監査役BLOG

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生活

[生活]

やりだめ出来ない

日常生活で結果を溜められないことは多くあります。 食溜めも寝だめも出来ません。 健康維持のためにダイエットをしていることは何度もお伝えしました。 一般にダイエットと言えば減量することですが、私の場合減量できなくても中性脂肪値と悪玉コレステロールが下がれば良いのですが、体重が減れば尚良いに決まっています。

食べるのを控え、イソフラボンの多い大豆を食べ、筋トレをして基礎代謝を上げる努力をすると体重は減りました。

血液検査は二カ月毎で前回の検査では中性脂肪値が上がっていました。 筋トレも気が向けば数多くするのですが、筋肉痛になったりします。 毎日無理のない回数をこなせばよいのですが、気が向かないとできません。 気が向いたときにやりだめ出来ればよいのですがそうは行かず、やらない時間が長いとついた筋肉は細ってきます。

筋トレ以外にも趣味の読書や仕事の本を読むのもやり始めると最初の苦痛がなくなって快感になり、そればかりを続けてしまいます。 例えば比較的苦痛の少ない、と言うか楽しみでもある小説はたまたま面白い作家が見つかったらその作家のすべての作品を続けて読んでしまいたい方です。 いま嵌った作家は佐伯泰英氏、大阪市立図書館の蔵書検索では何百冊と出てきます。 仮に一日一冊読んだとしても数年かかり、その間他のことが出来なくなります。 ここ数日は筋トレもそこそこに朝起きて読み、夜読み仕事、睡眠、食事の時間を除けば読み続けています。 途中で飽きれば他のことに集中します。

自分でも嫌になる性格ですが筋トレ等は飽きるのが早く、朝から晩まで腹筋をしていることはありません。 もし筋トレも小説を読むのと同じようになればそれはそれで便利なことかもしれません。

バランスよくやるべきことをやる、食事も忘れるほど読書に熱中して減量方法もあるのかもしれませんが。 バランスをとるために10日ごとに何ができたかチェックリストを作っています。 記録し反省しなければバランスはとれないでしょう。 ある10日はエアロバイクが多く、ある10日は腹筋、スクワット、腕立てと偏りがありますが、チェックリストの項目を変えなければ一か月の中である程度のバランスをとることができています。

 

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[生活]

[習慣]

続ける事

健康診断で異常値が出て、治療も受けていますが生活習慣を変えることが効果的という事で、ダイエットと運動、食べ物の工夫をしています。

健康診断での異常値は中性脂肪値等症状が出ないものです。 年齢が年齢なので健康診断の異常値はすべて解消したいと思いました。 目標を設定し、10日ごとの計画をたてて取り組んでいます。 10日ごとの計画はもう何年も続けていて、項目もそれほど変えていませんが、例えば仰向けに寝て上体を持ち上げる腹直筋を30回すれば1点と記録します。 10日で100点強だったのを少しづつ増やして400点弱までになりました。

同時に大豆を主食とした食事に代え、食事量も大幅に減らしました。 結果体重は2kgほど減少し、腹囲もへりました。 これだけをするのに生活時間も工夫し無駄な時間を減らしました。 要は何もしない時間は日常生活でほぼない生活で、筋トレで疲れると本を読み、掃除をし、疲れてしまえば早い時間に寝てしまうという生活です。 結果筋肉や関節が痛くなりだして疲労がたまり、大豆の食べ過ぎからアレルギーが出てしまいました。 20時に寝ると7時まで起きられず、次の日は20時に寝て2時に起きる不安定な睡眠になりました。

何か目標を立てると結果が欲しくなるのは人情、目標は健康体の回復で実感しにくいものですからそのための方法として筋トレのメニューを記録しているわけですが、時間がかかるので筋トレ目乳を目標にすり替えています。 結果やりすぎになったと思われます。

筋トレメニュー以外の目標として体重を計っていますが、これも目標として達成感は小さいです。 継続を考えるとあと思いつくのは習慣化、例えばトイレに行けば腹筋30回とか、朝起きればスクワット50回とか決めてしまう事ですが、意外にうまくいきません。

