監査役BLOG

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[習慣]

疑わない者に成果はない 疑いは創造の母である

 タイトルは誰の言葉か知りません。 初めて目に触れた時も『なるほど』という感慨はありませんでした。 しかし気になりノートの端に控えたものです。

日常生活で、そして仕事で人は仮説を立てその通りに事が運ぶか見守ります。 上手く行くかどうか見えない結果を予測するのが仮説で、結果への疑いになります。 定理のように結果の証明されているものは疑いようがありませんが、日々の事象で定理のように結果が証明されていることはあまりありません。 従って疑う事=どのような結果になるだろうと予測することは誰もが行っていることで、何度も予測を行う事で確率が高まります。 いわゆる経験知です。

ここに人が絡んでくると大変複雑になります。 天気予報は膨大な情報を分析できるようになって確率が上がりました。 しかし膨大なデータがなく、データ解析するアルゴリズムも演算するコンピュータもなければ天気予報を行う者の主観の影響は排除できません。 古くは経験知と占いで天気予報を行ったかと思います。

しかし予測すべき事に複数の人の個々人の利害が絡めばその解析は優れたアルゴリズムが開発され、AIを駆使しなければ精度の高い結果は予測できません。

日常生活で又仕事でAIを駆使するわけにはいきません。 自ら何も影響を与えられないのであれば自らは傍観者ですべての結果は与えられるものです。 自らが結果に影響を与えることが出来るのであれば予測の確立は上げることが出来ます。

今夜友人と会食で、友人は和食が好きですが自分は中華を食べたいなどは友人を説き伏せれば叶いそうです。(たいそうに言いましたが『中華にしよう』と言えば大抵叶います) もう少し多くの人数と厳しい利害、考えの違いがある場面を想定します。

取締役会でかなり劇的なことを提案したとします。 他のメンバーの反対が予想されます。 一取締役としてはどうしても承認を得たい事だとします。 他のメンバーがその提案に反対することは予測できるのですが、なぜ反対するのか理由は予測できません。 人が絡むと複雑になります。 自分が判っているのはその提案が会社にとって必要と判断していることで、他のメンバーにとっての得失が判らないという事です。 取締役会は会社にとって利害を討議する場ですからメンバーの得失は本来関係ありません。

プレゼンの不備から提案が承認されない場合はあり、結果的に会社は何らかの利益を失うことになったとします。 しかし損失の原因が提案が承認されなかったことに起因するかどうか証明されなければ結果を受け入れて終わりです。

提案者が他のメンバーの得失を慮り、提案を多少脚色したり事前に個別に説得したり、個人的損失の補てんを約束したり、いわゆる根回しをして提案の承認を得たとします。 結果会社は損失が発生しませんでしたが、提案の承認が損失の発生を止めたかどうか証明できなければ何事も起こらない状況が受け入れられるだけです。

何かを提案し、実行されてもメンバーが総て提案とリスクに疑いを持たなければ提案者が称賛されることはありません。 メンバーの疑う力が強ければ物事はなかなか決まりません。 程度とバランス、見えない未来と見なかった過去、良い結果を生み続けるためには優れたAIのアルゴリズムが出来るまで人は感と度胸と忍耐で勝負しなければなりません。

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[会社運営]

貢献

 営業職の採用面接で『負けず嫌い』かどうかを質問します。 性格のパターンとしてファーマー型、ハンター型があります。 地道にコツコツやるのがファーマー型、動き回って仕事を取ってくるのがハンター型くらいに認識しています。

広告代理店で執行役員になった友人は自らをファーマー型と言っていました。 いつも忙しく動き回り、行動力があるのにファーマー型と自己評価したのは以外でしたが、営業職というのはまめに畑を耕すのが仕事で動き回るだけではダメと言っていたのが印象的でした。

当社の営業職でもどちらのタイプもおられ、相互に活躍していて二つのタイプが必要と思いました。

採用面接ではその人が当社で仕事で貢献してくれるかどうかがポイントになりますが、ファーマー型であれハンター型であれ貢献する人もいればそうでない人もいます。 つまりはどのようなタイプの人という分析と貢献するかどうかは別の評価になってきます。 それでもどのようなタイプの人かは最初の面接で把握しておきたいことです。

