監査役BLOG

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[生活]

海外駐在

ドイツに駐在する息子が一時帰国しました。 海外駐在は私の若いころなら羨望と憧れの的でした。 息子の会社では昇進は遅れ、日本の労働基準が適応されないのか帰宅は遅く、21時からの業務の指示など当たり前のことだとか電通の事件があれだけ騒がれているのにこの会社の現場管理は熱心ではないようです。

久しぶりなのでつまらない質問をしてしまいます。 『昼ご飯は? 近所の和食を食べているよ、いくらくらい? だいたい10ユーロかな、 昼ごはんに1300円は高いね、1ユーロの肌感覚は100円くらいだから千円くらいか、それでも高いね』、日経新聞を読んでいると毎日ヨーロッパのニュースに触れます。 ドイツのニュースは特に多いと思います。 メルケル首相が何を結ったかまで報道されるのでドイツに珍しさは薄くなっています。

若いときあこがれていた海外駐在、当時の赴任先はアメリカ以外は発展途上国でも大変な憧れでした。 ましてヨーロッパとなるとなおさらですが、ドイツ人の部下と英語で遣り取りし、1300円の日本食をお昼に食べて日付が変わるまで仕事に追いまくられるのでは憧れも消えてしまいます。

年が明けるとすぐに帰国ですが、近くの任地に帰るのを見送る気分です。 飛行機の搭乗時間が12時間だそうですが、国内でも最短移動時間12時間超の場所があると思います。

国際化のメリットは大きいでしょうが、通信技術が発達した現代ではドイツに事務所を構えて内勤部隊を駐在させる意味は乏しいのではと思いました。

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[プライベート]

[生活]

自己流ダイエット

中性脂肪が高く、定期健康診断で要治療と診断、医者に相談に行きました。 中性脂肪を減らす薬を処方してもらい『大豆を食べるように』と言われました。 ネットで大豆30kgを買い、圧力鍋で大豆を焚いて食べています。

大豆が主食とならなかったのは単位面積当たりの収量の問題かと思っていましたがおいしくない事が主食でない理由と実感しました。 しかし食べなければいけないので味付けに工夫し、豆腐を入れて炊くなどしています。

2週間ほど続けて体重は2㎏ほど減りました。 大豆効果ではなくあまりのまずさにたくさん食べる気がしないからでしょうか。 理由はともかく減量は順調です。 原料と中性脂肪の減少は同じでないにしろそもそも基礎代謝を下回るカロリー摂取では痩せるでしょうし中性脂肪も減ってゆくでしょう。 植物性とはいえたんぱく質は多く含まりていて筋力低下やタンパク不足もまぬかれそうです。

次に運動、エアロバイクを譲り受け、消費カロリー100kCal.にセットしこぎます。 走行距離にして約10㎞、エアロバイクの解説は300kCal.を目標としていますが、耳たぶに付けた心拍数計が安静時に100/分を下回りません。 ダイエット以前の問題でタバコを控え、そろそろ漕ぐようにしました。 2週間続けて300kCal./日を消費できるようになり、心拍数も平均値になりました。

昨日は甘いものが食べたくなって粒あんドーナツを一つ食べました。 袋を見ると350kCal.、本日のエアロバイクがあえなく徒労に終わります。 なおさら運動が必要ですのでこぎだしましたが、エアロバイクのハンドル部にモニターが付いていて、そこにノートパソコンを乗せネットを閲覧しながらこぐと時間の経過を忘れて漕ぐ事が出来ました。 本を読みながらとか英会話を聞きながらも試しています。

運動も同じことをしていると使う筋肉に偏りが出るので自重トレーニングやゴルフクラブの素振り(思いのほか体力を消耗します)、近隣の移動は徒歩などと工夫しています。

小部屋で運動し体か温まってくると室温が上がり、湿度も上がります。 もちろん暖房を入れなくても寒くありません。 人間ストーブ・加湿器になっています。 最近の室温は夜間10℃を超えたところ、止めると途端に寒くなります。 室温が上がると言ってもせいぜい1度以下の上昇です。 64歳になっても体力強化が図れることを実感しました。

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[採用]