そもそもどこも悪い症状が出ていない中でこれらの目標意識を持ち続けるのは難しいです。 もし中性脂肪値が一定を超えれば確実に死に至るとか、恐怖があればもう少し頑張れます。 体重が1kg減少するたびに表彰されるとか、ゴルフのスコアが10縮まるとかあれば目標維持に良いかもしれません。

体重や中性脂肪値はともかく、働く意欲や知的活動を活性化する目標は数値がされないのでさらに難しさがあります。 経営の本を年に100冊読んでもこれらが活性化される保証はありません。 しかし目標は必要で、結果に結びつくかどうかは別にして考え、本を読み、興味をもって話をし、その繰り返し以外の方法はありません。 殆どの経営者は同じことをしているのですから。

自分と同年代の人が組織のトップを務めていて大きな成果を上げている現実があり、興味を持ち、考え、考えたことをまとめて書いたり話したりしながら継続していく以外にうまく生きることはできないのでしょう。

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[生活]

[習慣化]

shopping

買い物は楽しいものである。 本当に欲しいものが手に入ったときはワクワクします。 おそらく誰でも同じだと思います。

私の友人は特に好きで、ネットで調べ、ショップで現物を見て回ります。 身に付けるものを見ることが多く、 服は売るほど持っていて靴はムカデじゃあるまいしと思うほど持っています。 そしてお金がないとぼやいています。

お金の機能の一つは交換価値を担保すること、物を買わないのであればお金は必要ありません。 なんでも盗むことができるドロボーはお金をあまり必要としないでしょう。 宅急便の来ない辺鄙なところに住んでいる人もお金はさして重要と思わないかもしれません。

私はドロボーを生業にしていないし、宅急便の来るところに住んでいてネットショップで買えばすぐに商品は届きます。 徒歩圏にデパートもあり、電車で数分圏には関西を代表する繁華街もあります。 物を買うことに関しては恵まれたところに住んでいます。

子供のころから質素な生活をしてきてお金を使う、モノやサービスを買う習慣が乏しい生活感が染みついています。 ありていに言えばケチ、よく言えば質素を美徳としていて地下鉄も二駅ぐらいは歩いて行きますし、近所の事務所に郵便物は自転車で届けたりします。 タクシーに乗ることはなく、健康管理に注意していますが医者の診察もなるべく受けないようにしています。 住居費を除けば月に5万円もあればタバコも買って生活できます。

10年以上前に3年ほど迷って自転車を買ったことがあり、今もその自転車に乗っています。 タイヤはもちろんチェーンやスプロケット(チェーンのかかった歯車)も交換して乗っています。 その時、買うことを迷ったのは仕事で使う自転車をサイクリングにも使えないかということでした。 プロショップに行き、100万円くらいの自転車に試乗してあまりの軽さと走りやすさに感激しました。 しかしそれぞれのパーツの耐久性は低く、距離を走れば頻繁に高額の部品を交換しなければならず、盗難にも気をつけねばならないなど購入対象から外しました。

プロショップをやめ元プロショップの店長に相談に行きました。(プロショップは4軒ほど回りました) その店長が普段乗っている自転車が置いてあり、結局それを買いました。 価格は3万円、一応サイズもあり、フィッティングもしてくれました。

ある上場企業の部長にこの話をしたら『なんでそんなにけち臭い』とバカにされたのを覚えています。 しかし10年以上使っているわけですから買い物としては大成功だったと思います。 このことを思い出して自分も買い物は好きで何軒も見て回る癖があるけれど買うというより探すこと、持ち物にするなら最適のもの、毎日違う服を着るよりかはお気に入りの服を何着かとっかえひっかえ着られなくなるまで着ることが習慣だと思います。

家に物は少なく、引越しは楽にすみます。 気が付けば物を捨てるようにしています。 それでも物が増えているか減っているかといえば微妙なところです。 貰うものもありますから。 物が少ないとシンプルな生活を送れるように思います。

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[生活]

人格を鍛える

ある職員の人が見た目や所作、話す言葉から人格に問題があるかのように誤解されました。 私はあまり気にしなかったのですが女性職員の多い会社なので服装の清潔感など話題になってしまいます。

そこでその人と話をすることにしました。 悪いことをしているわけではないので注意ではありません。 その人のことを思い、その人のためになる話をしようと一日考えました。

