監査役BLOG

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会社運営

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過激な表現

 何かを待つことは人によっては辛いものである。 それが数秒の事もあるし、数日、数カ月、あるいは数年、待つのは何かを仕掛けたり依頼したりした結果を待つわけだが、考えて仕掛け待っている間に状況がどんどん変わってくると初めの仕掛けの意味がなくなったりしてきます。

このブログでも待つことの辛さを何度かテーマにしたことがあります。 それほど自分にとって何か変化をもたらすことを仕掛けて状況を変えようとするいらちな性格と思います。

会議で提案し、会議の参加者の反応が悪いと表現がどんどん過激になってゆきます。 皆は初めの比較的穏やかな表現の提案を懸命に考えているのですが、その数分が待てず過激な表現で追い打ちをかけてしまいます。

どうして皆の反応が鈍いのか、いらだつ間に過激な表現を考え口をついて出てしまうと皆の腰がさらに引けてしまいます。 小説の中でのやり取りで同じ場面がありますが脅して賛成を引き出す場面が多いようです。

会社の会議でメンバーを脅しても仕方ありません。 もちろん不祥事の隠ぺいなどでは取締役会で代表が他の取締役を暗に脅すことは容易に想像できます。 しかしテーマが会社の危機であっても過激な表現を使った脅しは効果的ではありません。 意見が理解されないのは注目していることが違うからで、丁寧に説明すると同じことを見ているはずなので『そういう事か』になり急速に理解が深まります。

同じ会社で情報が開示されていれば同じ土俵に立っているはずですが、注目していることが異なれば同じ土俵に立っていないことになり、まず同じ土俵に立ってもらおうとしなければなりません。 『以前にお配りしした資料に書かれたこの部分はこういう意味にとらえられるのでこのようにしたい』といえば少し説得力が出ます。

いつもこの一手間を惜しんでイライラしています。 最近は少し賢くなって比較的丁寧に提案を説明して数日後同じ問題を会議ではかります。 かなりの確立で賛成が得られます。

以前一人のメンバーが半年以上同じ提案を主張し続けました。 半年後、そのことに気づいた別のメンバーが提案に乗り、一気に決議に持ち込めました。 実現するのは難しいけれど有効な提案でした。 誰もが会議で苦労しています。

近年会議のファシリテート(容易にすること)が話題になっています。 会議の目的は情報の共有と意思決定であるとすれば出来ていない会議が世間でも多いのでしょう。

最近はまっているチャンバラ小説(武士の世界の小説)で会議のシーンが出てきます。 現代の会議と違うのは情報量、詳細な情報がタイプされて配られることはありません。 情報は主催者が判断に関わる部分を言葉で伝え、悩ましい決定を迫ります。 侍の矜持などを持ち出してパワハラするシーンが多いようです。

よい事は皆の合意、そのための情報共有は欠かせません。 現実にはチャンバラ小説に出てくる武士の会議と変わらぬシーンは現代でも多々あるように思えます。

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人のゆく裏に道あり花のみち

 前回、管理職候補として採用した中高年の型の活躍を描きました。 そもそも人的リストラをしなければならない企業何割かは利益の最適ではなく最大を狙うあまり、過剰な採用を繰り返した企業だと思います。 豊富な経験を積み優秀な人がリストラ対象になったのか、ご自身を含め同僚で退職した人と残って高い役職に就いた人に違いがあるのか、答えはイエスでありノーでありました。

イエスの訳は残って高い役職に就いた人は成果を上げる以外の努力をしていたというもの、トップにへつらうという意味ではなく将来を見越した貢献を積んでいたという事でしょうか?

ノーの訳は残る人、さる人どちらが残ってもその企業の将来に大きな違いがなく、双方とも現役時代の業績も変わらなかったというものです。 つまり企業が人的リストラを始めるずいぶん依然、10年くらいは昔にその原因は起こっていたと思います。 それを当時の経営判断ミスというには酷な気がしますが、明らかに過剰な採用を行ったうえで新たな事業展開を行わなかった企業など強気の戦略が裏目に出たものもあります。

人的リストラの方法も50歳以上の管理職を退職金を上乗せして一律解雇するもの、希望退職を募るもの、指名解雇などいろいろでしょうが、一方で所属する会社の方針や処遇に満足のいかない人がスピンアウトされています。 30歳前後の方の採用面接で職歴のある方はスピンアウトでしょうが30年以上勤続し、成果を上げてスピンアウトする型と理由が違うのかと思います。