採用面接

新聞を読んでいると求人難の記事が多く出ている中で、ミスマッチで就職浪人せざるを得ない人や希望のところに入社したものの早期に退職する新人の話が多く出ています。 このような状況は当社でも同じで、会社をより良いものに体質改善を図る中で退職者もそれなりに出てきますし、新規の採用は大変苦労しています。

中途退職する人は勤めている会社が良くなるのに(経営サイドが考える良さではありますが)やめてゆくのか不思議に思う事があります。 私自身はあまり保守的な考え方ではないので何事も少しでも改善しようとします。 一方で代表を退き、情報が集中しなくなり、状況がどんどん変わっていくのは保守的でないにしても寂しくもあります。 変化の先端でその先を見ていることが変化を納得するコツでしょうが、決定権がなければ変化は受け入れるより仕方ありません。 おやっ、と思う変化もありますが、皆が考えて起こした変化、時間が経過すればその合理性は実感できるものと思います。

採用難の問題は中途退職と表裏の関係でもありますが、まずは絶対的な求職者の不足でしょう。 その中で職業に対する考え違いから転職する人が面接に来られますが、どちらかというと石の上にも3年という考えの人ではありません。 以前の職に対してその人が職に対する満足を得られるであろうと短時間に会社の良さを伝えなければなりません。

その一方で人手が足りないから何でも良いというのではなく、当社の考えに沿える人でなくてはなりません。 結果的に5~10人面接して1人採用できれば良いくらいの確率です。 これでも採用側としてハードルはずいぶん下げているのですが、人数合わせで採用したり、当社の理念などがうまく伝わっていないで採用したりしてもお互い不幸なだけになります。

とはいっても当社の職員に話を聞くとほとんどの人が良い職場、良い会社と言ってくれます。 他の会社を見学に行き、生き生き働いている方たちを見てもその会社はよい会社、良い職場であろうと想像します。 世の中には当社も含めそのような良い会社がたくさんあり、また経営者の考え方が間違っていて人間関係がぎくしゃくしている会社や改善を怠って業績の優れない会社もたくさんあります。

仮に半分が良い会社、半分が良くない会社とした場合、良くない会社に勤めれば会社や職場をよくすることが働き甲斐につながる場合もあります。 働く人にとっては勝手な意見かも知れませんが、どこでも働く人の考え方で働き甲斐が見つかるのではないでしょうか?

私が前職で会社勤めをしていて仕事が嫌になったとき上司が『どこで咲いても花は花』と言いました。

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[経営]

ゼロからの起業

会社の代表を退いて、役員で残っている以上何かせねば、と思い起業のネタを探しています。 会社の組織上営業本部という部署が担当しているのですが、会社としては非正規プランを出してみようという事です。

やはり自分が過去から温めていたことが中心で、本ブログでも紹介しました田舎暮らし、CCRC、障碍者雇用、などのキーワードが出てきました。 最近ではゼロからの起業ではなくM&Aでもよいのではとも考えています。 購入した事業を過疎地で運営する、必要な労働力はアクティブシニア、障碍者、さらには受刑者(受刑者の再就職は大変困難で、それが高い再犯率の元となっているようです)まで視野を広げています。

ネットで情報を集めると正しいかどうかは別として情報は集まります。 タラ、レバの話をしてネット環境をフル活用すれば過疎地に産業振興、雇用創設が可能となります。 雇用者のすべてが何か技術をもっているわけではないので技術の無い人の仕事として農業を起業することも情報が集められました。

事業化の一歩は道筋を明らかにすることですが、田舎に暮らす上で候補地選定が最初になります。 晴天日数が多く過疎化に悩んでいる岡山県が関西エリアに近いので候補としました。 白桃やマスカット、ピオーネ等果樹の産地でもあり、農業を基盤事業として考えやすいです。

岡山県の役所や農地管理機構の人の話を聞く機会があり、進められるのは後継者難の県中央部の山間地帯です。 温暖ではなく、畑作が多い印象です。

農産物は高く売れなければ労多くして益の少ない産業です。 農業統計を見る限り白桃やピオーネを作っている農家がそれほど儲かっていると思えません。 統計上高収益作物はシシトウだそうです。 以前イチゴをずいぶん研究しましたが、産地間競争が厳しく産地県の農業試験場が品種改良にしのぎを削っていて今年も受かったとしても来年儲かると限らない状況です。