結果的に言った言葉は苛烈でした。 私の気持ちが伝わったのかどうかわかりませんが、気持ちを込めて言ったつもりです。 伝わらなかったとしたら私自身に問題があると心に決めました。

私自身の人格が他人の尊敬に値するものと思っていません。 私は人格を疑われるようなことをやってきたように思います。 自分の生きてきた足跡として関係した人の尊敬の念が蓄積されているかというとそうではありません。 若いときはいつも不満を抱き他人と融和せず、自分がやろうとすることをひたすら推し進めた人間だったと思います。

話をした人は過去の話を聞く限り立派に誠実に生きてこられた方と思います。 私がその人から説諭されるならともかく逆の立場であることはめぐりあわせの意地悪さを感じました。 どのような感情をもったとしてもやらなければならない話はします。 自分を偽り話すのではなく、単に損得の問題としてなら私には語る資格があると思いました。

話し終わってから一日たって自分の人格を鍛える必要を感じました。 人格は形成されると言いますが、良い人格かつまらない人格かは別にして64歳の自分としては自分の人格を白紙に戻して形成し直すことはできません。 そこで鍛えると表現しました。

目的は自分の人格が他人から見て尊敬に値するものであること、他人から見て私の人格が解り易い事です。
鍛えるために何をするのか、私の結論は体を鍛える事、苦痛を自らに与えながら考え続けて自分にとって有効な考えをふるいにかけて残し、しみこませてゆくことだと思いました。 少し焦点がずれて見えるかもしれませんが、僧侶の修行でも作業を淡々とこなす、阿闍梨のように長期に山野を駆け回る、座禅を組んで煩悩を消し去るなどと通じることかもしれません。

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[生活]

ダイエットシリーズ

ダイエットの話題になると『全然太っていないじゃないですか』と言われます。 確かに見た目太っているように見えませんが、体重はあります。 今度は『筋肉質なんじゃないですか?』と言われます。 昔ならペンより重いものは持たない生活、現在ならキーボードを叩くだけとなるでしょうが、近距離の自転車移動をやめて徒歩です。 毎日1万歩前後でしょうか。

食べる量も多くありませんが中性脂肪が基準値より高い、悪玉コレステロールが高いなどダイエットというより運動を求められています。

この2日は久しぶりの連休、エアロバイクで毎日500kcal分漕ぎます。 好きなアンパンの袋に450kcalと書いていましたから体重を落とす目的なら食べない方が効果的です。 エアロバイクで500kcalは走行距離にして60㎞くらいになります。(負荷をかけてペダルを重くすると走行距離は減ります。 そうすると心拍数が増えて負荷が低下します。 心肺機能が低いので機械的に制限されます。 風の無い平坦道の実車走行なら20㎞/時間程度の負荷になります。)

食事も減らします。 朝はコーヒー1杯、昼は野菜スープ、夜はお好み焼き1枚、食事をしないと私は便秘になるので体重計に乗ってもほとんど変化はありません。 エアロバイクい゛外にも腹筋やスクワットなども行います。

小さい部屋で暖房を入れずにエアロバイクを漕いでいると室温が上がってきます。 昨日なら11℃だった室温が13℃くらいまで上がり、湿度も上がります。

人間の体は不思議てこれだけからだに負荷をかけても空腹感はありません。 それをいいことに何も食べないでいて外出時に倒れてしまったら大変です。 若いときに体重を落とす目的で(ロッククライミングをするべく減量しました)3日食べなかったことがあります。 この時は梅田の旭屋書店で本を探していて立ち眩みし、慌てて何か食べました。 年をとるとなかなか立ち眩みも起こりません。

今回のダイエットは目的が中性脂肪値の改善、摂取カロリーを減らすこと、運動することが目的で減量は目的ではありません。 それでも少しでもスーツの似合うスタイルを維持したいというのは無謀な事でしょうか?