貢献する人かどうかの確率をあげるのはどのようなタイプの人か見分けるよりも大変難しいことです。 タイプの評価確立をげる為に視点を変えて質問を繰り返せば精度は上がっていきます。 入社後本人の活躍を見ていて『やはり』と思うことはよくあることです。

しかしこの人はすぐに大きな成果を上げるだろうと思っていた人が空振りだったり、余り期待していなかった人がいきなり貢献したり、暫くしてから突然貢献が目に付く人もいます。

採用面接は採用側は本人適性を計り、応募者は勤務する会社適性を見る場です。 適性は確かに大事なのですが、よほどの事がない限り殆どの人は当社で貢献でき、殆どの人は当社で貢献しないように思います。 これだけ言えば人が仕事で貢献するかどうか会社の風土・教育に全責任があるようですが、私は風土・教育が多くの職員の貢献に絶対的な影響を示していると思いません。 他人と過去は変えられないと言う考えです。

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[プライベート]

ある休日

 最近時間の余裕が出来たので勤労感謝の日にほったらかしにしていたことを片付けようと思い立ちました。

30歳代、11月23日勤労感謝の日は毎年白山に行っていました。 白山公園線という観光道路があり、白山の標高1500メートルの駐車場まで通じています。 勤労感謝の日前後に積雪の為閉鎖されます。 生活道路ではないので積雪があれば除雪せず閉鎖です。 駐車場にテントを張って前夜泊、朝からスキーの板をリュックに取り付け約2700メートルの山頂を目指して登ります。 くだりは板をはいて滑って降りるのですが、毎年のスキー始め行事でした。

スキーをやめて20年がたち、久しぶりの休日を忙しく過しました。 あさ6時に起きると食事、シャワー、8時半に電車に乗り、母親の入所する介護施設を訪問、認知の進んだ母親と会話しました。 1週間前に自分の母親は元気かと電話があり、認知の程度が進んだと思いましたがこの日は快調でした。

母親は93歳、祖母が生きていれば120歳くらい、50年以上前に亡くなっていますので認知の程度しては相当です。 数ヶ月前には50年ほど前に死んだ飼い犬にえさをやれと電話がかかってきました。 祖母も飼い犬も50年前に死んだよと言ったら犬は何処で死んでいたかと質問し、暫く考えていて犬の遺骸の処分まで思い出しました。 この会話が10分、施設長に最近の状況を聞き施設を後にしました。

次に浪速区にあるバイクショップにお邪魔しました。 店主は同い年でバイクに乗った最近10年はずいぶんお世話になりました。 世間話をして守口に帰宅し、昼食を摂ると京阪電車で叔母の入所する高齢者施設に向かいました。 祇園四条から1時間ほど歩いて施設に行ったのですが、四条通が人でいっぱいでゆっくりしか歩けず、裏道に入って人ごみを避けようとしたのですが、裏道にも人があふれ、車が沢山走っています。

やっと施設にたどり着き、認知症の叔母に面会、私の事が判ったのか判らないのか判りません。 会話は成り立たず、10分で切り上げ、担当ケアマネジャーに叔母の状況を30分ほど伺いました。 身寄りの無い叔母は認知症のため従兄弟が青年後見人を立ててくれ、後見人が相談も無く施設を替えたそうです。 担当のケアマネージャーさんはまともな方で、質問にも誠実に答えて頂けましたが一番聞きたい事は個人情報保護をたてに何も答えて頂けませんでした。

施設から徒歩で父親の実家の蹴上の寺にいとこにあいに徒歩で行きました。 16時に出発し、人ごみを避け裏道を選んでと言っても途中はほぼ繁華街、鴨川にたどり着き、北上して美術館、平安神宮、動物園を超えインクラインまでたどり着いても人は絶えません。

お寺に着くとちょうど門前で檀家回りから帰ってきたいとこに従兄弟に出会えました。 従兄弟と叔母の話し、浄土宗の寺なので法然さんの教えや日蓮宗との違いを信者の行動などから解説してくれ、仏教の教えの一端に触れる事ができました。