そこで農産物を売ることを先に考えてはどうかと思いました。 ネットで八百屋の収益性について調べると悲惨な結果、農家と契約栽培をして産直で中間マージンを節約しても野菜や果物は単価が小さいのでそんなにもうかる商売ではありません。 契約栽培を大規模に行い、会員制宅配事業として成功している2社はNTTドコモ、リクルートなどが出資していて事業の将来性は世間も着目しているようです。 そこにゲリラ的に割り込む八百屋もないわけではないですがハードルは高く、利益は小さく、なおかつ不安定です。

田舎に暮らすアクティブシニアのシェアハウス構想からずいぶん風呂敷は広がりましたが、取りつく有望な島が今のところ見つかっていません。

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[生活]

捨てる

引っ越しを考えています。 今住んでいるマンションは広く家賃も高いので狭くて家賃の安いところに越したいと思っています。 50㎡以上80㎡以下、広いリビングと寝室一部屋が理想です。

私は広く何もないところでボヤっとしているか、狭くてごみごみしているところが落ち着きます。 できればどちらの空間も欲しいところです。 山の中の一軒家に暮らすなら一部屋の小さい家でも暮らせます。 都会の中心で暮らすなら少し広い空間のある部屋がほしくなります。 この気持ちはだれでも同じと思います。

今住んでいるマンションのリビングは広くソファーとテーブルがあるだけです。 TVも音響装置もありません。 普段いる部屋は狭く、自分の持っている書類、本、衣類のほとんどが詰まっています。 さらに最近エアロバイクがあり、狭い部屋の中で動くのは大変な状況です。 PCやCD playerも置いてあり、音楽を聴きながらエアロバイクを漕いだり、本や日本経済新聞を読んだりしています。

もともと持っているものは少なく、服もあまり持っていません。 引っ越しするならさらに物を減らそうと考えています。 シーズンに一度も着なかった服、気に入らない服、読まない本、何かの記念においているものなどです。

例えば手帳、私は年1冊のB5判手帳を使いますがほぼ全ページにびっしり書き込まれています。 書くことに重きを置いていて書かれた記録を保存しておく意味は薄いです。 これが20年分20冊ほどありますが毎日記入に1時間程度使うので20年で7千時間分の記録、何の役にも立たないものの捨てるに忍びないです。

張り切って買った高額のスーツ、傷んでは困るとあまり着ないうちに流行遅れになったもの、イケアで買った事務机、天板を伸ばす事が出来る優れもの、リビングのテーブルで代用できるので気に入っていても廃棄となります。

自分が書いたもの、書籍、家具、衣服、それぞれ廃棄上の優先順位があり、着なくなったスーツとある年に使った手帳、どちらが廃棄優先が高いか悩みます。 いつも質の違うものを比べて悩み廃棄に手間取ります。 最後は思い切っているだろう物も捨ててしまい、あまり後悔していません。

捨てるくらいなら買わないでおこうと思いますが、買い物は楽しくつい買ってしまいます。 すべての必要な物を買う事が出来なければ自分で作るより仕方なく、机が必要なら机を作ることになります。 その机が生活の変化で不都合になったとしても自分で苦労して作ったものなら捨てずに置いておくでしょう。 物の価値は費やした対価で決まり、それが労働(自分で汗をかいて作ったもの)なら対価は実感できて、単にお金を払っただけなら対価の実感は薄くなります。 収入が大きくなれば対価の実感はどんどん薄くなるでしょう。 今住んでいるマンションは高収入の人が多く、ゴミ捨て場はまだ使えそうなものがたくさん捨てられており、そもそもごみの量が多いです。

もし収入が大きく減少すれば物を大事にしてゴミは少なくなるでしょう。

多くの物に囲まれて生活することが豊かさを感じる人がいます。 想像ですがゴミ屋敷に住む高齢者は普通の人から見ればごみに囲まれていて安心し、豊かさを感じるのではないでしょうか? その高齢者は預金通帳に使えきれない残高があってもワンルームマンションで生活に最低限の物しかない生活を豊かと感じないでしょう。