ハリウッドスターで私より年上の人が全然老人臭くないのを見ると自分もと思ってしまいます。

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[生活]

年始

昔から正月を楽しみにしたことは覚えていません。 家族で初詣という習慣もなく、仏壇の前に家族がみな集まり、家長つまり父親が経を唱えるというのが儀式です。 たまたま父親は寺で育ったのでそのような事が出来ます。 そのあと大昔は屠蘇の盃をかわし、おせちをつまんでお年玉をもらう、あとはTVを見て一日を全員が仕事をしないで過ごし、昼から寝るというものでした。

子供にとっては退屈な時です。 昔の正月番組は今でいうバラエティ、私にとって面白いわけではありません。 大学生になると家にいるのがうっとうしくて大学に行ったり、年末年始の高給バイトに勤しんだりしていました。

昔の生活が災いして今の正月の過ごし方も似たり寄ったりです。 元旦は溜まっている本を読むのと小さい会社の月次決算処理、増えた体重を落とすべく食べるのを控え筋トレ、エアロバイクですが、小さい会社の通帳記帳にATMまで出たついでに近鉄線に乗って八尾まで散歩に出かけました。 八尾駅から北東方向に歩き出し、恩地川沿いに北上しました。 恩地川には大きな鯉がたくさん泳いでいて鴨の親子が餌をあさっています。 東花園駅まで1時間半ほどかけて歩き、花園ラグビー場でラグビー観戦を終えた観客でごった返す電車で帰りました。 約8㎞、15千歩の散歩でした。

2日は友人と初詣、浪速区の大国主神社、生玉神社、四天王寺、堀越神社と近隣寺社巡りで間に阿倍野でお茶というパターンです。 どこも参詣者が多く、お賽銭を上げるにも並ぶ始末、生玉神社は並んでみたものの10分立っても1mも進まないありさまで引き上げました。 日本は神さんが多いので大変です。 朝9時スタートで全部終わって夕方、25千歩歩きました。

3日は読み進めなかった本を読み、エアロバイクを漕ぎ、筋トレや階段昇降を繰り返し体重計に乗って体重が減っていないのに愕然としました。 夜はネットで運動と消費カロリーの関係を調べ、脂肪1kgを減らすのに7200Kcal、ランニングで落とすなら100㎞走らなければならないそうです。 運動だけに頼って減量するのは64歳の自分には酷な話、ならば減食という事になります。 すでに大豆を大量に買い込んで食べています。

自分の基礎代謝を簡便計算で求めると1570kcal、運動による消費と合わせて2100kcalとすれば1食700kcal以下に抑えると体重は落ちるはずです。 原料の失敗する水準は1カ月に5%以下に抑えることだそうです。 73kgの体重があるので5%は3.65kg以下の減量目標になります。 これを超えた原料は8割がリバウンドおこすようです。 私の場合は1kg/月程度を目標にしていますが、10カ月で当然10kgになるので大きな目標です。

1日の摂取カロリーを240kcal抑えるだけで1kg/月減量できるわけですから(7200÷30)、700-240=460kcal以下であると3kg/月の減量が達成できます。 食品カロリー表を見る限りこの水準のはずなのですが現実の体重は横ばいです。 体重に関してはショッキングな正月でした。

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[生活]

海外駐在

ドイツに駐在する息子が一時帰国しました。 海外駐在は私の若いころなら羨望と憧れの的でした。 息子の会社では昇進は遅れ、日本の労働基準が適応されないのか帰宅は遅く、21時からの業務の指示など当たり前のことだとか電通の事件があれだけ騒がれているのにこの会社の現場管理は熱心ではないようです。

久しぶりなのでつまらない質問をしてしまいます。 『昼ご飯は? 近所の和食を食べているよ、いくらくらい? だいたい10ユーロかな、 昼ごはんに1300円は高いね、1ユーロの肌感覚は100円くらいだから千円くらいか、それでも高いね』、日経新聞を読んでいると毎日ヨーロッパのニュースに触れます。 ドイツのニュースは特に多いと思います。 メルケル首相が何を結ったかまで報道されるのでドイツに珍しさは薄くなっています。

若いときあこがれていた海外駐在、当時の赴任先はアメリカ以外は発展途上国でも大変な憧れでした。 ましてヨーロッパとなるとなおさらですが、ドイツ人の部下と英語で遣り取りし、1300円の日本食をお昼に食べて日付が変わるまで仕事に追いまくられるのでは憧れも消えてしまいます。