1時間で辞去し、徒歩で京阪三条まで歩きました。 帰宅して万歩計を見ると23000歩、階段は40階分ほど上っていました。 なんとも長い一日でした。

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[会社運営]

感性

 何度も書いてきましたが、経営者の役割は意思決定と責任を取ることだと思います。 著名な経営者の仕事をまとめたものを読んでいるとどのように判断=意思決定したかが書かれています。 意思決定は経営者の表の面、責任の取り方は裏の面として責任の取り方についてまとめられたものは少ないように思います。

責任の取り方として取締役退任がありますが、結果的に取締役を退任したとしても責任を果たした代表取締役はたくさんおられ、経営破たんに際してその後何年も無償で社員の再就職に注力した経営者の話もあります。

その経営者は会社の破たん寸前に異例の昇進で代表に就任し、その直後に経営破たんしたわけですからその人を代表に推薦した前代表こそ卑怯者のそしりは免れないでしょう。 しかし前代表を非難する記事はお目にかかっていません。

テーマは責任の取り方ではなく意思決定です。 多くの企業で経営判断を求められる時、相当事前に判断に関わる明確な事実が明らかであればよほどのことがない限り事前の策はとれます。

ここで例示しているのはたまたま問題案件ですが、例えばある事業部門の業績悪化がマーケットのシュリンクなのか戦略のミスなのか微妙な場合など判断に適合する事実はなかなか出てきません。 求めれば多くの情報は提供されるでしょうがそれらの情報が事実で課題への影響の程度もあります。(業績にいかにも影響しそうな事実情報が提示され、事実が証明されたとしても業績への影響度は5%であれば無視できるかもしれません)

後にならなければ判りませんが、業績低迷の主因に関わる情報をいつの時点でどのように報告したか、もしくは報告していなかったか責任者の評価点であることは確かで、業績低迷を前にして業績に関わりのない話題を数多く出していれば無能と判断せざるを得ないでしょう。

このような判断も経営判断の大きなものですが、情報の重要性は事後に確定されます。

経営判断の確立を高めるためには多くの情報から必要な情報を導き出してつなぎ合わせる、経験から言えば必要な情報は数パーセント、それをつないでストーリーが描けるかが経営者の経営判断の優劣が決まります。 それは科学的というより感性の世界、私の場合チャンバラ小説が役立っています。

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[プライベート]

気分転換

 チャンバラ小説を読んでいると史実に忠実かどうか別として江戸期の人々の日々の活動時間は総じて長く、忙しいときに1日20時間の労働を数日続けたりしています。 商家に努める者の休日も3ヵ月に1日とか、衣食住は雇い主負担でも給金は低かったようです。

旅行となれば一日に50㎞以上の歩行距離など現代人では不可能に近いものがあります。 小学校のころ守口から京都の親戚の家まで歩いてゆく冒険をしたことがあります。 朝暗いうちに出て19時ごろ四条河原町まで行きつけましたが、足にまめができて辛かった記憶が残っています。

社会人になったとき休みは日曜と祝日、土曜日は半日勤務でした。 しばらくして週休二日になり、休日の過ごし方としていろいろ趣味に取り組みました。 どちらかというと汗を流す趣味で、将来週休3日になれば休み明けに趣味の疲れが残って仕事にならないだろうと心配しましたが、週休3日にならなかったので心配で終わりました。

今の会社では取締役になって就業規則にとらわれることなく働けるようになり、日曜日と祝日以外は全日出勤、日曜日と祝日は会社で資料を作ったり本を読んだり、たまに以前の趣味をしたりしました。

直近では200日以上連続出勤しましたが、慣れると何とも思いません。 ただ日に8時間集中して仕事をすることはできません。 年齢もあり、集中できる時間は相当短くなっていて、日に2時間程度かなと思います。 なぜ2時間程度か、他の人が毎日8時間集中しているのにと思う事があります。 原因は興味や関心が続くのが2時間程度だと思いました。 もし関心が途切れないことが仕事の中身なら長時間、連続して集中できるように思います。

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[会社運営]

倫理観

 コーポレートガバナンスの本を読んでいて経営者の倫理観が話題になっていました。 コーポレートガバナンスとは企業が社会貢献をおろそかにしたり、不正を働いたりしないよう管理することを言っています。