いつもながら話が脱線しましたが、偉そうに言って私自身引っ越しのために物を捨てる事が出来るかどうかは単なる思い切りではなく価値観の大きな変化がなければ物を捨てるたびに痛みを感じなければならず、それを避けてバランスを崩せば認知症になったときにゴミ屋敷化してしまいます。

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[生活]

自由

自由になることを考えた時に何が自分を束縛しているのか、一つずつ考えてゆきました。 家族は皆自立しているので家族からは今のところ自由でいられます。

持っている資産で手のかかるものは管理会社に任せています。 人間関係は大変少ないです。 持っている家財も少なく、書類の類は順次捨てています。

そもそも真の自由になるのは気持ちも自由、憎しみを抱いていれば意識が偏ります。 気になる人がいればその人の事を思ってしまいます。

なぜ完全な自由を求めるかと言えば、会社を辞めた後辺鄙なところで暮らしてみようと思ったからです。 大阪に生まれ育って大阪以外で暮らしたことがなく、しかも中心部に住んでいてコンビニもない辺鄙なところに住めるのかと不安はいっぱいです。 何をして暮らすのか、当面は農業、地元に溶け込めるのか、なるべく溶け込みやすいところを選びます。 辺鄙なところは非常に排他的であったりします。

無責任な話ですが、排他的なところで馴染む事が出来たらより濃く地元に溶け込めるのではと考えたりしますが、実績がないので何とも言えません。 この年であえて冒険を考えるのは昔から田舎暮らしへのあこがれがあったからです。 山登りをやっていた時、上りだすところは辺鄙な村で、村の人との少なからず関係がありました。

最近ではオートバイのツーリングが趣味で辺鄙なところに行きますが、地元の人に話しかけられたりします。 辺鄙なところには住んでいる人が少ないだけでなく、ガソリンスタンドや食事をするところも大変少ないです。 住んでみると不便で退屈、お金を稼ぐことのできる仕事があれば多くの時間を仕事に費やしますし、趣味に没頭できる可能性もあります。 最も今は辺鄙な土地でやる趣味をもっていませんが。

しかし、住んでみたくなる美しい場所は多くあり、私と同じような自然の中で暮らしたい人が寄り添う事が出来たら力を合わせていろいろな事が出来ると思い、ワクワクします。

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[経営]

普遍のドラッカー

ドラッカーの研究者が『なぜドラッカーは時代を超えて生き続けるのか』というコメントを書いていました。 ドラッカーの評価は経営学者の側面が大きいですが、これはアメリカの大企業の経営コンサルタントを行ってきたからではないかと思います。

本人が『自分は経営コンサルタントではない』という意味のコメントを見たことがあります。 したがって本人は経営学者という認識も薄かったのではないかと思います。 では一体ドラッカーは何をしてきた人なのかという事になります。

私はドラッカーの研究に精通しているわけではありませんし、経営学をよく学んだわけではありません。 私自身経営学の定義を理解していません。 私は零細企業とはいえ経営に携わってきたものですから『経営学』には反応してしまいます。 そのたぐいの本は千冊弱は読んでいるはずなのですが何も残っていません。 思い返してみると経営学はスキルの体系学問、スキルだけに儲かる、安定するにつながる実学のイメージでした。

しかし長期にわたり経営に携わり、役に立ち応用できたのはドラッカーや古典中国の思想、同じ経営者のお話です。 それでも経営学の本は今も読みますが、実際の経営は科学ではないのではというのがドラッカーや経営学の評価です。 科学は普遍性、再現性、法則性を問われるもの、現実の経営にも普遍性、再現性、法則性の側面はあり、スキルとしては簿記なども科学的です。 しかし簿記は完成されたスキルであって学問としては範囲の狭いものでしょう。 経営はほぼ組織で行われるものですから組織論も科学的に分析できるものと思われます。 しかし総体として経営という抽象的なものは定義すらあいまいで、とても科学的とは言えません。 あくまで私見ですが。