他社がいらないとした人材を当社で生かす事が出来れば大きな社会貢献だと思います。

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衣食足りて礼節を知る

 当社代表が求めるのは『品格』、抽象的であり具体的にどのように振舞えばよいか判断しずらい局面は多くあります。

私が最初に思い付いたのはタイトルの言葉、他人を敬い、敬意をもって接することは欧米の個人主義とは異なるものと思っています。 『衣食足りて』のくだりは現代社会では合わない言葉かもしれません。 言葉が出来た時代背景は商品経済が発達しておらず、日々の食事や服に困ることが貧しい者の常態であったと想像します。 現代社会では貧富の差はあっても食べるものに事欠くことは大変まれでしょう。

このように生活環境が変わっても言葉が生き続けるのは礼節を重んじる人がたくさんおられ、官僚のセクハラ事件、書類隠蔽など相当な高学歴・高収入・高い社会地位の人の礼節を欠いた行いが大きな話題になるのでしょう。

品格の話題に戻り、私が会社の意思として品格について及んだことはフリップ コトラー博士の『マーケッティング3.0』で提唱されているフェアートレードではと代表に確認しましたがそうではないとのこと、なかなか意味が深いようです。 ただし本人もそれが何か、明確に表現できないようです。

かつて私が会社の代表であったころ、社員の多くが私に求めることが尊敬出来て優秀で話がうまく気前も良くて知的でありかっこいい事、それでいて的確な経営判断を下し、会社を安定拡大できる人、であれば自分も精一杯付き従って仕事に注力しようというものでした。

私もその意味で多少の努力をしましたが、経営判断としては利益や規模の最適化を図ることをどの職員に何をやらせるかという方法で出来るだけ自分の判断を控えて経営してきました。 決して知性や品格に応えられる人ではなかったし、せいぜい時間や約束を守り、難題から逃げない姿勢はかろうじて保ちました。 お金がなかったときは服も着た切り、靴は穴が開くまで履いていました。 いま余裕が出来て衣食は足りましたが、人としては誇れる人格と思っていませんし繕う気もありません。

このように考えるのは会社運営は矛盾だらけ、かっこよく経営できるほど簡単ではないと判断しているからです。 しかし品格を否定しないまでもそれは品格か!と思われるような悩ましいダイナミックな判断が品格を兼ね備えながら発展出来る方策だと思っています。

仕入先を不当にたたき、職員に厳しすぎる責めを負わせて僅かに利益を稼ぐより、イノベーティブな改革を行うなどです。 いま行っている各部署のやり方はそれなりに意味ある方法ですが、改革すれば人が余ったり、仕事の難易度が上がったりします。 その時余った人は配置転換されて苦痛に思い、新しい方法をやらねばならない人は当初大きな苦痛を伴うでしょう。

このように考えれば『品格』はイノベーションを伴うととんでもない話に繋がってゆきます。

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記録

私は10日ごとに予定表を作っています。 健康維持とぼけないために良いと思われる項目を何十個か設定し、やった項目に〇をつけていきます。 丸の数が多ければよくやっと自己満足します。 項目によっては辛いものと楽なものがあります。 例えば腕立て10回と腹直筋(仰向けに寝て上体を起こす)30回はそれぞれ〇一つです。 文庫本の小説や仕事の本を読めば〇10個、10日合計300個くらいを目標にしています。

楽なこと、つらい事バランスよく行うのは難しいですが、腹直筋などは回数を重ねると楽になってきます。 そこで50回で〇一つにするとしばらくやらなくなります。 バランスは仕方がない、その時やる気の起こることだけでよいと考えています。 最近では小説にはまっていて2日で1冊、結構時間がかかるので他の事がおろそかになりますが、今は楽しいので厭きるまで小説にのめりこもうと思っています。

記録し、目標にすることは記録しないより効果的に達成できます。 達成〇個数が目標になってしまっていて、健康でいる・ぼけないはかすんできますが、ムラがあっても適当に筋トレも行うので健康やボケ防止につながります。 もう少し具体的な目標、トエック何点とかゴルフのスコアいくらなどになってくると身勝手な老人としては『どうでもいいや』と思った瞬間努力しなくなります。