たとえば上場企業が粉飾決算を行うなど不正の事例にあたります。 一つの回避策は内部通報制度、不正を行うにも作業を伴い、かかわった人は不正と知りえます。 その人が社内の内部通報窓口担当に通報すると言うものですが、多くはパワハラ、セクハラの類です。 上場会社が品質検査結果の改ざんを行った場合、上層部が改ざんの指示を出し、現場職員がデータ改ざんを行います。 その職員が不正を指示されたと社内の部署に内部通報すれば通報者は厳しい処遇を受けるのが今までの一般でした。

そこでいきなりマスコミなどに通報する場合が出てきます。 大騒ぎになり、会社はバッシングを受け、犯人探しを始めます。 これら不正を行うにあたり秘密裏に行われますので誰が情報を流したか犯人は見つかりやすく、その人は会社に残れなくなるでしょう。

不正の程度にもよりますが、会社の信頼が落ちるのは勿論、株価下落、業績悪化、極端な場合は同業に吸収する末路をたどった会社も有ります。 不正の内容がそれほど大きいことは経営者が認識しているはずで、会社の代表が記者会見で『私は知らなかった』と言うのは疑われて当然のことです。 知らなかった事が事実としても影響から考えれば対策を講じているべきことです。

とはいえ対策ですべて防げるわけではありませんので、日常的に注意喚起もし、対策も講じていたにもかかわらず事件が起こることは有ります。 記者会見で責任の所在と潔い謝罪をする経営者を見るにつけ不運な人だと思ってしまいます。

不正を起こさない会社は長期にわたり不正は行われず誠実に事業営んでいますし、不正が一度発覚すると連続して起こるのは不正が複数個所で行われていて、不正排除の企業文化が浸透していなかったことになります。

前述の本で経営者の姿勢はガバナンスの要とした上で、経営トップの倫理観の重要性、倫理観を持つ後継者の選任を主張しています。 ある有名な経営者の話として『倫理観は鍛えられない』と言うのがありました。

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[経営]

仕事の段階

 ちょっとした工夫で仕事の生産性が上がる場合があります。 机の上をいつもきちっと片付ける事ができるとか情報のファイリングなどです。 車で取引先を訪問するとき時計と反対まわりに回ると右折が少なく時間が節約できるなどもそうです。 これを①段階とします。

次の工夫=②段階は上手くファイリングできた資料の情報を組み合わせる事です。 日付順にファイルされた情報にポストイットを貼って区分けします。 色を変えて分類する人もいます。 PCの使い勝手が良くなったのでデータベースソフトを使えば大変便利になります。 PCが普及していなかった時代は手帳やフィールドカードなどが利用されました。 この段階では情報=事実の整理で、事実の単純評価=対処が必要、放置するなどです。

その次の工夫=③段階は前段で評価された事実情報群から方向性を見出すものです。 ①段階、②段階を上手くする人はトレーニングを積んだ人、もしくは学校の勉強が出来た人が多い印象を持ちます。 記憶力が優れているとかまめに作業できる人で、適正試験などで優劣が測られます。

③段階に優れている人は少ないように思います。 小説で描かれる有能な刑事などこのタイプです。 日常的な活動、仕事はこの能力で現場が回ります。 発明、発見を生業とする人はこの能力に優れているべきでしょう。

それなりに優れた経営者の談話が雑誌などに紹介されているのを見ると③段階の次の④段階の能力があるのではと思う事があります。 それは人によって異なり、決断力だったり継続力だったりします。 時には創造力、想像力=思い込みの強いことなどです。 これらの癖の強い人と余り一緒に仕事をしたい人と思いませんが、わずかの情報を元に突き進んで成功した人などです。 しかしこの思い込みの強いことで失敗した人は成功した人の何倍もいるはずです。

経営者は自分の強みを把握して、弱みの対策を怠ることなく経営をやらねば必ずこけてしまいます。 経営者の怖いところは一度こけたらリベンジが難しいと言うことです。 経営者でいる限り成功しないまでも失敗は許されません。 何もしない経営者は失敗がないのでこけるまでに時間の余裕がありますが、環境も変わるのでやがてはこけてゆく事になります。

