監査役BLOG

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[社会]

未来

 ドラッカーは近未来について語っています。 近未来というのは私の評価でドラッカーが直接言及していませんが、確かな未来は自分で作るものとか、未来に一般的になることはすでに起こっているとかです。 自分で作れる未来はせいぜい数年先のことです。 未来の片鱗がすでに顕れているならそれが確実に未来に主流となることであれば短期間で実現するので近未来と評価しました。

誰が未来を手にするかといえばそれを知った人ということになります。 35年前の1995年に私は初めて現物の携帯電話を見ました。 知り合いの不動産屋が利用しており、月額7万円の代物です。 かなりの大きさの箱に受話器がついていてどこでもつながるわけではありません。

1999年転職をして今の会社に入り、最初に行ったのは携帯を全員に持たせることでした。 携帯電話の本体はずいぶんコンパクトになり、コストも下がり旧モデルが1円という時代でした。 全員の通話履歴を見ると人によっては私用電話が圧倒的に多いことがわかりました。

当時はネットに接続できなかったので通話とメールだけですが携帯はあくまで道具・手段で仕事でどのように使うかがドラッカーの言う近未来の姿、無駄話をして退屈を紛らわせるのか職員の管理に役立てるのか、業務価値は使い方で決まってきます。当時の信頼する幹部の一人は自分の座っている椅子の後ろの引き出しに入れていました。 彼は重要事項は必ず紙に書いて渡していました。

その後別の幹部は通話することはほぼなく、すべての連絡をメールで行いました。 隣に座っている人にもメールで業務連絡を行います。 メモを渡すこととメールする人の行為は同じで、残る記録に価値を見出しています。 特にメールは同時配信できますので口頭よりも便利なことが多いです。 メールが瞬時にポケットの中の携帯に配信されることは効果も大きいと思います。

ある会社はメールのチャットシステムを中間管理職に置き換えて使っています。 はじめは違和感がありましたが業務効率は高いと思います。 チャットシステムを超えるメール機能はそのうち開発されて普及することと思います。 それはもはや専用アプリを必要とし、指示や結果報告の集積から業務マニュアルが自動化されるとかになるかもしれません。 そういう使い方をしている組織もあると思います。 ただし専用アプリ出ないため使い方において不便かもしれません。

人間が考えることは似ていて、仕事においてplan  do  check  actionや報連相と呼ばれることはISOの管理や厚生労働省の管轄する保険制度でも、よくは知りませんが金融機関の内部記録は似た様式をたどっていると思われます。 厚生労働省の制度ビジネス設計は携帯をはじめとした津崇信危機を前提に行われているように思えます。

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[会社運営]

相談役の仕事

 私の会社での肩書は相談役というものです。 文字通り会社業務で過去の経緯が必要な時などに『以前どうだったか』などと問い合わせを受ける立場ですが、上場企業での相談役は代表を退任したトップの座る責任なく発言権の大きい老害の象徴みたいな地位です。 私が以前勤めていた会社でも代表取締役社長を何十年も務めた後代表取締役会長、取締役会長、取締役名誉会長、相談役、名誉相談役と歴任した人がいました。 私見ですがその間会社は地味に成長し、その人の会社での価値は感じられませんでした。

私は相談役として組織の管理は外れましたが、会社の中での自分の仕事や役割を考え、実行しています。 何らかの問題点があれば関与します。 組織長に事情を聞き、自分なりの意見を言います。 各組織長は当事者で情報も多く私と違う評価でであることが多いです。 違いを説明してくれたらよいのですが納得できる説明がなされない場合が多いように思います。 オーバーコールすれば組織の統制はゆがみます。

ストレスばかりが溜まる役割です。 黙っていてうまく行くこともありますが、経験が生きることもあります。 現場目線になって私が気付くことも多く経験と自分が解かっていなかった事実や変化した環境に戸惑うばかりです。

友人の一人が落ち込んだ私にメールを送ってきて、これを見てほっこりしろとシルバー川柳なるものを添付してくれました。 例を挙げれば『女子会と言って出かけるディケアー』みたいなものです。

 

いま関わっている会社で認知症対応ディケアーを運営していて、問題があるとのことでたまに覗いています。 小さな場所で営んでいるのでどこかに立ってみていると不審がられるので利用者の一人として皆さんと椅子に座り、話をします。 10年後の自分を疑似体験しているようです。 川柳にあるようにディケアーの利用者は女性が多く、比較的元気の良い人と1時間ほど話をしました。 話の内容は自分の生い立ち、両親の話、住い等その人の人生のすべてを1時間にまとめて語ってくれました。 話の内容は具体的で要点を外さずに組み立てられ、矛盾もありません。

この人も認知症という事ですが、認知症に対する知見が少ない私としてはとても認知症とは思えません。 しかしご本人は80歳代、自分の父親は漁師をやっているという事は年齢からあり得ないことです。 記憶の中から時間を無視して話を紡げば出来ることで、語られた内容はすべて事実と思われます。

認知症老人に溶け込んでいるのが仕事かと思いますが、管理者からディの雰囲気が良くなったとのことでした。 自らは達成感などありませんが、年寄りの働きはこんなものかと思いました。 シルバー川柳を送ってくれた友人は人生の達人かもしれません。