会社で同様なものに予算があります。 これは明確に数値化し、必達を前提にしています。 当社はこのように成って行きたいという経営目標を数値化したものが予算です。 ないがしろにするとこうなってゆきたいという経営目標そのものの信頼が揺らぎます。 『どうでもいいや』では許されないものです。 それゆえ経営目標の重要性が問われます。

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各論と総論

 経営の仕事は総論を練り上げること、各論は現場直接の話になります。 木を見て森をみず、のことわざも同じことだと思います。

木が1本生えていて、その木の横にまた木が生えていてさらにその横にも生えていて、見渡せば林になっていて、さらに離れてみると大きな森であると思っている人は多いと思います。

森はあるエリアの植生が樹木で構成されているところ、草だけ生えていればそのエリアは草原になります。 木が生えていれば森かというと公園も木が多く生えていますが森とは識別できません。 では森は広いか狭いかの問題かというとそれも森の意味するものです。 木が多く生えていてその中に動物がいて、生態環境があることでしょうか。

言いたかったのは木をたくさん積み上げても森の議論にならないことです。 事業で言えば個別の商品の価格や品揃えは各論でよく話題になることです。 ディスカウントストアでは低価格が売りですが、販売数量が多ければさらに低価格で販売する事が出来ます。 いわゆる薄利多売、小規模店舗のディスカウントストアはあまりありません。

ディスカウントストアというビジネスモデルは総論の範疇、ディスカウントストアで高級ブランド品の販売はいくら低価格で提供できても一般的ではありません。 高級ブランド品は高額でも取引されるので高級、値引きして販売するのであればもはや高級ブランド品ではありません。

各論では原則を無視した議論がなされがちです。 それを積み上げるとまとまりがありません。 時々一見まとまりのない品揃えで成功しているディスカウントストアがあります。 ドン・キホーテは高級ブランドのバッグや時計を値引きして販売しています。

前置きが長くなりましたが、原則は総論は総論として、各論は各論として議論しなければならず、各論の積み上げが総論ではないのと同様に総論を分解すれば各論を導き出せるものでもありません。

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職員採用

 私は求人の仕事をしています。 当社は中小企業ゆえに新卒が押し掛けてくることはありません。 殆どの職員が中途採用です。 当社にとって魅力ある人が応募してくることもあります。 時代は採用難、採用出来ないばかりか応募も減少しています。 中高年の転職組は求職者がまだ多いように思います。

先日応募いただいた上場大企業で昇進を重ねられた50歳代前半の方はこの年代の就職環境の厳しさにぐったり疲れておられました。

近年の求人難はなぜこんなに厳しいのかよくわかりません。 ほんの10年程前まで新卒ですら就職率が低く、人的リストラも広く行われていました。 大企業の業績が円安の影響で大きく改善したことは解るのですがそれだけでここまで求人難に陥るのか理解できません。 10年ほど前から見ればIT技術の向上など生産性も上がっているはずです。

私の入社した20年前の当社は人・モノ・金・情報どれも不足していました。 手に入るもので勝負せざるを得ないので、低賃金で求人をかけると多くの応募者があり、出来るだけ面接をこなし、優秀な人を採用しました。

仕入先と交渉し、当社に合う仕入先に変更することで多くの情報を得られるようになりました。 業績が改善し、多くの銀行の訪問を受けました。

人は採用できないときは有料職業紹介を介しても欲しい人材を潤沢に採用できません。 そこで応募者の多い50歳以上の人の採用を提案しました。

この年代の人の履歴書をみると立派な経歴が記載されていて、こんな人がなぜ応募してくるのかと思いますが応募されるので面接いたします。 『何でもします』とお答えになります。 異業種から来られた方なので少なくとも1年ぐらいは下働きをしなくてはなりません。 何人がそのような方も働いていただいて、優秀な方、前職の地位が高かった方も自転車で顧客を訪問するような下働きをしていただき、取締役になられた方もおられます。

採用にあたって年齢も経験も重要ですが、その人の持ち味あった働き方を提供できれば今の環境でも採用は叶うと思います。 障害になるのはご本人のプライドや体力もあるでしょうが、受け入れ企業の管理職のかたくなさは一番大きな障害になっています。

