監査役BLOG

カテゴリ

生活

[生活]

希望

タイトルの言葉ほど重い話ではありません。 適当なタイトルが浮かばすに『希望』としました。

日常生活で以前出来ていた事が出来なくなった時のことです。 何が一番ショックか?

山登りを趣味にしていたとき、かつて日帰りで行った計画に再び日程の余裕をもってチャレンジし、失敗したことは20年たった今でも希望をくじかれた事件として鮮明に蘇ります。

この事件は加齢による体力を実感した体験ですが、実際にはそれほど体力が低下していたわけではなく2度目の時の体調が悪かったり原因があったと思います。 とはいえ最初にその山に登った時から7年程度後の計画で、体力が低下していたのは紛れもない事実です。

最近うんざりしたことは携帯電話です。 携帯電話が出始めたころからしばらくは機種が変わるたびについている機能を全て使っていました。 例えば着信音を自分で作れる機能があり、付属のマイクで録音した音を着信音にしてみたりとかです。 その当時は携帯にも取扱説明書がありました。

しかしスマートフォンになってから取説は無くなり、機能は携帯を操作しながら気付くようになりました。 いろいろ操作して『そういう事が出来るのか、』と気付くのは魅力的なことですが、いくつか実際に行ってみてなるほどと思いました。 例えば万歩計、階段昇降階数までわかるのですが判ってしまうとこんなものかと思い興味を無くしてしまいます。 結果の記録もできればいろいろカスタマイズできるようになっているようですが、興味がわきません。

私より歳上の人がアプリをダウンロードしています。 その人はヨットが趣味で日本の各港の潮位がいつでもわかるアプリを使っていました。 投資している株価が判る、相場が急変したら警告してくれるなど聞けば便利なことです。 つまりはその人はヨットを趣味とし、株式運用をしてこずかいを稼いでいます。 頭が良くて器用で人柄も良くて友人もたくさんおられます。 自分と比較して自分がとりわけ劣っているとは思いませんが、優れているとはさらに思いません。 見えている部分ではその人の方がはるかに優れています。 仕事でも記憶力でもかないませんが別に落胆することはありません。

その人が器用に使いこなしたりしているスマホや器用に処理している業務において競う気持ちが湧いてきません。

しかしいつも他人の器用な姿を見ていて自分は違うと思っても虚しくなることがあります。 自分もあんなに器用に出来たらよいのにと。 そこで一念発起してチャレンジします。 それがスマホ等の電子機器等では壁に当たって止まってしまいます。 他人に聞いて要領を得ても元々大して興味もなかったことですから『そうか』で終わってしまいます。

つまらぬ競争心から行動を起こしてもとん挫する例を自分で作ってしまいました。 もし本当に興味が湧いたらとことん追求するのが自分の癖、若い時に比べ低下したのはいろいろな事への興味や関心、体力や理解力、記憶力といった計測可能なものは鍛え続けていれば低下するにしても微々たるもの、鍛えればそれなりに復活できるものです。

しかしあらゆることへの好奇心は鍛えようがありません。

コメントを残す

[生活]

元旦の生活

あけましておめでとうございます。 子供のころから正月は退屈で、どこのお店も休み、家族もTVの正月番組に見入っていて退屈でした。

大学生のころは家にいて親と話をするのが苦痛で、年末年始のアルバイト、元旦から大学の部屋で本を読むなど家にいないようにしていました。

結婚してからはスキー場の駐車場に車を止めて年末年始スキーを楽しんでいました。 もちろん車で寝泊まりしていたのですが。

ちなみに今日は近所のお寺に初詣、元旦も寝過ごすことなく普段の生活でたまっている新聞を読み、録画のビデオを見て自転車でゴルフの打ち放しに行きました。 西成区を横断して行くのですが、普段と変わることのない西成区でした。

さすがに打ち放し場は空いていて、好みの打席が取れゆったり練習できました。 道中の店舗はさすがに休みが多く、道行く大型トラックも少ないようです。

明日はオートバイで近場のツーリングに行くことにしました。

私はやはり正月の雰囲気が苦手でできれば早くいつもの日常に戻りたいと思っています。

コメントを残す

[生活]

