監査役BLOG

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[趣味]

チャンバラ小説の凄み

 チャンバラ小説を読むことは何度か書きました。 チャンバラ小説は最終的には刀を振り回して事を決するわけですから鉄器の製作が始まった時代からになるでしょうが、小説として厚みのあるのは江戸時代でしょうか。

武士階級が1600年に関ケ原の戦いで戦争を終結させ、封建時代の安定期である江戸時代が約260年も続きましたが、経済としてこの間大きなイノベーションがなく、生産力の画期的な進展が見られなかったことが安定の大きな理由といえます。

世の中の安定期に話題になることの一つがしきたり、ルールでしょうか。 現代社会でその地位が比較的安定している職種でいえば医者、上級職の公務員などで、彼らの世界には独特のルールが存在すると思われます。 あるMR(医薬メーカーの営業)の人と話をしていて、医局(医師のいる部屋)に入るときに目的のドクに向かう通り方に決まりがあると聞いて驚いたことがあります。 権限と医師会という政治団体で守られた地位は不動でその上に胡坐をかく輩の行為行動は目に余るものがあります。

薬局に処方箋を持ってきたが医師が調剤が遅いなどと喚き散らします。 その態度はチャンバラ小説に出てくるアンダーグラウンドの浪人と同じ、浪人は地位も権力を守る医師会御用達の弁護士も多くの報酬もありませんが刀という特権があります。

江戸期に限って小説の対象は武士階級、岡っ引きなど警察組織、経済の主役たる商人、職人としての町人(脇役が多いですが)、医師、農民、漁師です。

圧倒的に主役は武士、では現代小説で医師などが対象にならないのはあまりに話題が面白くてないこざかしい話題が多いからでしょう。

江戸期の話に戻して、今読んでいるのは佐伯泰英著の吉原裏同心シリーズです。 剣技に優れた浪人が吉原で起こる事件を解決してゆくというもので、奉行配下の公権力でなく自警団です。 したがって偉ぶることもなく、権限もなく、薄給で命を懸けて働きます。 何もない中で公権力の同心与力より成果を上げることを期待されます。 無いものに組織力や情報も含まれます。 PCもネットもない中で聞き込みと推理、情報は書き付けることなく全てが記憶です。 多くの登場人物、複雑な利害関係の中でわずかな情報を元に組み立ててゆきます。

当時PCとネット環境、携帯電話があれば我々でも同じように事件を解決できるかというとツールがかえって頭の中の組み立てを阻害したかもしれません。

チャンバラ小説の醍醐味の一つはこのように便利なツールなしで、抜群の質問力・推理力、誠実さで多くの人との信頼を得ることを武器とすることがツールで装備された現代を凌ぐことがある、無視できないことに面白みがあるのかもしれません。

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[プライベート]

悩むこと、考える事

 ○○について考えました。 採用面接の面接の一コマです。 例えばなぜ転職しようとしたのかを質問したときなどです。 転職は普通は人生の大きな決断、誰でも今の職業についてこのままでよいのかという不満や不安があり、悩みます。 そして友人などに悩みを打ち明けてアドバイスを求めたり、転職すればという後押しをしてもらいたいと思います。

その人は転職しても基本的な不安や不満は多少小さくなったりしても解消しません。 不安や不満はその人自身の問題で、本人と周囲の環境(ほとんどが人間関係)で不安や不満を感じます。 転職先の仕事が適当に忙しく、それをこなそうとする気持ちが強ければ不満や不安はあまり意識しなくなります。

若いときに大峰山系の山から沢伝に下山する途中で日没になってしまい、下山できなくなったことがありました。 空は雲に覆われ雨が強くなり、ビバーク(野営)や非常食の準備をしていませんた。

日没とともに真っ暗になりか雨具を着たまま岩の上で寝てしまいました。 寝ている自分には雨は降り続けたのですが真っ暗闇で対処のしようもありません。 日の出とともに目覚め下山しました。 何も食べていないので空腹のはずですしタバコも吸っていません。 疲れているはずだし、熟睡したとは思えませんがなぜかすっきりした気持ちで帰路につきました。