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会議運営

 会議の目的の一つに『決めること』があります。 取締役会は株式会社において法定された重要事項を決定する機関と会社法に定められ、重要事項も定義されています。 会社法は会社の債権者及び株主の保護を目的としていますので、取締役会の決議事項が否定されるのは債権者や株主の不利益になる決定であったり、他の法律の定めに反する決定をなした時です。

もちろん取締役会であっても決議機関以外の役割を果たすことがあります。 取締役の情報共有などがあります。 議題があればほとんどの場合何らかの決起をなす上で大抵重要事項なので会議運営では気を使うことになります。 各取締役は議題に関わる事項を示してくれます。

例えば重要な仕入先をどこにするか、候補が何社かあり選ぶときに仕入先に関わる事業部門を担当した人は議題が出た段階でどこにするか決めています。 ひょっとして担当取締役は以前にその仕入先からお歳暮を貰って飲食やゴルフの接待を受けたことでそこに決めようとしているのかもしれません。 仕入先はたいてい継続反復取引先、決定要素としては品ぞろえが豊富、仕切、納品品質(欠品がない)、情報が多い、良い会社で駆け引きがないなど多少心情的判断もあるかも知れません。

取締役の中には仕入先選定に関係のないことを話す人がいます。 ある有名人がそこの会社出身とか親戚が務めているとかなどです。 選定に関係のない話題が多く出てくると時間が過ぎて何も決まりません。

私は『それは意思決定に関係するか?』と問います。 もちろん理屈の上ではA社であるが直観でB社と思う事があります。 私の場合はそれが多く、直観がうまく働いて成功した場合も多くあります。

成長している会社の経営者は感の優れた経営者が多いように思います。 そのような経営者が感で判断したときでも決定理由をうまく表現できれば他の取締役は素直に従います。 感とは何か、おそらく経験に基づく推定で、他のメンバーの意見と異なる意見を感として表明する人は他のメンバーと違う経験値が多いのかもしれません。

私は素晴らしい感が働く経験をしてこなかったように思います。 多くの困難を追い詰められながら判断してしのいできた経験などです。 マイナーな趣味をもっていたので、一般的でない経験は多いかもしれません。 趣味の一つに読書があり、これは珍しい架空の経験をさせてもらい、経営判断に大いに役立つ感を養えたのではないかと思います。

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ボーダーレス

私はすでに64歳ですが、二十歳代のころ何をするにも多くの規制や規範がある一方で高度経済成長が続いていました。 為替も固定で1ドル360円、1971年スミソニアン協定でドルの切下げにより308円/ドル、1985年プラザ合意により変動相場制に移行した円は200円/ドルとなりました。

1971年で私は18歳ですから国際的な金融改革とともに生きてきたことになります。

現在企業の決算発表で為替の影響は必ず解説されています。 金融のボーダーレス化とともに輸出入の増加、冷戦の終結へとボーダーレスは進展してゆきます。

スミソニアン協定の1971年から30年、国内でもボーダーレス化は進みました。 個人的に実感できたのは家制度の変化です。 私が子供のころは家長である父親が絶対で、結婚相手、就職先、住まいなど重要事項は家長の承認がなければなりません。 そもそも前節したように金融・経済・国際関係が急激に変化していく中、東映の映画の時代劇のような家長制は機能しなくなっていて、都市部では崩壊していたと言えるでしょう。 しかし私の生家は都市近郊にもかかわらず古き文化を温存していました。 私の家族との関係はこの家長制との戦いが大きかったです。

我が家は社会性が低く、私が経済的に独立しても父親などの温存の努力は続きました。 私が30歳を過ぎるころには何を言われても従う事がなくなっていましたが。

ボーダーレスは規制がない半面、自己責任がついて回ります。 古い価値観が残る組織でボーダーレス=個人主義を貫くと自己責任を厳しく追及されます。 組織と強調したなあなぁの責任体制から『勝手にするのだから責任はとれよね協力はしないから』というのが守旧派の対応で、会社でも入社したころはずいぶん苦しめられました。 いくら苦しめられても自分の考えを貫く生き易さを選んでスピンアウトし現在の会社で働くようになったわけです。

自分の考えを貫いて個人として生きていく上ではよかったのですが、会社という組織でボーダーレスが生きるマネジメントを行うには人事評価だけで解決できないものがあります。 社風や企業文化は新たなボーダーで、古きボーダーから変化するだけですが、進化と言えば進化です。 この厄介な企業文化については経営者も手を焼いているように思いました。 次回は当社のボーダーレスと新たなボーダーについて解説したいと思います。

