

残業の多い人は仕事が遅いか仕事が早いけれど多いかどちらかです。 管理職は仕事の遅い人に仕事の方法を教えて少しでも早く出来るようにしました。 残業代の支払いコストが問題ではなかったのですが残業することが好ましくないと認識する人が多く、無駄な時間をなくす努力がなされ残業時間が大幅に削減されました。 もちろん考え方で誤解している人がいて、いまだに自主的にサービス残業をしている人がいるようですが徐々に減っているものと思われます。

私自身始業時間の1~2時間前に出勤しますが、18時を超えて長く残業することはありません。 かつて勤め人をしていたころは一番最初に会社に来て最後に退社する生活でした。 そのような部署でそのような仕事のパターンでしたから何とも思わなかったのですが、今にして思えば無駄な働き方をしていたと思います。

営業職やケアマネージャー職以外の職種はほぼ18時に仕事を終え、さっさと帰ります。 最近50歳代で管理職として入社された方が『ほんとに18時にみんな帰るのですね』とびっくりしていました。 その人は前職では25年間ほど毎朝始発に近い電車で出勤し、終電に近い電車で帰宅されていたそうです。

規則通りになるべく残業しないで帰宅できる環境は利点が多いですが、一番の利点は時間管理を徹底できるようになること、そのための工夫をすることです。

採用面接で『当社のどこに魅力を感じましたか?』の問いの答えの多くが『研修制度が充実していること』を言われます。 研修を受けて自己成長につながることが本意のようで、自己啓発の書籍を読んでおられます。

私は自己啓発は文字通り自分が考え工夫すること、必要があれば工夫することでなんとかしてゆくプロセスが啓発と思っています。 それゆえ会社は時間管理を徹底するきっかけを与えることの意味を理解し、各人に適切なミッションを与えるシステム作りが重要になってきます。

その一歩手前まで来ている当社が働きたい会社№1というのはおこがましいですが、それを目指すプロセスは№1と自負しています。

 

コメントを残す

[未分類]

利益の元

 当社は介護保険制度の事業を行っています。 このような事業を制度ビジネスと呼んでいますが、当社と同じ小売りポジションはほぼ同じモデルになります。 厚生労働省が考える制度はやたらに紙の資料が要求されます。 何のためにそのように紙を要求するのか、表向きは不正の排除でしょうが、監査にあたる行政指導を見ていると仕事のやり方にとやかくケチをつけるためのものとしか思えません。

それはともかく当社のビジネスモデルで利益の根源は介護機器のレンタル、介護保険制度が始まった当初からそのように評価されていました。 介護機器のレンタルに関わるビジネスで卸は莫大な介護機器を購入し、工場で消毒し、配送します。 この卸ポジションが一番利益率が高い構造は他業界では考えられません。

当社は調剤薬局も兼営していますが、卸は医薬品業界で一番利益率が低くなっています。 介護機器のレンタルでなぜ卸が高い利益率を維持しているのかといえば担っている機能が配送、ストック、消毒と多岐にわたっているからでしょうか?

投下資本による利益、これは低金利の環境下では利益への寄与は小さいものでしょう。 配送は配送先での組み立てもあり、最近の人手不足からコストが上昇しています。 消毒は簡単な機械の投資で出来る部分です。 この組み合わせで10%前後の売り上げ経常利益率をたたき出しています。

卸も商売ですから小売りポジションのショップに支持されなければ、つまりは売り上げが上がらなければ利益は計上できません。

多くの卸は価格競争を避けています。 5%値引きすれば卸の利益率は半減します。 売り上げが倍になれば利益額は確保されますが、それに伴う投資を考えると他業界の卸における値引きのようなメリットがないと言えるでしょう。

小売りから卸への期待は仕入値引きもありますが、配送・消毒品質などエンドユーザーでトラブルを起こさない品質を求めることになります。 これは小売りポジションの営業職のリクエストです。