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[会社運営]

大局を見る

 会社等組織では様々なことが起こります。 会社全体から見れば小さな問題、例えば相見積もりの案件で失注したことは担当にとって問題で、なぜ失注したか考えます。 場合によっては上司に相談します。 薬局で処方箋をもってきた患者様が怒って帰ってしまったことも原因にもよりますが経営者のところに報告は上がってきません。

しかし相見積もりでの失注は価格設定が高めになっていて、他にも失注があったとなれば価格設定の問題として少なくとも部門長の話題になります。

薬局の話題は原因がお客様の待たせたことが原因であれば人員の充足や調剤作業の効率が話題になってきます。

価格設定の話題で、部門長が価格設定を低くして売り上げを伸ばしましたが利益率が低くなったため赤字になったとします。

薬局は一番忙しい時間に合わせて人員配置をして暇な時間に仕事がなく、人件費が嵩んで利益が低下したとします。

このような課題に上手く対処し、事業運営をうまく行う管理職がおられます。 いわゆるミドルマネジメントの手際です。 ミドルマネジメントの上手い人が経営層になれば現場のマネジメントばかりが取締役会で話題になってきます。 つまりは具体的な話題や対策です。

経営マネジメントは業界動向や社内管理の在り方、将来ビジョンなどが主なテーマになってきますので話題が抽象的になりがちです。 現場、ミドル、経営の話題が混在すると何を考え、判断すればよいのか判らなくなります。 それぞれの役割であって現場のやり取りに経営層が口出しするのは弊害になります。 現場やミドルマネジメントに具体的な指示を出してしまう経営者はミドルもできる経営層というより経営層として役割を果たせていないと考えた方がよいでしょう。 もちろん現場、ミドル、なんでも器用にこなす経営層の方もおられますが。

逆に社歴の浅い職員が卓越した会社の将来ビジョンを描いていて、どこかでそれを伝える事が出来たら私は経営層に加えるべきだと思います。 卓越したビジョンを描ける人はその目をもっていてそういったことにたけている、現場仕事は苦手かもしれません。 個人的には経営層の仕事をこなす上で現場マネジメント、ミドルマネジメントの経験が必要と思っていません。 なぜなら逆は真ならずだからです。

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[未分類]

[経営]

プロ

 プロの反対語はアマ、お金をもらって何かをするかで区別され、スポーツの世界では明確です。

私はボクシングが好きでプロボクシングの試合をみます。 最近では村田涼太選手の試合はプロフェッショナルを感じます。 試合ですから勝つことは大事ですが、観客がお金を払って観戦するわけですからファイトマネーの根源は観客の満足度、村田選手はアマチュアでオリンピックのメダリストですからノックアウトで倒さなくても判定で勝つことのテクニックは持ち合わせている選手ですが、豪快なノックアウト勝があるからこそ人気も高いです。

ブロックのうまさ、パンチの威力、フットワークがあっても無駄に使わないなどノックアウトを求めるスピリッツは胸がすく思いです。 そして多くの名選手は王座から陥落するとうわさも聞かなくなります。 プロボクサーは散り際がはかなくなおさら勝ち続けているときの光が強くなると思います。

会社の経営者もプロボクシングと同様プロの世界です。 一代で事業を起こし、マスコミに出て脚光を浴びた人が経営する会社が倒産してすべてを失った末路はよく聞く話です。

経営者はこけないためにいろいろな努力をします。 私の場合、人が総てと考えて人の採用に力を注ぎました。 人かすべて、とか人財という言葉等職員を大事にする経営者は氾濫しますが、私が思う大事な大事の扱いはあまり見ません。 私の大事のやり方は仕事を通じて相手に考えさせることです。 指示することはあまり行いません。 質問は沢山します。 質問の答えに評価をすることもあまりありません。 考えさせる質問は答えが複数あるもの、経験では対処しずらい事などで、質問しておきながら自分が最善策をもっていません。