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思いは叶う

18年前介護保険法が施行され、貸与事業を中心とした事業展開について最初に考えたことがあります。 そもそも高齢者で介護を必要とする方が対象の商売ですから地域密着である。

地域密着であるからには故利用者である高齢者の多く住まれる地域で密着することが必要で、同じ地域密着の商売でもコンビニエンスストアのように露出度が求められるわけではない。 地域密着の必然性は呼ばれた時にすぐに行けること、移動効率が大きな意味をもっていると考えました。

大阪で商売をするなら大阪市の中心部である北区、中央区、浪速区などのオフィス街を取り囲む地域が対象と考え、大阪市の北部である旭区、元々拠点のある天王寺区、南部の平野区に出店すれば大きく的はバスさないだろうと考えました。 そしてその通りに出店し、一定の成功を収めました。

タイトルの通り、言いたかったことは『思いは叶う』ことです。 当時そうすることが最善と考え、疑わず目指し続けたらその通りになったという事です。 当時介護事業はある会社のフランチャイジーで、オーナー会などで他所のオーナーと事業運営について話す機会が何度かありましたが、誰も私のような話をしませんでした。 どちらかというと職人的技量=福祉用具専門相談員としていかに質の高い事が出来るか、そのために国家資格者をフランチャイズ本部も雇用し始めました。 専門性は重要なことで奥は深いですが、介護の商売の現場で重要なことはほかにもあります。

専門性を含め重要な事の優先順位を考え、それに合ったビジョンを描けば叶う可能性は高いと思います。 ビジョンを強く思い描けばビジョンのマイナーチェンジも行われ、より現実的になります。 実現させるにはビジョンに関わるチャンスが訪れた時にすかさず捕まえること、そのために普段から活動をしておくことでしょうか?

思いを描くよりも情報を集積することにより現実へのアプローチをしようとしている人が多いように思います。 ネットの調査は皆熱心で情報は収集していきます。 しかし情報が過多であれば情報に縛られ、最善の思いを描きにくくなります。 そのような罠にはまっている人がいかに多いか、人を見ていて強く感じました。

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目的と手段

久しぶりに営業の会議に参加しました。 共有すべき情報の話題や販売方法に関する手法の話題がほとんどです。 こんな方法でアプローチしたとか、こういう傾向があったとか、『営業の達人』的な出版物を読んでいるような会議でした。

私のもっている営業のイメージは何をしてどれだけの実績が上がったという行為・行動と実績、『営業の達人』的な解説を生の営業会議で行うのか疑問を感じました。

イメージは営業は結果だろう、評論家でもなく作業に落とし込んだルーチン業務をこなすのが営業ではないと思っています。

もちろん営業にもルーチン業務はたくさんあり、それを否定するものではありません。 しかしルーチン業務をこのように行えばよいという事を話し合う場が営業の会議とイメージできません。 もちろん画期的なルーチン業務の改善があれば会議で報告すべきでしょうが、その前に行うべき話題があると思います。

ここでいうルーチン業務とは(あくまで私見ですが)インプット、アウトプットが同じパターンで行えるもので再現性があることと思っています。 営業に多くあるルーチン業務は少しづつ専門家に任せていこうとしています。

ルーチン業務の多くが営業職の手から離れるようになれば営業会議で営業車は何を話すか、戦略に基づく戦術や具体的行動とそれによる実績になるでしょう。 ルーチン業務が現営業職に多くある中で発言の多い人がルーチン業務が自らの業務で無くなったときに会議で何を話すか、もし議長が会議のファシリテートを本来事項から外さずに行えばそれらの人は沈黙するよりありません。

誰が沈黙するかは現在の個人実績を見れば明らかです。 行動する人が実績を上げる、実績を上げていない人は行動していないか的外れの行動をしているのでしょう。

勝利に不思議な勝利があり、敗北に不思議な敗北なしという言葉がありますが、営業の実績が上がっている人は時として不思議な実績を上げます。 そして実績の低迷している人はなるほど上がっていないとすぐに実感できます。 問題は自ら実績が上がっていない営業者が自らが営業していないことを認識していない、実績を上げた行動が評価されていないという事です。

だから叱責を上げていないものが会議をファシリテートすると会議の目的が迷走します。

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