当社は厚労省の紙要求に対し分業して対処していますが、徒労感の大きい作業です。 営業がレンタルをするにあたり商品選定が行われ、選定すれば納品時間を確定します。 それを卸に連絡するのですが、発注データはそのままレセプトデータにも流用できますし、発注履歴データ、納品データ、請求データにも転用できます。 その都度でなくとも再入力されてご入力が発生したりします。 最近の卸業界ではありえないシステムです。 何度か改善要求を出したのですが、そもそも卸ポジションの業務改善につながる部分が少ないのか反応は芳しくありません。

個人的には優れた発注管理システムを開発した卸の一社購買で事足りると思っています。 ネットビジネスのように一社が独占する構図にはなりにくいですが、最初にチャレンジした卸は相当なアドバンテージがあると思います。

コメントを残す

[未分類]

品格

社内で品格という言葉が話題に上ります。 現社長が品格を事業の基本にしたからです。 品格とは何か? 品格の備わった人は上品に見える、当てはまらない人を多く見てきました。 上品に見えても話をすると教養がなかったり、すべての事をお金に換算したり、小さな嘘が平気であったりすると おや!と思います。

よく気が付くけれど素知らぬ顔をしていて、誠実、朴訥、勇気があって信念をもっていてなどが品格にあたるのではないかと思っています。 そのような人にはめったにお目にかかりません。 このブログでも紹介したチャンバラ小説に登場する愚直な武士は品格の備わった生き方として作者は表現しています。 多くのチャンバラ小説で同じような武士が主人公として描かれていて、義や忠に生き、迷いがありません。 多くは家族や地位やお金に恵まれない剣客です。 日本の高度経済成長期に多くのチャンバラ小説が書かれ、時代の批判として評価を得たのでしょう。

再びフランクルの言葉で品格につき次の言葉があります。

『この地上には二つの人種しかいない。品位ある人種とそうでない人種である。』

企業経営でも人生でもゆらぎなく成長や発展を遂げるのは品位が基礎になっている場合も多いと思います。 品位の無い企業や人が大きな会社になったり大金持ちになったりします。 しかしいずれその企業が消滅したりその人生が忘れられたりすることを最新の経営学者は予言し、哲学者は警告しています。

コメントを残す

[価値観]

[未分類]

快楽と感動

 再びフランクルの言葉です。 『人間の幸福はどれだけ快楽を得たかではなく、どれだけ感動を得たかによって決まる』がテーマです。

介護事業を営んでいると同業の経営者にお会いする機会が多くあります。 人の性格の安全・安心に関わる仕事で、ご自身の考える福祉ありきで事業を営んでいる人がいます。 基本にあるのは他人への思いやり、しかしその考えで事業を営んでも利益を確保することが難しい場合が多くあります。

そもそも国が作った制度で税金を使った事業ですから規制だらけ、その規制に沿う必要があります。 事業主がここまで必要と思っても制度上認められないことが多く、また個人感覚としての福祉の手厚さの程度は大きな幅をもちます。 制度規制の幅を超えた福祉の考え方の良否はさておきそれが制度ビジネスです。

ならば制度内で一番利益を生む部分を事業として展開する考え方があります。 利益獲得を中心に据えて事業を営まれます。 この考えの大抵の方は事業が上手く行き、所得が増えると高い車、趣味、高額の住居などにお金を使います。 いわゆるお金持ちの生活を満喫されます。 善悪の問題ではなく価値観の問題で、税金を使う仕事をしていてベンツに乗るか、等と言う批判は全くする気がありません。

このお金持ちの生活は快楽多き人生になり、お金で買える感動も多くなります。 一方においてストイックな人生を送る場合を考えてみましょう。

私はお金を儲ける=商売をうまくする=ビジネスモデルを考える事か好きで、苦労して利益が稼げた時に大きな喜び≓感動を得ます。 それが喜びで事業に携わっています。 快楽にはまり感動を忘れるのが怖くて所得をぎりぎりにしています。 本当に質素な生活で事業の感動を糧に幸せな人生を送れるか試しています。 そして今のところ経営の仕事はうまくいっており、仕事主体の人生が幸せに思えています。

 

コメントを残す

[未分類]

[生活]