孤独

孤独のイメージは介護業界にいるとまず独居老人を思い浮かべます。 一人で古い家に住んでいて、連れ合いは無くなり、子供は居てもどこか遠くに住んでいて連絡はほとんどない人です。

そこに長く住んでいて、数少ない銀所の顔見知りとあいさつするぐらいで人とのコミュニケーションは少ない人で、介護保険のサービスをしている我々も出会うことの多い人たちです。

若い人でも仕事場に行けば一人で黙々と作業をし、その作業も毎年同じ作業で作業ごとの打ち合わせもほとんどなく、仕事が終われば一人で帰宅する人です。 何か趣味を持っていれば休日にはその趣味で人との繋がりができます。

いま住んでいる大阪市の中心部では人が多く、買い物に出かければどこの店も人が大勢おられ、その中で一人孤独に買い物をすることになります。 古い家族意識が崩れて久しいですが、一方で人恋しく思っている人は多いかもしれません。 仕事では職場で食事会をしたり、取引先と懇親を重ねたり、家族関係が希薄になった裏返しかもしれません。 個人主義の歴史を持つ欧米でどのような感覚なのか暮らしてみないとわからないでしょうが、ハリウッドの映画でも独居老人が登場して同じような事が起こるのだと妙に納得してしまいます。

経営者が孤独とよく言われます。 取引先をはじめ職員との関係も濃密であるのに何が孤独なのか、と思った時期があります。 経営者の仕事は背負いきれない大きな責任を負いながら次々に決定を下し、結果に対する責任を持つことが仕事で、その点では会社の中で唯一の仕事をしている立場です。

決定を下す上でいろいろな人と会議での調整や取引先との折衝、その交渉方法の検討(私はよくロールプレイイングを紙に書きます)、本を読んだり調査をしたりします。 だから孤独など感じることはないように見えますが、多くの人が関与してそれぞれ意見が出て、意見を言わない人の意見を聞きただしたり想像したりして、よくもまあみんな意見が違うものだと感心します。

それはジグソーパズルのピースを床にぶちまけたようなもの、一つとして同じ物は無いけれど時間をかけてつなぎ合わせると一つの絵になります。 私は大抵完成した絵をあらかじめ描いていて、そのイメージでピースをつないでいきます。 どうしても見当たらないピースがあったり、途中で完成形と異なる絵が浮かび上がってきたりします。 多くの意見があり、誰もが真面目に大きな目標を意識して取り組んでいて、場合によっても対立すら生まれて悲しくなってきます。

何が悲しいのか、自分の考えに共鳴できる他人の考えがないこと、これは悲しくなるほどの孤独です。 天才の考えは一般に受け入れられず孤立することが言われますが、私は凡才、当たり前のことを考えているだけです。 孤立する天才は自分が天才であると意識しているのかどうか知る由もありませんが、凡才が凡才を意識しているがゆえに孤独感もいっそう募ります。

コメントを残す

[生活]

煩雑な世の中

私は郵便局の近所に住んでいますが、最近郵便局の駐車場に車があふれ、駐車場に入れない車が路上に溢れています。

理由はマイナンバーの交付書類が書留で郵送されてくるからで、皆それを取りに来ています。 昼間に配達されるので私も郵便局に取りに行ってそれで郵便局が混んでいる理由がわかりました。

プライバシーの問題からマイナンバーの交付は本人確認が必要でそれがこの事態になっているようです。

マイナンバー制度により各種証明書の発行が便利になるので、制度そのものは賛成です。 しかしプライバシーの保護という点で既存のシステムを使うと初めの交付でこのような事態になります。 便利になれば悪用を考える人が出てきてその対策に問題が生じます。 マイナンバーに関しては運用段階で新たな問題が出てくるように思います。

