監査役BLOG

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生活

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生き心地

岡 壇氏著『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』というタイトルの本を読みました。

当社の理念『もっと元気に、もっと笑顔に、きっと感動  働きたい会社№1』に通じるものをタイトルから感じ取り、手にしました。

本書はサブ タイトルの通り筆者が慶応大学大学院で博士論文として研究した徳島県海陽町(平成大合併以前は海部町)の自殺率が低いことに着目し、フィールドワークをまとめたもので、ユニークなテーマ選定であったようです。

自殺は日本で年間3万人、交通事故死の6倍で社会問題として大変大きな問題です。 それゆえ自殺の原因因子の研究は盛んに研究されているらしいですが、自殺予防因子の研究は皆無に近いようです。

アプローチのユニークさの解説で『研究されていないテーマは研究することが困難であるか、アプローチとして間違っているか』と解説されています。

良い事でも悪い事でも起こったことは話題になるけど起こらなかったことは話題になりません。 犯罪でも地震など天災でも経営問題でも同様の傾向を感じます。

ずいぶん以前に同じ徳島県上勝町(那賀町を挟んで海陽町の北にある)の葉っぱビジネスの報告を読んだ時も同様の興味をひかれました。 葉っぱビジネスとは和食で盛り付けに沿える葉を採取して販売するビジネスです。 例外でミカンなど農業が壊滅的な打撃を受け、再生するより若い人が流出した町で、農協職員がこのビジネスを思いつきブランドに仕立て上げた話です。

葉の採取は残った高齢者に委ねられ、山岳地帯なので高齢者が山に葉の採取に出かける、それが高収入になり、多くの高齢者が競って取り組んだ話です。 それまでサロン化していたクリニックは受診する人が減り、通所の高齢者施設は閉鎖に追い込まれるほど利用者の減少が見られたとのこと、高齢者事業に携わるものとして関心が湧き、現地へも出向きました。

現地で判ったことは点在する集落の家々が立て直されたりリフォームされて立派であること、よくある山岳地帯であることくらいでしょうか。 高収入になるため高齢者が競って葉を採取するため山に入るのですが、お目当ての樹木がどこにあるかは秘密で、脳血管障害などによる麻痺のある高齢者も山に入って行くそうです。 結果的にこの町の医療費は高齢化率が高いにもかかわらず徳島県の平均を大きく下回り、当然ながら介護コストも低く抑えられていると思われます。

高収入が期待できるので町を出た若い人たちが町に戻ってくるようになったらしいです。 農協主導の農業振興の成功例として、全国の農業関係者の見学や一般の人の見学も増加し、有料の体験セミナーも当時は催されていました。

想像ですが自殺の発生率も低いのではと思われます。 しかし、岡 壇氏が近隣の上勝町を選ばなかったのは自殺率は海部町ほど低いわけではなかったこと、稀有の農業振興成功例などではなく、住民の文化や風土にあることに着目したからに思えます。 (次回に続く)

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[生活]

復帰

昨日退院し、本日より仕事に復帰します。 一週間の入院は長期で、私の気分転換のサイクルとして旅行なども大体一週間です。

オペ後の経過も問題なく、痛みも出血も止まり、歯の喪失感と顔の腫れをのぞけば会長で、早速友人と外食しました。 今井という老舗うどん店で食事をしたら塩辛いことこの上なく、病院食がいかに塩分をコントロールしていたかよくわかりました。 最初に食べた薄味よりも退院後に食べた塩辛さが身に滲みました。

友人と繁華街に出かけ、『おれもボチボチ潮時か?』とまた弱気発言、すかさず友人は『ぜいたくを言うな! 社長と呼ばれそれなりに収入があって何で不満を言う』となぜか怒り。

少し違う、自分の基本的な考え方は責任をとれる範囲の生活をしたいということ、果たして自分に今の会社を切り盛りする能力があるのか? いつも悩むのはそのことである。 職員の安定雇用がかかっている。 彼らの生活を支える重圧は半端ではない。 もちろんどのように優秀な経営者でも雇用を守り続ける保証などない。 日本を代表する企業でも数年のうちに倒れることもあるし、その原因がトップの判断ミスや勇気ある決断ができないことによったりする。