 

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[経営]

集中

 およそ組織は企業でも行政組織でも軍隊でも情報の流れは上層に向かいます。 愛読しているチャンバラ小説(主に江戸期)でも典型的な官僚組織である幕府において情報の正規ルートは上方向で横方向には向かいません。 時代が下って第二次世界大戦の戦艦大和は3000人の乗組員の情報は艦橋に設けられた指揮所に集まり、指令が出ています。 指揮所に通じる伝達手段が途切れれば指示は出せません。

現代の大企業でも社長の所に全ての情報が集中し、判断されているところがあります。 各部署の責任者は毎週決められた日時に代表のもとに状況説明に行き、詳細説明を行い、細かい指示を受けます。 おそらく移譲されている権限範囲のことまで指示されている会社があるようです。 そのような企業が前近代的な経営方法と批判できないほどうまく機能している場合があります。 職員の多くは最上位者から詳細指示を受けることでほぼ全てにおいて免責となり、気が楽です。

情報の集中と詳細指示だけであるならメーリングシステムで解決できるように思われます。 実際にメーリングシステムですべての判断を行っている企業があります。 やれば出来るのでしょうが職員数が多くなるとどうでしょうか。 我々の世代は先輩や上司が帰りに一杯付き合うことで愚痴を聞いたりしていました。 業務内容がマニュアル化出来て例外処理の指示を仰ぐことで事足りる仕事ならうまくできそうな気がします。 しかし人のやることですからマニュアル化できないようなやりがいなどマニュアルとメールで解決できないことも出てきます。

米軍の映画を見ていると精神科医などがカウンセリングを行っているシーンが出てきます。 戦闘という極限状態での精神性の維持は難しいでしょう。 アメリカの経営学では権限移譲の話題が多く、情報・権限の上層に集中する官僚機構を否定する研究報告が多いように思われます。 その最も進化したものとして『サーバントリーダー論』です。 平たく言えばリーダーは業務を執行する部下を支える仕事に集中するというものです。 執行者は権限移譲を受け、責任をもって業務執行を行います。

あるホテルで各職員は顧客満足を得るために2000ドルまでの支出を上司の許可なく使えるそうです。 そのホテル(アメリカ本土)に宿泊した人がノートPCを部屋に忘れ、宅急便で次の宿泊先であるハワイのホテルにPCを送るように連絡しました。 そのことを指示された客室員はそのPCを持って飛行機に乗りハワイの指定されたホテルに届け、称賛されたそうです。 この職員は仕事をするうえでマニュアルに縛られることなく顧客満足を最大化できたので、いつもそのように対応できれば帰りに上司と一杯飲みながら愚痴ることもなければ精神科医のカウンセリングを受ける必要も小さいと思われます。

働く人個々人の自由度を大きくすることだけでパーフォーマンスを最大化することは困難でしょうが、働き仕事をすることについて考えるヒントになりました。

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[プライベート]

失言

 友人の一人に口うるさい人がいて、その人にとって不快なことを私が言うと批判します。 『そんなことを言うのは何時もそんな事を思っているかだ』と、思わなければ言葉にでない、誰でもいろいろなことを考え、思い浮かべてしまうものです。 何かの答を導き出すときに我々は頭の中にある情報を総当たりで組み合わせ、評価し言ってしまうものです。 学校教育でも考えるスキルという点で情報=予見を組合わせて答えを導く訓練がなされます。

組み合わせの中から最適解を導き出すのは価値観と情報の網羅によりほぼ決まります。 価値観は仕事であれば設定された目標そのものになります。 情報は集める過程でその人の本質的な価値観で決まります。 何に関心があるかで同じものを見ていても入ってくる情報は異なります。

情報を組合わせ設定された目標に合致しているか選別した解の中には特定の関係者にとって好ましくない解も含まれます。 仕事であれば皆が嫌がる作業を含んだ解で、誰かがそれをやらなければならない時などです。 他の解に比べそれが一番目標に沿っているなら皆が嫌がる作業は避けられません。 それを口に出して言えば組織の誰かがそれを担う事になり、担当する誰かが自動的に決まります。 その人は「また俺か」と嘆きます。

最適解をきめるのは仕事では組織長、誰かに負担を強いる解の決定をできない人は辛い作業を含まない迂遠な解をあえて出すときがあります。 組織メンバーの殆どが最適解に気づいていて誰かが会議でその解は迂遠であり最適解を提案する場合があります。 発言者が嫌な作業を自分がやるといえば治まりますが、特定の人に押し付ける発言をすればその人から恨まれるでしょう。

設定された目標に沿っているのでこの場合も感情を排除すれば妥当です。 解が違法であったり、他社の人権を侵す要素を含んでいれば発言した段階で許されなくなります。

会社でも政治の世界でも複雑系の話題でよくある話で、悪魔のささやきに傾くときがあります。 それを避ける方法考えていて思いついたのは利害を超越する事だと思いました。 自分の保身や決断できないという評価を甘んじて受ける覚悟があれば最適解にたどり着きやすいと考えました。

利害を超越する方法はお金や役職にこだわらず、質素に暮らすこととともに正しい目標を設定して最適解を考え抜くことに尽きると思います。 そしてそれは凡人にもできる行いです。

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