たまたま身の危険という状況だったので何も感じなかったし、熟睡もしたのでしょう。 不思議な体験でした。 その時を振り返り何を考え、悩み、不安を感じたか思い出せません。 何も考えないし、不安も感じなかったのでしょう。 帰宅して家族は葬式の心配をしていたのは驚きでした。

このように強いストレスがあるときにはかえって冷静でストレスはおろか苦痛も不安も感じなくなるようです。 この時身の危険というほどではないストレスだったら『下山できないことの連絡をどうしよう』とか『明日の会社の仕事は誰かしてくれるか』等と言う不安や皆に迷惑をかけたという悩みを感じたことだと思いますが、とにかく無事に下山する事、沢を下っての下山は大変危険で滝で転落する事故の危険は大きかったので次の一歩の安全が考えることで緊張しており、会社や仕事の事は頭に浮かばないものだと思いました。。

話は横道にそれましたが、転職の判断において身の危険はありません。 従ってしんどい仕事か、給料が減るかなど雑念に振り回され一番考えなければならないことが考えられないようになっています。 もはや考えているのではなく悩んでいるだけで自分で考えた結論には至りません。 身の危険のような強いストレスも無いのに雑念に振り回されることなく考え結論を出せる人に何人か出会いました。 損得だけで考えれば損をしたような結論を出したかもしれませんが、それらの人から後悔の念を聞いたことはありません。

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[人間関係]

坊さんの話

 曹洞宗の僧侶で南直哉さんの『超越と実存』を読みました。 今までの読書体験で理解できなかったトップに近い書籍です。 数ページ読んでは読み返し、それでも1割も理解し得ていないでしょう。 読後第17回(2018年)小林秀雄賞の受賞策であることを知りました。 この賞は日本語表現豊かな評論、エッセイに送られる賞だそうです。

内容として副題である「無常」をめぐる仏教史でお釈迦様に始まり、法然、親鸞、道元に至る日本仏教史の中で仏教観の変遷を解説されていて、エッセイというよりアカデミックに感じました。 ずいぶん苦労して読んだ割には理解できていないので評価は差し控えます。

南直哉さんについて知りたく、ネットで検索するとユーチューブにNHKの『こころの時代~宗教・人生』で南さんの対談の映像を視聴し、一つ解ったことがあります。 対談の中で自分の認識について以下南さんの解説です。

自分というものはない=無我が現に自分は存在していてどのように認識するか、自分を台風の目に例え、台風の目は何もない穴、この穴の実態は何か、何もないという解説です。 実体の無い台風の目を自我に例え、穴とその周辺で強風が吹く、その関係性が自我であるというものです。

別の例をすればコップ、液体を入れて飲むための道具がコップで雑貨店で並んでいるコップはコップではない、コップという実態ではないというものです。 なるほどこの関係性を縁起というそうです。

なんともめんどくさい考え方で、一体何の役に立つかというといじめなど社会現象をこのような縁起で考えると解決の糸口が見えてくるというものです。(生半可な認識なので南さんが聞いたら怒られるかもしれません)

採用面接で応募者に質問します。 「貴方はどんな人ですか?」、「私は実存しない、台風の目のようなものです」と答えた人はいませんが、この質問をしながらいつも疑問に思っていたことがあります。 常識的な答えとして 意志が強い、やさしい、数学が得意、経験が豊富・・・等々です。 意志が強いとは孤島で一人で暮らしているわけではありませんから何か対象があって意志を貫いているのでしょう。 強いという事は何かの比較かもしれません。 部活のサッカー部で一人で居残り練習をしているとか、他の部員が部活を終えて帰宅しても一人練習している、他の部員より意志が強いになります。

ある時から「あなたはどんな人ですか?」をやめて「あなたは周囲の人からどのように思われていますか?」に変えました。 何かアピールポイントがあれば、例えば負けず嫌いとか、そのエピソードを聞くようにしました。 この違いは南さんが解説する縁起を聞いていることになるように思います。

ドラッカーが『人は自分の強みをわかっていない、せいぜい弱みの一部を知っている程度」という解説がずっと引っかかっていましたが、もしドラッカーが南さんの縁起の解説を生前に聞いておれば面白い著書を出版したかもしれません。