今までの自分は経営幹部反対しようがこうと決めたことに疑問を持つことはなかったし、結果はそれなりに正解であった。 一番の正解は決めてから揺らがなかったこと、一度決断を表明して皆に反対され、一年待ったこともあるし、数年待ったこともあり、それでも判断決意を覆すことが無かった自分は経営者に向いているのではと思ったこともある。

もちろん自分の判断より優れた判断があったかもしれないし、それは解らない。 実験できるものではなく、一つの結果でしかないが、結果がすべての現実の経営の世界では判断前より経営状態が良くなったのであれば称賛に値する。

しかしどのような世界でもそうであるが、過去の成果は今の判断を有利にするものではない。 成功体験が誤った判断をするように過去も将来も関係ない、紳士過去の影響もうけるし将来に失敗や成功は引き継がれるのが意思決定、今まで何の躊躇もなく重要な決定を繰り返してきた自分が信じられない時がある。

一週間の入院後、退院して気力が充実し、よしやってやろうという気持ちが湧いてきました。

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[生活]

オペ

先ほど1時間かけた手術が終了しました。30分は麻酔の注射など事前準備と事後の縫合などです。間の30分は傷んだ差し歯を抜くのと過剰歯を抜くのとに費やされましたが、顎の骨にくっついていて鑿で歯と骨を砕くのに費やされました。
今麻酔が切れて痛みが強まっています。 しばらく辛くなりそうです。口腔外科の手術は木工の様な印象でした。

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[生活]

生まれて初めての入院

いよいよ今朝から入院です。 体を切り刻まれるのも怖いですが、禁煙は大変つらいものです。

たった一週間の入院ですが、読む本、髭剃り、タオルに着替え、そこそこの荷物になりました。

今回はぜいたくをして個室を選択、自分のいびきで周囲の人に迷惑をかけられないのが個室選択の理由ですが、いびきの原因が肥満にあります。

禁煙の辛さから菓子を食べ、70㎏の体重があっという間に4㎏増加し、情けないやら悔しいやらです。 70㎏に減量するのに3年ほどかかっており、その間食べ過ぎないよう腹八分を心掛け、毎日運動をしてきたのですが、極端なダイエットでなかったので時間がかかってしまいました。

極端なことをすれば3㎏はすぐに落ちるのでしょうが、退院後も地味なダイエットで時間をかけて体重を落とすことになります。 細めのスーツを買ったところなので、これが着られないと悔しさが倍増ですから少しだけ過激なダイエットをするかもしれません。

たかが歯茎の手術であってもいろいろな人に聞くと脳に近い場所、体の中心部の手術は危険がいっぱいとのこと、禁煙しなければ治りが悪いとか脅し文句はたくさん知っておられます。 検査も必要で、明日は異常値の出た心電図の再検査ですが、入院日数について必要日数が決められているのですから毎日何らかの用事があるはずで、本を読む暇があるかどうかわかりません。

術前は検査で忙しく、術後は回復のために安静にしていなければならないならやはり暇ではなさそうです。 おそらく命にかかわることはないはずなので退院後はまた報告いたします。

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[生活]

人は見た目を気にしすぎる

上顎の歯茎の中で膿がたまり、摘出手術をすることになりました。 差し歯の根元が傷んでいたようで、そこに過剰歯が潜んでいて、それも取り除くことになりました。

何の違和感もないのに歯茎から膿が出て、歯医者に相談に行ったら大変なことになりました。 何が大変かというと歯茎から膿を取り出すのに全身麻酔で入院1週間ということが大変です。 タバコは禁止、その病院はオペ対象患者は禁煙していないと即刻退院、オペ中止ということです。 禁煙開始はオペ日が決まった時から、1ヶ月も前から禁煙を宣告され、日々辛くこっそりタバコを吸っています。 紳士オペ日が近づき、それも叶わぬこととなりました。

