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[人間関係]

仕事で悩むわけ

 最近1年で各分野で活躍した人が5人入社してきました。 当社が途中採用の職員だけで急成長(規模拡大)を果たしたのですが規模に応じた管理職が育たなかったので当社に来ていただきました。

マーケッター、商品クリエイター、MR、ソフトウェアーの営業、それぞれの分野で華々しく活躍し、管理職として組織を動かしてきた人たちです。

ある人と職員の退職理由について話したことがあります。 自らの部下が退職するとき『仕事が自分の適性に合わない』という理由を挙げる人が多いそうです。 退職希望者とよく話をしてみるとほとんどが直属の上司とそりが合わないことが本当の理由だそうです。

当社の営業職員でも退職者はいます。 大抵は実績が低迷して退職希望を出すパターンが多いように思います。 退職パターンにはまりかけた人に新しい管理職が話をすると急激に実績が上がる現象が見られました。 本人の仕事上の悩みが解消して仕事に専心すると実績が回復するのです。

何か悩みがあったのが話をすることで簡単に解決し、パーフォーマンスが劇的に改善するのを目の当たりにすると奇跡に思えます。

当社は中企業で休職者に特に人気のある会社ではありませんので何万社もある求人の中で当社を選んだ人はほとんどの場合当社への強い思い入れで入社したわけではありません。 当社の職員が学生時代から高いパーフォーマンスを出せていたらもっと人気のある企業に就職できたはずです。 もちろんそれが幸せな人生になったかどうかは判りませんが高い所得は得られたと思います。

当社でも高いパーフォーマンスを維持出来れば高い所得が約束されています。 管理職は自らの部下のパーフォーマンスを高めることが仕事の大きな部分を占めています。 私も最近その役割を担うことになり、職員の面談を繰り返しています。

最初に考えたのは面談では話し合いをするわけですが、叱らない、批判しない、その人が嫌っている人の悪口に同調しない、相手の考えをなるべく否定しない(誤解していることは可能な限り説明して解く)、笑顔を絶やさないなどです。 誤解が多く、誤解の上に憶測が積み上がりますので誤解を解けばその上の積みあがった情念は瓦解します。 もちろん人はそんなに素直ではないので誤解を資料をもとに解説しても信じようとされません。 誤解は特定の人の行為・行動に向けられ、極論すれば好悪の感情が働いています。

好悪の感情を善悪にすり替えると誤解も強固なものになります。 誰でも他人に対して好悪の感情はあり、それに惑わされない行動が求められます。 あの人は公平で人格者である、となると他人から嫌われる感情を抱かれることが減っていきます。

このことを意識しながら多くの人と面談しますがすべてうまく行くわけではなく、今のところうまい方法が見つかっていません。 しかしとても必要な面談だと思っています。 面談者にとっても自分にとっても。

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人は苦しむために生まれてきたわけではない        塩沼亮潤氏

 タイトルの方は大峰山の阿闍梨です。 阿闍梨は死を掛けた修行をなしとげた僧侶を意味します。 氏は高校を卒業するまで極貧の中で生活し、苦労して大峰山で得度して阿闍梨になられた方で、なぜにそんなに苦労して生きて行くのか不思議に思う人生を歩まれてきましたが、自分の苦労話はいかにも楽しそうに著書では語られていて悟られたことがタイトルの言葉です。

生活苦や修行での肉体苦を体験されてなお明るい文章をつづられ、苦痛を笑い話にしてしまう感覚はいろいろな苦しみの中でもがく凡人に明るさを照らしておられます。

私事ですが、65歳を超えて前期高齢者となり、なおかつ現役の経営者の一員として日々苦難に向かっていますが、高い中性脂肪値を改善するため食事を可能な限り少なくして減量に成功したり、腹筋を鍛えていて腹筋がぼこぼこ出てきたり、仕事の問題を解決するために寝られない日が続き、突然と解決したり、それぞれの局面では苦しいのですが、解決して達成感を味わえる喜びはあります。

このブログでも何度も書いていますが、私は10日計画を作っています。 前の十日の反省と今後の十日の心構えを700字程度にまとめます。 いつも予定が未達に終わったことを反省していて『もう少し苦痛に耐える力が必要だ』みたいなことを書いています。 9月1日の十日計画では、出来なかったことより出来たことに希望をと書きました。 65歳を過ぎて筋トレとダイエットで美しい?体形になったり、難しい課題が解決できたり、喜びにあふれています。

同年代の人と比較ではなく、自分が味わう事のできる喜び、感じる達成感、人間はそのようなものを糧にして日々前向きに暮らしていけると思っています。 私は先祖への感謝や自分を支えてくれている周囲の人への感謝の念はあまり湧かない方です。 同時に自分の人生を阻害してきた人に対する憎悪の念も抱かないようにしています。 大変努力し、それなりの成果を上げて喜び感じる人生を送ることが結果として周囲の人や身内、敷いては社会に何らかの貢献を果たしていると思っています。 かといって世のため人のためになることを規範にもしていません。 何をやっても人のためになるかどうかは相手次第、自分が良かれと思う事は自分の喜びに繋がり、社会にも貢献していると信じています。 結果的に周囲の人の為になれば良いと思っています。

かつて薬局の床が汚いのでそこで働く職員に掃除をお願いしたことがありました。 薬局は患者様に口に入れたりする薬を提供する場、その場が汚いのは私の心が許せません。 お願いした職員はまじめに掃除をしないばかりか掃除をまるでバカにしていました。 そこで「もう結構です」と言って5年ほど毎朝2時間程度掃除をしました。 小さい薬局なので2時間も掃除をするとピカピカになります。 その後私の指示をバカにした薬剤師は皆辞めてゆきました。 今思い出しても気持ちの良い人たちではありません。 当時は一人辞めるたびに乾杯したいぐらいうれしかったものです。 その後営業職の人が店舗研修で入ってきて私の代わりに自発的に掃除してくれました。 彼らは薬剤師の半分の給与、15年ほどたってその人は薬剤師の年収の1.5倍になっています。 辞めていった薬剤師は同じ感覚で働いているなら同じような給与で陰口を言いながらどこかで働いていると思います。

自分の信じることに誠実に生きて行くことが辞めた薬剤師にはうっとおしい事でしょうし、私の代わりに掃除を申し出た営業職の人は私同様喜びを味わう事のできる人生を全うしていると思います。

毎日2時間前に出てきて掃除をすることは苦しい人もいるかもしれませんが、同じことを喜びとしてできればそれこそ素晴らしい人生ではないでしょうか?

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