小さなこと

 フランクルの言葉に

『小さなことが気になるのは自分が神のように完璧であるべきだと思い込んでいるからだ』というのがあります。 ドラマの相棒で刑事の杉下右京が小さなことを気にして推理し、事件を解決する筋立てが基本になっています。 そして警察組織に馴染めないまでも杉下右京は完璧な推理者として描かれ、次々難問を解決してゆき、完璧な人格を表現しているように思います。

私はキリスト教徒ではないので神の存在を認めていませんが、完璧を求める人との出会はあります。 それらの人には少し窮屈な感じを受けますが、なるほどと思う事も多くあります。

フランクルはこの言葉で何を表現したかったのか意図は判然としませんし、宗教や文化の、価値観の違い、そしてアウシュヴッツの体験などを考えれば共感できないことなのかもしれません。

小さなことは気になります。 単に些細なことであればそれにとらわれ本質を見誤ることを避けるように言っているのかもしれません。

一方でキリスト教圏の言葉に『神は細部に宿る または 真実は細部に宿る』というのがあります。 一見矛盾して見えますが、日本のことわざにも同じようなものが見られます。 真意を確認したことはありませんが。

私の結論は小さなことでも拘るべきこととそうでないことを分けて考えればよいと考えました。 会社の中でささやかな節約、例えばコピーをするとき出来る限り白黒印刷をして5円を節約するとします。 節約の感覚をもっていれば大きなプロジェクトでちょっとした節約の発想から数千万円が節約できる、コピーの5円も積もれば大きいのですが、節約する感覚の重要さは5円を上回るものです。

私は自分の考えをまとめるときに裏紙に鉛筆で書いてゆきます。 木遺棄される裏紙は私個人の書類の中にも山のようにありますが私は間違いを消しゴムで消し、上手く表現できないことを炭に絵をかいて1枚の裏紙に考えをまとめ切ることに情熱を注ぎます。 書ききった後、その裏紙の上で鉛筆をナイフで削り、丸めて捨てます。 それで1枚の紙を最後まで使い切った気持ちになります。

ではとらわれる意味の無い小さなこと、ちょっとした言葉の行き違いをくよくよすること、などでしようか? 人によってはその小さなことをこだわるあまり暗くなってしまい、前出のフランクルの言葉が重く響きます。

コメントを残す

[未分類]

自利利他

 ドラッカーの本に書かれていたことに『いつも気難しく不愛想であるが多くの人に慕われる人がいる』という解説がありました。 長い間引っかかっていたのですが、優れた職人をイメージしていました。

無愛想で皆に頼りにされている人は確かに職人の人物像です。 その職人が慕われたり尊敬を受けるには優れたスキル以外のものをもっていなければなりません。 自分の仕事のパーフォーマンスを高めるため技量を磨き、その技量を他人のために生かして自ら誇らずであれば自利利他でしょう。 自らの技量の使い道を特定の他人のために使い、恩着せがましく言わなければ良き人になります。

しかしその技量をより次元の高い、社会貢献や社会正義にのみ捧げるのであれば尊敬される人になります。

現代の会社の中では殆どの職種において職人的技量が求められることになります。 報酬は技量の高さやまつわる責任の重さにおおよそ比例します。 法務担当が弁護士資格をもっていれば高い報酬が支払われるかもしれません。 営業職でも高い販売力やセンスをもった人はライセンスではないにしろ技量をもっていることになります。 この高い販売力をもった人が同僚に販売方法を指導して部署の成績が上がれば自利利他になります。 自ら販売する商品をより購入者にとって良いものに組み替えて、会社の評判を上げる事が出来たらさらに次元の高い営業者になり、尊敬されるでしょう。 取扱い商品のメーカーが公害を出しているとか毒性があるとかに注目し、それらの商品をボイコットして自らの業績を上げる事が出来る営業者はイノベーターになります。 物を販売することは購入する人がいて、社会に貢献しています。 販売する商品の属性に着目してマーケットの構造を変えることはさらに次元の高い営業になります。

コメントを残す

[未分類]

男を磨く

 大昔、25年ほど前ですから40歳くらいの時です。 昔相当やんっちゃだった人から『本西、男を磨け!』と言われました。 意味が解らず『どういうことですか?』と聞くと多くの人と付き合えという事でした。 私の仕事は事務職、人と付き合う事の少ない仕事です。 しかし当時は山登を趣味にし、複数の山岳会に所属し多くの人と付き合っていましたが、会社の人間とはほとんど付き合わず、付き合わなくてもサラリーマンが出来ました。