ドラッカーや中国古典思想が経営にとって役立つ理由は数千年の歴史を経ても普遍的なものだから残っている、なぜ中国古典かというと当時の思想家は戦や国家統治で役立たなければ生きてゆけないからだと思います。 それゆえアカデミックと対極にある立場の人が編み出したもの、ドラッカーも当時の思想家と同じ立場だったのか、それとも中国古典をたまたま読んで普遍性を見抜いたからそれを応用したのかだと思います。
フォードやGEの経営指導をするとき、そこには優秀な経営者がいてスキルの部分は完璧だったのかもしれません。 しかし事の本質についてそれら経営層の人が強く意識していたかは疑問で、ドラッカーはその部分をぶれないよう指導したと思われます。 なぜならそれは普遍的な事柄だったからです。

初めに戻ってドラッカーの研究者がドラッカーの普遍性について『人と組織に視点を置いたから』と述べています。 人と組織に普遍性があるという事でしょうか?

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[価値観]

[習慣化]

諦めの納得

なんとも意味不明のタイトルです。 自分が諦めの悪い人間であることは欠点か長所かと考えることがよくあります。 そのような気質を生かすか生かさないかで欠点にも長所にもなってゆきます。 問題は程度の話、諦めが悪いというより執念深い事例として前職で役職上位者で評価できない人が私が仕事に集中しているときに頭をはたいていきました。 集中していただけに何が起こったかわからず、状況が把握できて怒りがこみ上げてきました。 結局何もしなかったのですが、その人とは以後の関係が改善する事は無く、約30年経過した現在でも思い出すことがあり、同時に怒りがこみ上げてきます。

もし今、眼前にその男が無防備で現れたとしたら仕返しとして殴るだろうか、過去を忘れ昔話をするか、どちらもないでしょう。 私は仮に挨拶を受けたとしても完全に無視するでしょう。

誰でも再現したくない記憶をもっています。 それは完全に忘れてしまう事が将来に向け、その人の幸せにつながることだと思います。 だからそもそも30年も忘れられない憎しみの記憶をもたなければよいわけですが、その時はかっとなって記憶が刷り込まれてしまいました。 その後30年間たまに再現されたことについては幸福のマイナス要因となりましたし、その男と以後うまく付き合えば会社での人間関係は潤滑に言ったと思います。

しかしその男は内容の乏しいアクションが派手なだけの人間だったので、その男と関係を円滑に継続したことにより人として得るものは少なかったように思います。 つまり自分にとってどうでもよい人間との関係で大事な記憶領域を長期に使ったことの喪失は計り知れないと思います。

そもそもバカ、もしくはバカげたことに対する憎しみは善悪の問題でない場合が多く、憎しみを抱かない価値観を身に着けたいものです。 私はこのようなバカげた感情のゆらぎ、それが憎しみに関わることであれば紙に鉛筆で克明に書くようにしています。 1つの事案を1時間かけて克明に記述すればそのようなこと自体がばかばかしくなってきます。 忘れようと思うより、克明に思い出してそれがつまらぬことであると認識に導くことが諦めの納得ではないかと思います。

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[生活]

[社会]

CCRC

表題はcontinuing care retirement comunityで、日本語に直訳すると『継続的なケア付きの高齢者たちの共同体』だそうです。 アメリカでリタイアした人たちが安心、安全で楽しく暮らせる小さな町をつくり、暮らすことだそうです。 広大な土地に戸建ての家が並び、高額の入居費用を払った富裕層の高齢者が暮らしています。 写真では町の中をゴルフカートで走っているのが写っています。

日本でも定年を迎えたりしてリタイアした人たちが趣味の世界や新たな就労場所を求め、さまよっています。 あるネット情報では日本でもCCRCの考えに近いものを作っているそうですが、成功事例はほとんどないとのこと、希少な成功事例として安倍総理も見学に行ったシェア金沢と運営本部の佛子園を訪問し、責任者に話を聞いてきました。