たまたまある許認可の申請で申請する会社の取締役全員に対して大変多くの個人情報の登記・登録情報の提出を求められました。 後見人でないことの証明などそんな冬季がある事すら知りませんでした。 請求される書類のいくらかがマイナンバー制度で簡単に取れるかどうか知りませんが、マイナンバー制度が運用されれば便利になるように思います。 それらの書類は市町村であったり本務局であったり、取得できる役所もまちまちです。

世の中はどんどん複雑になって行きます。 それは新しい制度が出来てそれに応じたシステムが作られ、そのシステムを簡単にするために新たなシステムができる、その繰り返しでどんどん複雑なものになってきます。

複雑になったものを簡単にする複雑なシステムが出来て、使いこなせば簡単ですが訳が分からなければやはり複雑になります。 私は62歳、私の子供のころ家電が普及しだしました。 たとえば洗濯機やテレビ、電気屋で買えば届けてくれて設置してくれます。 取扱説明書など簡単なものでした。 最近の家電は何冊もの取説があり、複雑な事が出来るようになってようです。 便利になって複雑になるのか、便利さには複雑な代償が求められるのか、結果は複雑で便利ということです。

自分が若かった時、複雑な取説を読み解いてあまり使われない機能を使って得意がっていた時期がありましたが、この年になるとめんどくささが先に立ってなかなか取説に取り組めません。 さらに歳を重ねてゆけばおそらく新しい複雑さについてゆけないように思います。

コメントを残す

[生活]

介護

新聞に報道された2014年の医療費は40兆円を超えたそうです。 前年比700億円が増加、国民所得の10%を超えているとのことです。 原因は高齢化で、日本の平均寿命が延びる中で今健康年齢が話題になっています。

人生最後の10年は介護が必要になるそうで、この年数を減らすには病気にならない事、これは医療費削減につながり、健康年齢(介護が必要でない)が伸びれば介護費用の削減にもつながります。

TVの番組や健康にまつわる書籍は増加していて、それを見たり読んだりしていると健康年齢を維持することが食生活や運動、ストレッチで可能に思えてきます。

何十兆円も医療・介護に費やすならその一割でも予防に費やしてはどうかと思います。 自治体が健康診断を行って健康に対する認識を高めたり、健康体操教室を行ったりしています。

昔、TVで『納豆を食べれば〇〇に良い』と報道された翌日にスーパーの売り場から納豆が消えたことがありました。 購入されたのは健康に気を使っている人でしょう。

高齢者に特有の疾患があり、その予防のために塩分を控えるとかストレッチをするとか、ウオーキングをするとかでかなり発症率を減らすことができるようですが、食事や運動は本人の身体状況を踏まえて適切なメニューが必要なのでしょう。

『判定できないものは改善できない』という言葉がありますが、現状を知り、改善の目標を立てて日々食事に気を付け、運動を行うことでどれだけ改善できたか知ることが大切だと思います。

そのことにお金を使う、例えば介護・疾病予防保険制度を作り、検査をしてデータが改善できれば保険機構から補助金が出るとか、個人データを国が管理し、データが改善すれば所得税率が低減されるとか、思いつきとしてはよいと思うのですが、遺伝により発症する疾患もあり、一律な運用は難しいでしょう。 しかしそういう制度が設けられれば少なくとも私は健康おたくになり、最大限の減税を狙うことになると思います。

健康でいられなくなったら医療が面倒を見る、介護が必要となったら介護保険制度で介護サービスを提供する、それは先進国として素晴らしいことなのですが、食生活や生活習慣に気を付けて、医療・介護の問題を回避すれば本人の生活が豊かでいられるのは勿論ですが、所得面でメリットがある、そして仮に生活習慣病になれば自己負担割合が高くなり、高額出費となるなど予防と治療、保険料徴収と所得補填など両面の制度を充実することが一番健康を誘導することに繋がるのかと思います。

これだけ医療・介護費用が伸びている国が平均寿命を延びたことだけ評価するのは先進国とは言えません。

コメントを残す

[採用]

[生活]