年が明けるとすぐに帰国ですが、近くの任地に帰るのを見送る気分です。 飛行機の搭乗時間が12時間だそうですが、国内でも最短移動時間12時間超の場所があると思います。

国際化のメリットは大きいでしょうが、通信技術が発達した現代ではドイツに事務所を構えて内勤部隊を駐在させる意味は乏しいのではと思いました。

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[プライベート]

[生活]

自己流ダイエット

中性脂肪が高く、定期健康診断で要治療と診断、医者に相談に行きました。 中性脂肪を減らす薬を処方してもらい『大豆を食べるように』と言われました。 ネットで大豆30kgを買い、圧力鍋で大豆を焚いて食べています。

大豆が主食とならなかったのは単位面積当たりの収量の問題かと思っていましたがおいしくない事が主食でない理由と実感しました。 しかし食べなければいけないので味付けに工夫し、豆腐を入れて炊くなどしています。

2週間ほど続けて体重は2㎏ほど減りました。 大豆効果ではなくあまりのまずさにたくさん食べる気がしないからでしょうか。 理由はともかく減量は順調です。 原料と中性脂肪の減少は同じでないにしろそもそも基礎代謝を下回るカロリー摂取では痩せるでしょうし中性脂肪も減ってゆくでしょう。 植物性とはいえたんぱく質は多く含まりていて筋力低下やタンパク不足もまぬかれそうです。

次に運動、エアロバイクを譲り受け、消費カロリー100kCal.にセットしこぎます。 走行距離にして約10㎞、エアロバイクの解説は300kCal.を目標としていますが、耳たぶに付けた心拍数計が安静時に100/分を下回りません。 ダイエット以前の問題でタバコを控え、そろそろ漕ぐようにしました。 2週間続けて300kCal./日を消費できるようになり、心拍数も平均値になりました。

昨日は甘いものが食べたくなって粒あんドーナツを一つ食べました。 袋を見ると350kCal.、本日のエアロバイクがあえなく徒労に終わります。 なおさら運動が必要ですのでこぎだしましたが、エアロバイクのハンドル部にモニターが付いていて、そこにノートパソコンを乗せネットを閲覧しながらこぐと時間の経過を忘れて漕ぐ事が出来ました。 本を読みながらとか英会話を聞きながらも試しています。

運動も同じことをしていると使う筋肉に偏りが出るので自重トレーニングやゴルフクラブの素振り(思いのほか体力を消耗します)、近隣の移動は徒歩などと工夫しています。

小部屋で運動し体か温まってくると室温が上がり、湿度も上がります。 もちろん暖房を入れなくても寒くありません。 人間ストーブ・加湿器になっています。 最近の室温は夜間10℃を超えたところ、止めると途端に寒くなります。 室温が上がると言ってもせいぜい1度以下の上昇です。 64歳になっても体力強化が図れることを実感しました。

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[生活]

捨てる

引っ越しを考えています。 今住んでいるマンションは広く家賃も高いので狭くて家賃の安いところに越したいと思っています。 50㎡以上80㎡以下、広いリビングと寝室一部屋が理想です。

私は広く何もないところでボヤっとしているか、狭くてごみごみしているところが落ち着きます。 できればどちらの空間も欲しいところです。 山の中の一軒家に暮らすなら一部屋の小さい家でも暮らせます。 都会の中心で暮らすなら少し広い空間のある部屋がほしくなります。 この気持ちはだれでも同じと思います。

今住んでいるマンションのリビングは広くソファーとテーブルがあるだけです。 TVも音響装置もありません。 普段いる部屋は狭く、自分の持っている書類、本、衣類のほとんどが詰まっています。 さらに最近エアロバイクがあり、狭い部屋の中で動くのは大変な状況です。 PCやCD playerも置いてあり、音楽を聴きながらエアロバイクを漕いだり、本や日本経済新聞を読んだりしています。

もともと持っているものは少なく、服もあまり持っていません。 引っ越しするならさらに物を減らそうと考えています。 シーズンに一度も着なかった服、気に入らない服、読まない本、何かの記念においているものなどです。

例えば手帳、私は年1冊のB5判手帳を使いますがほぼ全ページにびっしり書き込まれています。 書くことに重きを置いていて書かれた記録を保存しておく意味は薄いです。 これが20年分20冊ほどありますが毎日記入に1時間程度使うので20年で7千時間分の記録、何の役にも立たないものの捨てるに忍びないです。