このアドバイスは以後ずっと心に棲みついて、ことあるごとに考えさせられた言葉です。 残念ながら今日に至るまで男を磨けず立派な男にもなれませんでした。 しかし男を磨くことの意味は25年考えたおかげて生きていく上で大変参考になり、言ってくれた人に感謝しています。 私と一緒に仕事をした人で成果を上げてきた人の特徴の一つは素晴らしい人脈をもっていることだと実感し、それらの人の人脈に助けられてきました。 自分の苦手な部分を貴重な人脈を惜しげもなく使ってくれた人にも深く感謝し、人生で一つの言葉がこれほど成果を生むものかとびっくりしました。

コメントを残す

[未分類]

輝く中高年

 求人難から中高年の採用を始めました。 管理職候補です。 最初に来られた方がすごい経歴の持ち主で、入社半年で大活躍されています。 続いて2人採用し、それぞれ大車輪の活躍をされています。

年齢としては50歳代、面接で履歴を聞くと高度経済成長が人生のような人たちです。 私はさらに10歳年上で、同じ年齢であってもとても勝てない人たちです。 もちろんそのような秀でた人たちをターゲットにしたわけですが、各人に伺うと再就職は年齢的に大変だそうです。

皆さん体力・健康にも恵まれておられ、長期にわたり活躍されると思われます。 企業として勝ち残っていく上で各部署の戦力増になると確信していますが、当社が比較的最近職員数を増やし、部署によっては平均年齢が低いとか、戦略思考の人がいない部署であったりとか、営業でバリバリ成果を上げた人にとって活躍の場があったことが大きいと思います。

皆さんは前職では輝かしい成績を残されているにもかかわらず全員が途中退職された型というのも特徴です。 当社が働く意欲のある中高年の輝く場になっていくことで大きく展開していきます。

コメントを残す

[未分類]

上善如水(ジョウゼンミズノゴトシ)

 お酒の話ではありません。 最近嵌ったチャンバラ小説に出てきた言葉です。 言葉自体と日本酒の銘柄は以前から知っていましたが、液体はどのような形の容器にも収まるくらいの意味しか知りませんでした。

調べてみると老子の言葉、争わず水のごとく低いところでとどまることと解説されています。 チャンバラ小説では自らの考えにとらわれず、柔軟に務めを果たす侍を評して使われていました。

会社経営の目的は事業運営を行い、利益を得て再生産しながら継続してゆくこと going concern として経営学で定義されています。

私の手元の中学生の時に使っていた昭和41年版のエッセンシャル英和辞典では『営業中』と訳されています。

私が大学の農学部で農業経営を学んでいた時には農家は利潤追求ではなく農家という家業の継続経営を目的とするように解説されていました。

自分が経営者の立場であったときには最初利益の最大化を目指し、ドラッカーが最適利益を唱えていてそうなのかと納得してしまいました。 ドラッカーは利益稼得は経営継続のために必要と言っていますが、争わず低きのとどまる上善如水は競争して利益を増やすことより競争せずに損益ぎりぎりで経営しろと言われているように思います。

経営から人の生き方に焦点を当てて上善如水を考えれば、チャンバラ小説の記述のように個人のこだわりを捨てて仕事に注力することのように生きる生き方が理にかなっているという事でしょうか?

総和行っても人はそれぞれ価値観もあれば得手不得手もあり、如水を相手に受け入れてもらえるよう各人に最適な器=仕事や役割を探し、割り当てることがその人を生かし会社が組織として機能を果たすものになると信じています。

これは大変難しく、本人が何が得意でこんなことをやってみたいと言っても大抵あてにはならず、第三者がじっくり観察して判断することが必要です。 目標管理制度もそれをみえるかする手段と思います。 手段が何であっても人のことが解らなければうまくいきません。 管理する側の人間もいろいろな人(diversity)を理解することつまりは判断する人、経営する人こそ上善如水ではないでしょうか?

コメントを残す

...23456...10...

上に戻る