大病院の口腔外科でのオペなのですが、口腔外科医はいわゆる歯科医、オペに際していろいろ検査を指定され、胸部レントゲンに異常な影、心電図異常、クレアチン値が高いなど多くの問題が発覚しました。

心電図以外は通常の健康診断でわかっていたことで、日常生活でまったく問題を感じていません。 より精密な検査を打診されましたが、この調子で検査を続けると次々治療項目が現れて立派な人に自慢できる病人になってしまいます。 そこで精密検査はお断りしました。 口腔外科医は『まあいいか』といった感じでオペの手続きをしてくれました。

人体は複雑で、体が皆同じように出来ているとは限りません。 出来損ないの部分もあり、それを気にしていたら生きてゆけませんというのが持論です。 別に異常がなければ放置すればよい、異常であれば治療すればよいと思っています。 元々体は強くはありませんが病気に縁遠く、日常生活はどちらかというと元気な方です。

しかし加齢とともに不具合は出てくるもの、一つ出てきたら様子を見て、検査をして日にちが立つといつの間にか何ともなくなります。 体はそんなものと思っています。

年齢相応に食べるものや運動に注意していますが、それ以上に健康であろうとしても何かおかしいと思います。 60歳なのに30歳にしか見えない女性とか健康食品の広告で登場しますし、筋肉の模型のような人が登場するスポーツジム、私の歳になれば健康であればよく、裸を売りにする年齢ではありません。 見た目も仮に40歳に見えようとすると無理があります。

私でも気持ちは若くいたいし見えたいと思っています。 『本西さんは若くて元気ですね、〇〇歳くらいですか?』の年齢が実年齢より高かった時には落胆しました。 ゴルフでドライバーショットが自分より若い人より飛ぶと無性にうれしくなります。

ゴルフはスコアを競うもので飛距離を競うものではありませんし、人生は心身ともに健康であることを良しとし、若く知的に見えることは得をすることがあっても目指すものではないと思います。

そこまで解っていてビタミンCを毎日飲んで肌の色つやを気にしている自分がいます。

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[価値観]

[生活]

モテない男

私は最近シンプルな生活を求めるようになりました。 シンプルライフは私がまだ若かったころにTVコマーシャルで使われた言葉で、当時は何の関心もなかったのですが、最近になってとても惹かれる言葉になってきました。

別にシンプルライフの厳密な定義があるわけではないのでしょうが、私なりの解釈はなるべく無駄をそぎ落とした生活という意味で使っています。 何よりも物を持たない、全く持たないわけにはゆきませんが、部屋はものがありません。 一人暮らしでは広すぎる賃貸マンションに住んでいて、衣類や趣味のものはとても少なく、部屋にモノがあふれていることはありません。

服を新しく買うならもっている服は同じ数だけ捨てるように心がけています。 従って服に関してはクローゼットはスカスカ、靴は底を張り替え、最長30年程度、底を4回張り替えている靴も含め11足、ビジネス用の革靴は4足、カジュアル2足、テニスシューズ2足、バイク用2足そしてゴルフシューズです。 本は図書館で借りるのでほとんどありません。 CDも40枚程度と持っているものがとにかく少ないです。 車は無く、必要ならレンタルで済まし、オートバイと自転車が1台、友達と呼べる人は3人、仕事の付き合いはほとんどしません。

シンプルライフのもう一つのスタイルはお金を使わない事、生活費としては月5万円程度で生活しています。 外食や酒席がないわけではありませんが殆どが会社の経費で賄います。 お金が余って仕方ないだろうという人もいますが、その分給料は減らしています。 普通に生活していて少し貯金ができる程度、それ以上お金を使う生活をすると無駄が増えるだけのように思います。

例えば仕事でゴルフに行くときはお茶は自分で空いたペットボトルに詰めてもってゆきます。 そこまでケチるならゴルフをしなければと思われるかもしれませんが、世俗の付き合いは最低限するようにしています。 クリーニングはスーツのみ、カッターシャツは自分で洗濯・アイロンかけをします。 外食はせず自炊ですが、安い食材を買って同じものを連続して食べます。 次の買い物では別の食材を買って連続して食べますので栄養が偏る心配は少ないと思います。