長所と短所

採用面接は応募者がどのような人か、その人は当社に入社して携わる職種で貢献してくれるのかを見極めるもので、応募者は自分が意欲をもって働き続けられるかを図る場と思います。

絶対的にどこの企業でもオールラウンドに活躍できる人材はいないか少ないかと思います。 幕内力士は優れた身体能力をもっていてもプロ野球で通じるかどうかは別問題であるのと同様です。

しかし力士のようにほかのアスリートに比べその身体能力に特徴があるだけにオールラウンドとはいきませんが、汎用性の高い身体能力もあると思います。

同様にどこに行っても花開く人がいます。 日本経済新聞の『私の履歴書』には各界のトップが寄稿しますが、技術職人や学業に励んでいなかった人が登場します。 ご本人は企業のトップを目指していたわけではなく、自分の職責を果たしているうちにいつの間にかトップに立っていたという経歴が多いように思います。 もちろん新聞に公表する文章ですから入社した時から社長になるのだと強い意志をもっていてもなかなか公表しがたいかもしれません。

採用面接でもいろいろ質問を考え、例えば「社長になりたいですか?」と質問して、応募者の人は本音を言ったり、用意してきた当たり障りのない答えをおっしゃいます。 そのような質疑で応募者の特性を知ることはなかなか出来ません。

「あなたの長所と短所について教えてください」というのはよくする質問です。 全く考えたことのない人は即答しません。 すくなくとも二十歳を過ぎるまで生きてきて自分の長所・短所について考えたことがない人は、それを考えざるを得ない局面に立ったことがなかったのか、ピンチに立てば人は何とかしようとするもの、問題が解決して「自分には意外な粘り強さがある」とか「集中力があった」とか思う瞬間があるはずです。

ピンチをかいくぐってきた人は自分の強みやピンチを招いた原因が自分にあったことを知って自分の弱みを思い知ることになると思います。

コンビニでアルバイトをしていて、トラブルに巻き込まれたことがないとかせんぱいとうまくやったとかを念頭に自分は対人関係が得意とか、良い人間とか真面目と思う人がいます。 そうである人かどうかこの質問からは解りませんが、ほかの質問と併せて考えると本当に善良な人で皆から愛される人か、表層でそつ無くこなすだけの人か見えてきます。

人に質問する以上、自分だったらどうかと考えます。 立場上判断業務が多く、内容も多岐にわたり、結果的に失敗や失敗とまで言わなくても自分の失敗した部分は思い知らされます。 上手くいって当たり前、だからその立場に立っていると考えれば全くイケていません。 つまりは欠点、短所、弱みばかりが思い浮かび、強みといえば失敗を苦にしないとかすぐに忘れる事が出来るとか、責任感に繋がらない事しか思い浮かびません。

すぐに忘れることのどこが強みかと言えば、失敗を引きずっても生産的ではないので失敗したことを思い出さずに次の課題に取り組めるということでしょうか。 もちろん副作用もあり、自分の関心のないことはすぐに忘れて関係する人に迷惑をかけます。

そのような失敗を減らすために自分の行ったことについて重要な事、失敗したこと・成功したことを紙に書くようにしています。 書いてきれいに忘れることもあれば書くことで心に刻むこともあります。 普通なら年を経るごとにそのように書くことが減ってくるはずです。 なぜなら経験が少ないうちは考え違いも多いですが、経験を積めば失敗することも工夫して成功することも減り、経験に基づいて判断に迷う事が減っていくからです。

私の場合、書くことは増える一方で、自分ではいつまでも成長しているのだと考えています。 ひょっとして同じ失敗を繰り返しているだけかもしれません。 そこで自分の性格はと聞かれれば楽天的と答えるべきなのでしょう。 自分では腑に落ちないのですが。

コメントを残す

[生活]

[習慣化]