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[プライベート]

錯覚

 日曜日にこじらせた風邪が良くなくて外出を控え、暖かくしてチャンバラ小説を読んでいました。 1冊読んで疲れてしまい夕方ベッドで寝てしまいました。

目覚めたのは5時半、変な夢を見ていたので熟睡したように思えないのですが会社に行く支度をしました。 家を6時30分に出ましたが、まだ空は暗くこんなに日の出が遅かったのかと思いながら地下鉄に乗り谷町九丁目で降りて7時10分、地上に出るとまだ空は暗く人がまばらに歩いています。

今日は歩いて5分ほどのところにある子会社に行こうと思い歩いてゆきました。 途中でフランチャイズの不動産屋さんが店を開けており、朝から店を開けるなんて珍しいと思いました。 その先のラーメン屋では何人か客が入っています。 朝からラーメンと思いながらすぐに会社につきました。

その事務所は2階でパソコンの画面が見えるようベランダは遮光カーテンがひかれています。 7時20分になっていましたがいつも早く来られるヘルパー職の方がまだ来られていません。 今日は掃除をしようと思い掃除機をたんねんにかけました。 メールチェックをし、8時前に事務の責任者が来るので話をしようと時計を見たら8時5分前、遅いなと思いながらカーテンの隙間から朝日が差し込まないのを不審に思い、カーテンを引くと外は真っ暗、背筋がぞっとしました。 時計を見たら8時丁度、8の前に午後と表示されていました。

しばらく考え自分が12時間先を行っていたことに気づきました。 なぜ気づかなかったのか、振り返れば初めに見た時計はアナログの腕時計、地下鉄もアナログ時計、地下鉄がかなり遅れたことも気にならなず、込み具合もいつも程度、初めにおかしいと思ったのは地上に出た時でした。 朝の7時過ぎに真っ暗なのはおかしいと思いました。

毎日同じパターンで生活していると風邪をひいて寝込んだら全く時間がくるってしまったという事でした。

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[コミュニケーション]

人の使い方

 ネットで賃貸住宅の管理業者を調べてみました。 最初に出てくるのは比較サイトでした。 どういう物件ならどこどこの管理業者は管理料いくら、管理契約形態はこれこれと出てきます。 便利と言えば便利です。

目的は私が管理している賃貸マンション管理を代行する業者を探すのが目的です。 今までこのような調査をする場合に極力ネットを利用しませんでした。 理由は信頼できるポイントが判らないからです。 業界を横断する仕事をしている人で信頼できる人に紹介を依頼します。 今回も顧問弁護士と顧問税理士に依頼しましたがうまく行きませんでした。 次に保険代理店に依頼し、紹介してくれた業者に決めようと思っています。

当社が客で取引があるところに紹介を依頼すれば、相手は私にとって最適の業者を紹介してくれる確率が高いです。

当社が客である取引先から中元や歳暮を贈ってきたり、表敬訪問されたりしますがそれで私は信頼感が増すとは思っていません。 私は何かで困ったときに紹介してもらうとか知恵を借りるために取引先に聞きまくります。 紹介してくれた人や知恵の質から問い合わせをした相手の人脈・評価力を評価して今後の取引に役立てます。 少なくとも歳暮、中元や接待(最近はどの業界も減りましたが)で評価は低く、基本的に酒席はお酒が飲めないので断っています。

例えば私は顧問税理士を20年間で4回変えています。 同じ業務で顧問料は倍ほど違います。 税理士であれば節税の質問を沢山して専門性を評価します。

取引先を変えるのは簡単にできることで、こちらに選択権がある取引先は仕入先を含め何社も変えてみました。 大きな販売先もお断りしたことがあります。

悩ましいのは取引先として良い会社ですが担当がうまく立ち回れないケースです。 その場合は担当の上司、二階級ほど上の人と会って仕事の話をします。 担当の不備は指摘しません。 当社はこの事業をこのように拡大したいなどビジョンを話します。 勘の良い人であればそれならこの担当に変えてみようとなります。

仕事の方法として古いやり方かもしれませんが私にとっては便利な方法です。

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