気晴らしはオートバイのツーリング、日帰りが殆ど、たまにロングツーリングに行くときはユースホステルなど安宿を多用します。

私の友人でお金を払って済ませられることは極力お金を使う人がいます。 貯金はありません。 貯金の必要性を感じていないのでしょう。 多くの人に愛されていて、誘われれば付き合いも悪くありません。

私は付き合いが悪く、暇であっても誘いを断ることが多くあります。 そもそもあまり誘われません。 先日も京都に職員3人と出向き、昼ごはんにファーストフードの店に入ろうとすると『京都まで来たのだから湯豆腐が食べたい』とのたまいます。 仕方なく南禅寺の近くで観光客向けの湯豆腐を食べましたがまあこんなものか、程度の印象で、これなら王将の餃子を食べたかったと思うほどです。

女性から見ると私は金払いが悪く、決して楽しい人ではないと思います。 それが目指す生き方なので仕方がありませんが、価値観に忠実であればヒンシュクを買います。 つまりは程度の差はあれ、モテない男の典型は自分だと思い知りました。 それでも今の価値観は大切にしたいと思います。 いずれの時に私のシンプルライフが見直され、女性にモテモテの人になるのを願いながら。

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[生活]

カジュアルウェア

久しぶりに難波近辺の繁華街に出かけました。 そこそこ寒く、しかし気温は高めで風がある、着てゆく服は何が適当か、以前はあまり気にしなかったことが気になり、悩んだ末にゴルフ用のウィンドブレーカーを羽織り、ゴルフ用に買った冬用パンツをはいて出かけました。 ウールのハンチングを被り、街中を歩くにはどうかという服装でした。

不思議に目立たないので、気になって同年代の男性はどのような服を着ているのか観察していました。 よく見るとみんなそれなりに凝った服装をしています。 グラデーションのかかった生地のハンチングを被り、迷彩柄のパンツ、ジャケットはダウンで靴は新品のカジュアルシューズ、どれもそれなりに高価なもののように見えますが全体としてバランスが取れていません。

念のために私の服装は人の評価ができるような服装ではありませんのでよく言うわけですが。

結構全体のバランスが取れていない人が多いように思いました。 一緒に行った友達が『あれは中国人』と横で言います。 『え、なんでわかるの』、『なんとなく、色かな』と言っています。 その男性の一団は確かに日本語以外の言葉を喋っていました。

つぎの同年代の男性は全体として色合いが年相応で、特に高価という感じのものを身に着けていません。 『あれは日本人』、なるほど連れの判断するように日本語の会話が聞こえてきます。 難波辺りには海外からの観光客や大阪以外から来られた日本人の観光客も大勢おられます。 なんとなくみんなが大阪の街に溶け込んでいるようで、服装の色や薄着、厚着のアンバランスも全て大阪に溶け込んでいるようでとても不思議な気になりました。 厚着の人はそのまま外を歩き続ければふさわしい服装であるし、薄着の人は建物の中や車で移動するのに適当な服装のように見えます。 色やデザインのちぐはぐもそもそも大阪の街の猥雑な感じに溶け込んでいて、何ら違和感もありません。

もともと大阪で生まれ62年間暮らしてきた身としては、大阪は賑やかであっても決してバランスを崩していたわけではありません。 天王寺にいると天王寺動物園が繁華街の真ん中にあり、キリンの長い首の向こうに日本一高い阿倍野ハルカスが映っている写真や無縁仏で有名な一心寺の背景は通天閣であったりします。 それぞれの組み合わせは珍しい取り合わせですが、通天閣は色も形もレトロで街の風景に溶け込み、阿倍野ハルカスの直線的なデザインと天王寺動物園の動物や高い樹木の取り合わせも馴染んだ風景に見えます。

大阪に元々あるものは何もバランスを崩しておらず、どこの国かわからないような景色ではなくしっかり日本で大阪を主張しているように思います。 街の風景は長い時間の中で出来てきたもので、一時的に増えた外国人のちょっとしたアンバランスで崩されるものではないのでしょう。 それを飲み込み、大阪らしさに変える大阪の文化を垣間見えました。