老化との闘い

「なぜ、いつもゴルフに誘ってくれるの?」とゴルフに誘ってくれた友人に訪ねました。 「本西さんは年の割に元気だから」と適当な答えが返ってきました。

自分が中学生だった50年ほど前、保健体育の授業で『40歳を過ぎたら体を鍛えても筋肉は増加しません』と教えられたことを鮮明に覚えています。 この分野でどんどん研究が進み、最近は高齢になっても筋トレをすれば筋肉量の増加は可能だそうです。

私は現在62歳、確かに友人が言ったように肉体年齢は若い方だと思います。 同年代の人がポッコリお腹で猫背でゆっくり歩く姿を見ていると自分はまだましな方だと思います。

しかし私が社会人になったころの企業の定年は55歳、それがすぐに57歳になり、やがて60歳になったのを覚えています。 定年前の人は概ね定年後の生活設計を考えるようになり、新たな仕事に取り組むこともなく、仕事に対する情熱も感じられなくなります。

それをいやというほど見てきた身として、現在の年齢は働く閾を超えています。 その感覚は自分より若い人には理解できないはずで、営業日は毎日出勤し(つまりは週休一日)、遅い会議も朝の朝礼も欠かさず出席し、さっさと歩き、持病もなく、60歳を過ぎてゴルフを始めるなど好奇心も旺盛です。 しかしゴルフがそんなに面白いかといえばそれほどでもなく、同行メンバーとの話の方が面白く感じますし、以前に比べて読書のスピードが低下しています。 数行読んで何のことかわからず、前のページから読み直さないと何が書いてあるかわからないことも多くなりました。

老化とは、とよく考えるようになり、試しに筋トレとダイエットをやってみました。 長年筋トレなどしなかったので腹筋をすれば腹筋がつる始末、ほんの少しずつ回数を重ねるとある程度できるようになり、減食と合わせウエストは細くなり、ズボンがずります。

筋トレメニューを増やしてゆくとどの筋肉も時間はかかるけれど大きくなってゆくように感じます。 調子に乗って量を増やすと疲労感が取れなくなりました。 疲労物質の処理、つまりは内臓の機能が追いついていないのでしょう。

頭の方はというと、新しいことを考えられなくなりました。 新規の事業を考えるとか、今までと違う内部体制を考えるとか、発想が湧いてきません。 ネタを仕入れるために本を読みますが、視力の低下で文字を目で追う苦痛は増すばかり、これは筋トレのように鍛え直せないように思います。 せいぜいブルーベリーのサプリを飲むことです。

読書に関して読める本は同年代の人が書いたもの、若い人の著作は読むのが苦痛になりました。 若い時はこの逆だったのですが。 つまりは好奇心や気力が狭まったように思います。 本だけでなく現場に出向いてそこの経営者に会って話をするのは興味がわくのですが。

自分と向き合い、自分の能力で弱くなっているところを誰に補わすのか、その人を探して採用するのか、要請するのか、気の遠くなることを考えています。 どちらにせよできることを精いっぱい行うより仕方なく、自分と向き合い、気力と勇気を奮って日々を過ごしています。

コメントを残す

[生活]

待つこと、耐えること

日常生活で失敗したこと、辛かったことを振り返ると私の場合待てなかったことが原因である場合が多い。

私にとって待つことは耐えること、誰かと利害の反する話題で話をしていて相手の問題点に気付いてそれを言ってしまったような場合です。

相手はそのことに気付いているかもしくは気付くだろうことを相手の言葉から読み取った瞬間にそれは違うといってしまった場合です。

気づいてもそれを口に出すより沈黙が説得力を持つ場合があるということです。 議論では考えたこと、気付いたことを正確に伝えるよう誰もが心がけます。 浮かんだ考えは浮かんだ時に一番自らの心の中で光ります。 光った瞬間に言えば言葉に『自分は確信した』と言う力がこもります。

しかし何かの事情で一時間たって相手にそれを言ってやろうとすると考えはくすんで光を失っています。 つまりは思いついた考えの多くは価値をもたない場合が多いということでしょうか。