その様な課題は何度も何度も考え、行動に移してゆくことが必要なもので、トヨタのなぜを5回繰り返す『5なぜの法則』は似ているのかもしれません。 私は少なくとも自分の周囲にいる人に質問を繰り返し、これが社員を大事にしている私のやり方ですが、自分の周囲にいる人が限られているのでなぜなぜを受けた人は限られています。 受けた人の印象も意味が解らなかった人が殆どで『謎かけをされているようだ』と言われます。 同じ人がたまたま私の近くにいて5年もなぜを繰り返されたらたまらないでしょう。 しかしなぜを発する私も意味あるなぜを考えるのは自分になぜを何倍も問い合わせないと出てこないものです。

ボクシングのプロの練習はロープ、パンチング、シャドー、筋トレ、ランニングなどメニューが決まっています。

経営者はプロという意味で結果が総てですから経営学の本を読んだりセミナーに行ったり、面談したり分析したりです。 ある公認会計士が上場企業の社長でパチンコをしながら考えるという話をしていました。 頭の中を整理するときにパチンコ屋の騒音は雑念を消し去るかも知れません。 私の場合、オートバイでツーリング、ひたすら走ることで雑念を消します。

経営者のトレーニング方法はいろいろあるでしょうが、一番大きな仕事は決断して結果を出すこと、結果が成果に繋がらなければノックアウトが待っています。

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[プライベート]

変人倶楽部

 自分の生活習慣を振り返ってみるとパターンの繰り返しになっています。 朝起きる時間、出勤する時間、通勤で読む小説、会社での雑事、少し早い帰宅時間・・・・就寝まではほぼ同様の繰り返しです。

日々の予定と毎日何をしたか手帳に書いています。 すぐに書けばよいのですが翌朝早くに出勤して書き足しています。 昨日、誰かとのちょっとした会話を翌朝思い出そうとして思い出せないことがあり、老化が進んだかと思い昔を思い出して『昔もそうだった』と思い直しています。 つまりは関心の薄いことを記憶しない性格のようです。

好奇心は強い方だと思いますが、一般に興味を持たれること自分が興味を持つ事がずれていて関心が無ければやはり覚えていません。 ここでも何度か書きましたが家にテレビがなくても何とも思わないのはテレビの番組が一般的な興味の最大公約数をもとに作られているからでしょう。

私が最近嵌っているチャンバラ小説はテレビでも時代劇として製作されていますが、原作を映像向きに脚色されたものより作者の意図が残っている原作を好みます。 脚本家により原作をしのぐ作品に仕上がったものも多くありますが、映像のリアル感が文字表現に勝った作品で話題になっています。 コンテンツより映像でしようか。

私同様関心事が一般的でない人も多いと思いますが、ほとんどの人がテレビを見ています。 親しい友人にテレビばかり見ている人がいて、会うとテレビを見て感心したことを話してくれます。 話題の殆どはテレビから得られています。 その人は自分のアイデンティティをテレビから拾い出して表現しているのでしょう。 私はこういう価値観をもっているとか。

かつてテレビのような媒体が無かった時代、情報の少ない地方都市に暮らした人は情報の少ない田舎者と揶揄されていました。 私のようにテレビを見ない者は『テレビ見ない人』、もしくは『非ネット人間』(私の場合ネットは見ますが)として揶揄されるのかもしれません。

私がテレビやネットに関心が薄いのは日々の生活でほとんど役に立たないからです。 旅情豊かな鄙びた温泉町、海外の美しいリゾート地、美味しい料理、有名人のゴシップ、事件の解説、ネットでは批判的な記事、独善的評価など知っていても世間話のネタにしかならないように思えます。 しかしメディアの影響力は大きく、最近ではアラブの春を引き起こした携帯の普及などテレビの番組のように制御された情報に無い破壊力を感じます。

では小説を読んだり、新聞を読んだり、映画を見たりすることがテレビ以上に役に立つ理由は何かというと個人的には解説が少ないことです。 解説は評価だったりして小説を読んでいて善良そうな悪人がカッコ書きで実は悪人ですとばらされたり、登場人物の発言が別の登場人物を傷つけたと解説されても読み進む気が薄らいでゆきます。 テレビをよく見る人は想像するより一般的な評価を手っ取り早く知りたい人が多いと思います。

私は自分の生き方を考え抜いて貫いているつもりですが、良識ある知人から変人クラブと言われいささか心外でした。

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