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[価値観]

[生活]

シンプルに生きる

日々の生活であれこれ悩んだり無気力になるのは困ったことです。 私もこの年齢になって悩んだり、迷ったり、はたまた無気力になったりします。 現実の問題で悩んだり迷ったりして、人に相談しようとしたり本を読んだりしますが、そもそもこの年齢で悩むことは本を読んで容易に解決できるようなものではありません。

他人の考えを聞いても納得できなければ『そんな考えもあるな』で終わってしまいます。 何も答えを出さないのも一つの決断、それが先延ばしや問題の回避でなければ有効な手段です。

多いのは自分の性格から来る問題、経営者の中には何が何でも一番にならないと気が済まない性格の人もいて、そのおかげでその人が経営する会社が業界一番になる事もあるでしょう。 しかし経営要素が整わず、一番への思いが空回りすると不幸になります。

同じ会社で働く人間が一番が好きか、権力欲が強いか、いろいなものを見えているつもりです。 ところが自分の事となると途端に見えなくなります。 かつては自分がどのような人間であるか悩み、強みは、特技は、欠点はと考えました。 そして一定の答えを得て、強みを伸ばし弱みを無力化することに努力しました。 当時の私の強みとは独創性だと思っていました。 経営計画や基本戦略など明確に描けていて、その通り会社が展開した時期がありました。 自分に予知能力があるのかと思ったほどです。

しかしそのような創造性が消え、将来についても頭の中のイメージは透明で何も現れません。 本を読んでも人と話しても現場を見て回っても何をしても透明です。 近未来の姿を描き出し、その通りになる事が本当に私の強みであればそれが出来なくなってほかに出来ることが無ければ役割が終わったことになります。

本来予知能力などという力があるとは私自身信じておらず、明確に将来展望が描けたのでそう錯覚しているだけと考えれば、頭の中で情報を分析し組み立てているだけで、たまたまうまく組み立てる事が出来たということでしょうか?

急に将来展望が描けなくなったのは描けるような情報が入ってきていないからか余計な情報が一杯で再構築できないのかだと思いました。

いろいろ興味を持って乱読したり、考えてみたり=再構築してみたり、それで何もなければないというシンプルな生活でよい、必要と思われることを淡々とこなします。 朝起きる時間や寝る時間などなるべく同じ時間にして、筋トレや本読みなど決めていることは空いた時間にこなしていきます。 こなす項目を紙に書いておいて、出来れば丸を付ける、そのリズムが出来れば筋トレの苦痛も退屈な読書も一定の消化が図れます。

日常がそのように整理されれば本当に考えねばならないことが見えてきて、予知というような神がかりな実感は無いにしても好ましい解は生まれるでしょう。 頭の中も部屋の机の上も雑然としたところで何か創造的になるのではなく、整理され余計なものが消えて初めて想像されると。

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[生活]

素直

『あなたは素直ですか?』、採用面接でよく出す質問です。 応募者は質問の意図を必死で考えます。 素直であると答ええたら思慮が足りない人間と思われるかもしれないし、素直の反対はひねくれているとか疑り深いとかネガティブにとられかねない。 さあどうしようとなります。

意地悪で出している質問ではありません。 それこそ素直にその人が素直な人かどうか問うているのです。

私自身、いつも素直について考えます。 素直は副詞として使われることが多いように思われます。 『素直に従う』など従うを就職しています。 素直を普通名詞として考えるとかなり抽象的で、言葉で説明するのは難しいように思います。

私は人に何かを教えられた時に『なるほど!』と納得し、後で自分は素直であると思ってしまいます。 私の母は疑り深いのか(素直でないのか)私が人の言う事を信じた時に『お前は人の言う事を信じてしまう。騙されている』といつも言っていました。 ところが私はあまり人に騙されたことはなく、逆に母は何度か人に騙されています。