軽快なコミュニケーションは相手の放った言葉を受けてリズミカルに響く言葉を投げ返すことでしょうから人はコミュニケーションにおいて常に考え、うまい返しを狙って言葉を発します。 漫才や演劇の会話、小説の中のやり取り、「うまく切り返す」と思います。 映画では間の取り方は表現の重要な要素でしょう。

間と表現できるわずかの時間、瞬間以外に数分、数時間、数日、数か月、数年といった長い時間を耐えることもテーマとなります。 自分の事に戻って、数年耐えて忍んだ事が人生にはいくつかあります。

ある主要仕入れ先は取引を初めて取引先としてふさわしくないことに気付きました。 それはほぼ直感なのですが、そこと取引を継続すれば自社の成長発展はないだろうと確信しました。 そこで10年前後、取引継続期間にその会社の事を調べ、その会社の職員に面談し、様々な提案をして相手の考え方、企業としてのスタイル、歴史を調べ、取引をやめた時に代わりの仕入れ先を探して取引を中止しました。

結果は当社にとって大きな貢献をもたらす仕入れ先変更となりました。

何事につけ、時間の長短にかかわらず待つことの大切さを知る事件でしたし、数時間、数日、数か月の待ち時間を耐えて成功したこともありますし、待ってしまって失敗したこと、待てずに失敗したこともあります。 何年と言う期間も間と表現するなら、間の使い方は意思決定の重要な要素で、待ってる間に調べることができる場合はまだしも、ひたすら待つことのつらさも格別です。

数年待つような話題は数年先のことを考えるから、数秒待つのは目先のことを考えているから、いろいろな時間の将来を常に考えることが会社運営や人生をうまく運用するうえで重要になってきます。

コメントを残す

[生活]

ダイエット

当社の職員で年齢は30歳代、身長は165cm以下、男性で第十が100㎏弱という人がいました。 このままでは近い将来病気になると思い、何度もダイエットを薦めました。

本人はどこ吹く風で、一向にダイエットをする気配はありません。 ある日、社外の人から『〇〇君はえらいやせたね!』と言われ、その人が働く事務所に会いにゆきました。

毎週一回ぐらいは訪問する事業所だったのですが、激痩せの事に気づきませんでした。

本人に会ってみると驚きの一言、100㎏の体重が68㎏、期間は三か月でやり遂げ、現在進行中で60㎏弱を目指しているそうです。

きっかけは体重計に乗って100㎏を超えたことだそうです。 それは衝撃、痩せようと決意し、禁酒禁煙、食事制限を始めたそうです。 朝食はパン一枚、昼はおにぎり2個、夕食は野菜サラダ、栄養バランスは気になりますが、以前はコンビニ弁当とカップめん大を職場で昼食に食べていた人ですから驚きです。

この食事で80㎏台まで減量に成功、そこから落ちないので歩き始め、やがて走り出し、現在は出勤前に8㎞、帰宅時は十数キロをランニングで帰るそうで、日に20㎞以上走ってるそうです。 走ることが快感になり、将来はマラソンに出たいそうです。

息子が勤めている会社の陸上部で、長距離を走り、毎日20㎞弱を走っていましたがどちらも頭が下がります。
私もダイエットを何年も続けていますが一向に体重が落ちません。 食べる量は多かった時期の三分の一程度まで減らしていますが、炭水化物を減らし、最近は筋トレもしています。 やはり高齢になると代謝量が落ちるのでしょう。

しかし話題の人は三か月で40㎏減量したのですから過激に過ぎるかもしれません。 いびきは止まり、血尿が出て、痩せたところのしわが戻らないとなげいていました。

本人を前にして表情が明るく、健康そうなのが何より、維持することができれば将来の健康はかなり担保されるでしょう。

コメントを残す

[生活]