張り切って買った高額のスーツ、傷んでは困るとあまり着ないうちに流行遅れになったもの、イケアで買った事務机、天板を伸ばす事が出来る優れもの、リビングのテーブルで代用できるので気に入っていても廃棄となります。

自分が書いたもの、書籍、家具、衣服、それぞれ廃棄上の優先順位があり、着なくなったスーツとある年に使った手帳、どちらが廃棄優先が高いか悩みます。 いつも質の違うものを比べて悩み廃棄に手間取ります。 最後は思い切っているだろう物も捨ててしまい、あまり後悔していません。

捨てるくらいなら買わないでおこうと思いますが、買い物は楽しくつい買ってしまいます。 すべての必要な物を買う事が出来なければ自分で作るより仕方なく、机が必要なら机を作ることになります。 その机が生活の変化で不都合になったとしても自分で苦労して作ったものなら捨てずに置いておくでしょう。 物の価値は費やした対価で決まり、それが労働(自分で汗をかいて作ったもの)なら対価は実感できて、単にお金を払っただけなら対価の実感は薄くなります。 収入が大きくなれば対価の実感はどんどん薄くなるでしょう。 今住んでいるマンションは高収入の人が多く、ゴミ捨て場はまだ使えそうなものがたくさん捨てられており、そもそもごみの量が多いです。

もし収入が大きく減少すれば物を大事にしてゴミは少なくなるでしょう。

多くの物に囲まれて生活することが豊かさを感じる人がいます。 想像ですがゴミ屋敷に住む高齢者は普通の人から見ればごみに囲まれていて安心し、豊かさを感じるのではないでしょうか? その高齢者は預金通帳に使えきれない残高があってもワンルームマンションで生活に最低限の物しかない生活を豊かと感じないでしょう。

いつもながら話が脱線しましたが、偉そうに言って私自身引っ越しのために物を捨てる事が出来るかどうかは単なる思い切りではなく価値観の大きな変化がなければ物を捨てるたびに痛みを感じなければならず、それを避けてバランスを崩せば認知症になったときにゴミ屋敷化してしまいます。

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[生活]

自由

自由になることを考えた時に何が自分を束縛しているのか、一つずつ考えてゆきました。 家族は皆自立しているので家族からは今のところ自由でいられます。

持っている資産で手のかかるものは管理会社に任せています。 人間関係は大変少ないです。 持っている家財も少なく、書類の類は順次捨てています。

そもそも真の自由になるのは気持ちも自由、憎しみを抱いていれば意識が偏ります。 気になる人がいればその人の事を思ってしまいます。

なぜ完全な自由を求めるかと言えば、会社を辞めた後辺鄙なところで暮らしてみようと思ったからです。 大阪に生まれ育って大阪以外で暮らしたことがなく、しかも中心部に住んでいてコンビニもない辺鄙なところに住めるのかと不安はいっぱいです。 何をして暮らすのか、当面は農業、地元に溶け込めるのか、なるべく溶け込みやすいところを選びます。 辺鄙なところは非常に排他的であったりします。

無責任な話ですが、排他的なところで馴染む事が出来たらより濃く地元に溶け込めるのではと考えたりしますが、実績がないので何とも言えません。 この年であえて冒険を考えるのは昔から田舎暮らしへのあこがれがあったからです。 山登りをやっていた時、上りだすところは辺鄙な村で、村の人との少なからず関係がありました。

最近ではオートバイのツーリングが趣味で辺鄙なところに行きますが、地元の人に話しかけられたりします。 辺鄙なところには住んでいる人が少ないだけでなく、ガソリンスタンドや食事をするところも大変少ないです。 住んでみると不便で退屈、お金を稼ぐことのできる仕事があれば多くの時間を仕事に費やしますし、趣味に没頭できる可能性もあります。 最も今は辺鄙な土地でやる趣味をもっていませんが。

しかし、住んでみたくなる美しい場所は多くあり、私と同じような自然の中で暮らしたい人が寄り添う事が出来たら力を合わせていろいろな事が出来ると思い、ワクワクします。

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