確かに人の言う事をうのみにすることは危険かもしれません。 しかし疑う根拠がないのであれば信じてみるのが素直な行為と思います。 私の場合、人に教えられたことを信じた時、つまりは教えられたことが正しいのだからこうしてみようという行動に繋がります。 そして一歩踏み出した時に矛盾が出てきたりするとすっと身を引きます。 相手が騙そうとしていたのか状況が変わったのかは別として矛盾がある以上そのまま信じて行動を続けることは危険です。

しかし初めから疑ってしまえばそれが正しいのか間違っているのか検証できません。 間違っていると判断したけれども間違っていると判断する根拠は大抵無くて『嘘くさい』という直感だけです。 自らの直感に従えばそれ以上の行動に繋がることはないので正誤の判断は闇の中になります。

世の中には正しく見えて実は間違っている事や騙そうとしている人たちもいるようですが、正しいとはとても思えない正しい事やいかにも嘘っぽいけれど正しいことを見出してわざわざ教えてくれる親切な人もいます。

炭水化物ダイエットというのが流行りましたが、健康障害が出るという反論も出ています。 炭水化物の摂取量を減らし脂質やたんぱく質も減らせば摂取カロリーが減って痩せますし、一般にカロリー減として炭水化物を中心とした食事をしているのですからダイエット方法として効果が期待できます。 摂取カロリーを減らすが炭水化物が肥満の原因かのように変わり、病的に炭水化物の摂取を抑え、肉や脂質を取って減量できなかったり健康障害を起こす人が出てきます。

単純に痩せたければいつも空腹で過ごせはよい、程度の問題として我慢できる範囲で、となればダイエットの説明として納得しやすいです。

筋トレは痩せるかとある栄養士に聞いたら、『息はハアハアしますか? しなければいくら筋肉がついても痩せませんよ』と言われました。 私は筋トレで体に多くの筋肉をつけると基礎代謝が増えて自動的に痩せると考えていました。 そのように解説している本もありますが、基礎代謝が増えて空腹になり沢山カロリーを摂取すれば太ってしまいます。 筋肉量が少なくても息がハアハアすればそれは体からカロリーが消費されているわけです。

単純に体に入るエネルギーが消費するエネルギーより少なければ痩せるだけの事、それが脂肪の減少だけでなく筋肉の減少も含みますが、体重は減って行きます。 その過程では空腹でしょうしハアハア息がするかもしれません。

タイトルからずれましたが、素直でいればダイエットは成功するでしょうし、素直でない人がダイエットをしようとするとこれが良い、あれが良いと次々ダイエット方法にこだわり、家には健康器具があふれ、お腹には高周波ベルトがまかれ、ご飯やパンを食べない生活をしながらなぜ痩せないのか悩む日々が続くように思います。

私は素直さが目標に近づく効果的な方法と思っています。

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[生活]

うかうかしていられない

几帳面にあれこれやらねばならない事を考え、忘れないようにメモに書いてこなしてゆくようにしています。 薬を飲んで、ノートを書いて、掃除をして、買い物に行って・・・・・・限も果てしもないほど項目が羅列してゆきます。 重要な項目の頭に印をつけ、せめてこれだけはやっておこうと決意して取り掛かります。

調子良くかなりの項目がかたずけられるときがあります。 ある時は最初に取り掛かった項目に手間取り、それ一つで終わってしまうときもあります。

難易度の高い項目があり、取り掛かることに躊躇する場合もよくあります。 あまりに不調の時はいろいろ言い訳を考えます。 『焦らず、挫けずに行こう』とか、『一つ一つを確実に』とか、悪い言い訳は『もう年なんだから頑張れない』とか『そんな事が出来ても何の役にも立たない』とかです。

そんな挫けた時に思い出すのは『できる方法を考える』という言葉です。 やらねばならない事であればそれが困難であってもやり遂げねばなりませんからできる方法を考えのが建設的です。

最近読んだ本に書いていたのはさらに厳しく
『人生にできないということはない。 単にやらないことがあるだけだ。』これは重い言葉です。眠気も疲れも飛んでしまいひたすら項目を処理して行かざるを得ません。

世の中には大変な言葉が多くあると実感しました。 言葉に感動している場合ではなく、ただ実行あるのみです。

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