もちろん仕事として出向いたわけですから将来事業化できるか模索するのが出張の目的です。

本部の佛子園は北陸本線の金沢の数駅南の松任駅から歩いて15分の所にあるお寺です。 ここの住職が大昔まだ障碍者施設の無かったころから障碍者が集まるようお寺を解放したのが始まりだそうで、現住職が障碍者や高齢者に関する法整備に伴い施設を開設しました。 CCRCとはいえ高齢者に特化しているわけではなく障碍者、高齢者、健常者、子供も大人も『ごじゃまぜ』の共同体を運営していることが特徴です。

本部の責任者に面談がかない、お邪魔しましたが大きな施設でどこに責任者の方がおられるのかがわかりません。 お寺の本堂横に入り口があり、人がいないので中に入ってゆきました。 長い廊下に面してあるトイレで男性が大声を上げています。 喧嘩でもしているのかと思いつつさらに奥に入ってゆくと大きな蕎麦屋さんがありました。 厨房にいる人に声をかけようとすると職員のほとんどの方がダウン症の人で、責任者の人を訪ねると今日はまだお見えではないとのことで待つことにしました。

面談予定の時間が過ぎてもその方が現れないので事務所に電話するともっと奥にある事務所に来るように指示され、さらに廊下を進みました。

やっと事務所に到着し、責任者の方にお会いできました。 ビデオ映像をもとに施設の全体像を説明し始められたのですが、途中で質問するとビデオを止めて質疑に移りました。

認知症の高齢者の通所施設と重度の身体障碍者と同じところで過ごされていて、認知症の高齢者で夜間徘徊を繰り返す方が首が回らない障碍者にゼリーを食べさせる話に及びました。 毎日ゼリーを食べさせるために毎日施設(ディサービス)に来ることで夜間徘徊がなくなりました。 首の回らない青年はゼリーを食べるために首を回しているうちに首が回るようになりました。

今回の訪問の目的は当社でCCRCに似たものを事業として行えないかを探るためのものでした。 しかし話題はどのような考えで、何をして、どのような成果があったか『ごちゃまぜ』の話で終始してあっという間に1時間半がたってしまいました。

シェア金沢まで代表者に車で送ってもらうことになり、その前にダウン症のひとが運営している蕎麦屋でおろしそばを頂きました。 ブータンから取り寄せたそば粉で打ったそばは絶品でした。

車で40分、シェア金沢に到着し、代表と別れると中にある駄菓子屋に行きました。 自分と同じ年くらいの人が店員で、コーヒーを注文し話をすると同じ年の人で、名古屋で勤めていた会社を体調を崩して定年前に退職し、シェア金沢のサービス付き高齢者住宅に住んでいるとのことでした。 話をしていると小学生くらいの2人の女の子が話しかけてきました。 まるで友達に話すみたいになれなれしく話しかけてきます。

近隣に遊びに行くところが少なく、ここによく遊びに来るとのこと、ここの職員は皆顔なじみとか、私のようによそ者が珍しかったのでしょう。 ここは高齢者や障碍者の施設ではなく人が安心して話が出来る村のようです。 多くの人が他所から遊びに来ています。 温泉もあればフットサルグラウンドもあり、高齢者も住んでいれば金沢大学生の下宿もあります。 それぞれの人が何らかのきずなで結びついていて村を形成しています。

事業としては職員数700人くらいとのことでした。 社会福祉法人で運営されていて利益も出ているそうです。 投資額ははっきり教えてもらえなかったですが100億円未満でしょうか? 施設運営で事業費を稼ぐと考えるのか、高齢者や障碍者に住む場所や仕事や夢や安心を提供するのか、地域経済の活性化を図るのか、視点はいろいろあるでしょうが素晴らしい事業、村です。

できる事ならもう少し大きな規模でやってみたいと思いました。 地方の人口減少市に都市部のリタイアした高齢者が千人単位で移住し、自分たちの力で産業を興し、生活費を稼ぎ、都市を作り上げてゆく、底には自然も残っていて、体を使って働き、健康寿命を延ばし、所得を得て友達が作れる、そして適度に趣味も行える村、そして住人が高齢化していく中で最終的にその村で高齢者向けの施設も自分たちで作っていく事が出来ればどれだけ素晴らしい事かと思いました。 もちろん事業ですから利益が出ることが必要ですが。

 

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