行動管理

私は日々何をするか、何をしたかをノートとメモを使って管理しています。 仕事、プライベートを合わせたものです。

週間予定表形式のノート、これは20年近く使っています。 これには予定された面談や会議を左のページに書いてゆき、右のページにその結果を書いてゆきます。

面談であれば何を話した、何か決まったり約束したことの内容を書いてゆきます。

右のページは空白が多いので、時間の経過とともに何をしたかを書いてゆきます。 たとえば13時、16時に採用面接が予定されていると通常採用面接は1時間半程度ですから14時30分から16時までの1時間半は月次の試算表を見るとかです。 そして面接の結果どのような人であったか、良いところ、欠点と思われるところを右のページにかきます。 もちろん月次の試算表で気が付いたことがあれば次の会議で質問するように次の会議予定の日の右のページにそのことを書いておきます。

私の一日で会社で過ごす時間はあまり長くありません。 せいぜい5時間程度でしょうか。 後の時間のかなりの部分は近くの自宅で新聞を読んだり本を読んだり、筋トレをしたりします。 この自宅で行うことに仕事のもとになる事、自分を仕事に関して深めることをかなりしますので、B5の紙に週刊単位で書いており、できたことは消し込んで行きます。

用紙に書くヘッドラインは先週の行動結果を踏まえ、反省したことを書きます。 たとえば項目の中で優先順位の高い項目ができていなかったことなどです。 もちろん人間ですから優先順位が高くても体調や気力によっては楽な項目、好きな小説を読むとか、に流れてしまいます。

筋トレも項目に挙げています。 ストレッチ、上腕筋、背筋、腹筋、腹斜筋、大腿四頭筋、臀筋などです。 すべて自重トレーニング、書く30回を1セットとして週に5回程度です。 少なく見えるかもしれませんが、現在の年齢ではこれが精いっぱい、もっと強化しようと思いますが強化するには自分の体が強化されていないと障害を起こします。 1年程度続けて少しづつ回数が増えてきています。 後は14階の自分の部屋まで階段で行くこと、これはだいぶできるようになりましたが初めは足が痛くなりました。

これら筋トレは一つの項目が5分程度、つかれて気力がわかない時に良い気分転換になります。 そういうことに気が付いて最近は隙間の時間に筋トレを行って気力を復活できるようになり、結果的に生産性が上がりました。

新聞は1週間の朝刊、夕刊で15部、これを読んで日本とNYの株価、円・ドルの為替レート、金利(10年国債利回り・TIBOR1ヶ月)、ドバイ原油価格をノートに一覧で記帳します。 個別の議事で関心のあるものはスクラップにするか手帳の後ろについているところに要約を書きます。 上場企業の決算発表はこれも手帳に一覧で書いてゆきます。

要は私の場合、読むより書くことでできるだけ頭に叩き込む古いタイプです。 最近、若い人はスマホの検索ですぐに知りたい情報を見ますが、私はそれはほとんどしません。

その他の週間項目として反省文というのがあります。 最近引っかかっている事、それをA4のコピーをして不要になった紙に書きます。 年間100枚から200枚ぐらいでしょうか。 個人的な人間関係で引っかかった一言の意味を探ったり、人の評価であったり、自分の行為行動、発言を振り返り反省するものです。 年間200枚も書けば反省ばかりしていることになりますが。

大体これで毎日朝から晩まで、何をしようとし、何をしたか、その結果どのように自己評価しているか、次にどのようにしてゆくかが記録されます。 万一アリバイの確認を求められたら大抵は判ると思います。

このように書いて来れば日々充実した生活を行っているように想像される人もいるでしょうが、毎日同じことを続けるとマンネリ化します。 先週やったことより少し生産性が上がれば満足し、同じことをさらに多くやろうとします。 人間の基本的な習性でしょう。

このようなことを初めて将来に目がいかなくなった気がしています。 現状を改善しようとするから将来が見えにくくなっているのか、そもそもノート一冊に予定だけ書き、反省などしなかった時代の方が将来をみすえ、これもしよう、あれもしようと考えられました。 そして実行もできたので今の行動管理方法の問題はここにあると反省しきりです。

反省は過去の評価、反省ばかりしていては現状改善に終始し、将来に目がいかなくなることを反省しているのですから始末に負えません。

コメントを残す

...678910...20...

上に戻る