監査役BLOG

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[会社運営]

記録

私は10日ごとに予定表を作っています。 健康維持とぼけないために良いと思われる項目を何十個か設定し、やった項目に〇をつけていきます。 丸の数が多ければよくやっと自己満足します。 項目によっては辛いものと楽なものがあります。 例えば腕立て10回と腹直筋(仰向けに寝て上体を起こす)30回はそれぞれ〇一つです。 文庫本の小説や仕事の本を読めば〇10個、10日合計300個くらいを目標にしています。

楽なこと、つらい事バランスよく行うのは難しいですが、腹直筋などは回数を重ねると楽になってきます。 そこで50回で〇一つにするとしばらくやらなくなります。 バランスは仕方がない、その時やる気の起こることだけでよいと考えています。 最近では小説にはまっていて2日で1冊、結構時間がかかるので他の事がおろそかになりますが、今は楽しいので厭きるまで小説にのめりこもうと思っています。

記録し、目標にすることは記録しないより効果的に達成できます。 達成〇個数が目標になってしまっていて、健康でいる・ぼけないはかすんできますが、ムラがあっても適当に筋トレも行うので健康やボケ防止につながります。 もう少し具体的な目標、トエック何点とかゴルフのスコアいくらなどになってくると身勝手な老人としては『どうでもいいや』と思った瞬間努力しなくなります。

会社で同様なものに予算があります。 これは明確に数値化し、必達を前提にしています。 当社はこのように成って行きたいという経営目標を数値化したものが予算です。 ないがしろにするとこうなってゆきたいという経営目標そのものの信頼が揺らぎます。 『どうでもいいや』では許されないものです。 それゆえ経営目標の重要性が問われます。

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[採用]

大阪城は誰が建てた?

子供のころのトンチ話です。 『豊臣秀吉に決まっている!』と答えると『残念でした、大工さんです』と返されます。 ドラッカーの本でレンガ職人に『いったい何を作っているんだね』と問う場面が出てきます。 職人はレンガを積んでいる、教会を作っている、この町の心のよりどころを作っていると3つの回答を用意します。

採用面接で応募者の方に『今まで仕事でどのような工夫をしましたか?』と問う事があります。 すばらしい貢献が解答として帰ってきます。 さも自分が行ったように答えられます。 そうかもしれません。 しかしその目論見が失敗し、だれが責任をとるのか、というと上席の人になります。 なぜなら応募者の前職の社歴は短く、それを決定し、責任をとる立場ではありません。 責任をとる管理職は豊臣秀吉になり、責任をとらない立場で実働すれば大工さんになります。 面接でトンチをしてもしょうがないのですが、思い出してしまいます。 会社での仕事は組織で行うもの、権限と責任はついて回ります。

たとえ権限がなくとも、その仕事の意味を理解して行う人はドラッカーの言う地域コミュニティを作っている、もしくは神の家を作っていると言えます。 その仕事に関わる作業を忠実にこなしたらきちっとしたレンガの壁を作っていると誇らしげに言う事になります。

 

 

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[言葉]

余計なことを言わない

当社のスーパー営業マン、忙しくてめったに会えない人ですが会うとニコニコして色々話しかけてきます。 いっぱい話したつもりになって自分のノートに何を話したか記録しようとしても何もノートに書くことがありません。

スーパー営業さんはすごい!といつも思いますが、少しバカにされたように思いますし質問もされ調子に乗ってこたえていると私が話したことは多くあり、スーパー営業さんが私と同様に面談内容をノートに書く習慣があったらいっぱい書かれてしまったでしょう。

ついうっかり言わなくてもよいこと、言ってはいけないことをしゃべってしまいます。 この人は刑事の仕事も出来るのではないかと思います。

ここで余計な事とは何かと考えました。 一つは何かの評価、誰かの評価、業績の評価、取引先の評価などです。 すべて言わなくてもよいこと、会社における誰かの評価は評価者が行う人事考課が総てです。 話題の人が良い評価であっても評価を言ってほしくないかもしれないし、周辺の人はその人が贔屓されていると思うかもしれません。

言わなくてもよい事の二つ目は自分の考えです。 これも会社の中で仕事の考え方、方針などはしかるべき方法で開示されていてそれが唯一絶対のもの、それを批判しているような話をすればあれは一体何なんだ!となってしまいます。 マスコミに紹介された昭和天皇のエピソードで、インタビューした人が『今日は暑いですね』に対する返事は『そのようなことは侍従に聞いてください』と答えられたそうです。 立場上寒い、暑い、うるさい、等一切言わない訓練を積んでこられたのでしょう。

政治家や企業の重責を担う人は余計なことを言わないのは当たり前、余計なことは考えない、考えが変われば修正すればよいがすでに公言していることと違う事を言えばたとえそれが優れた考えであっても聞いた方は不審に思うでしょう。 すでに決定したことを変える必要があれば変えればよいのですが変えることに勇気がいります。 そもそもそんなに多くの事を考える必要は大抵ないはずで、良い答えが見つからないから他人の権限の事に評価を挟みたくなるのでしょう。

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[未分類]

存在するものには意味がある

世の中には不合理、というか理解不能の考え、行為・行動がたくさんあります。 しかしそれらを良しとする考えの人もいて理解不能の対象は考え・行為・行動からそれを支持する人、もしくは指示単体から世の中に対しての不信感になってきます。

あまりに狼狽えた時、それにはそれの存在意味があると思うようにしています。 自分だったらやらない方法や目的の設定はそれがその人個人の範囲であればよいのですが、会社の方向性であれば反対してしまいます。 支持する人は反対されたことに不快感をもつでしょう。 反対する理由を述べなくてはなりません。

根底から否定する説明では説得はおろか反感を抱かれかねません。 そう思うからには根拠があるはず、それはいびつな前提で意味があると考えれば前提のいびつさを解説すればよいでしょう。

面倒くさい話ですが誰かがやらねばならず、理屈ではなく経験であればなおさら説得困難です。 しかしそれが意味があると信じる事が出来れば説得、意味なんかないと考えれば対立しかなくなります。 確かに意地悪で言われているとか、とんでもなく思い付きだとかもありますが、思いつく理由があるはずです。

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[未分類]

後の先

 私は時代小説、いわゆるチャンバラ物にはまっています。 多くの作品に『後の先』という言葉が出てきます。 チャンバラ物はほとんどがエンターティメント、50年たって文学全集に収載されるような作品ではありません。 作者は多作で1ページ幾らの仕事、書き上げたら出版するというものではなく、連載物は締め切りに追われ書き上げていきます。 だから調べた時代背景を必要以上に書き綴り、ページを稼いでいる作品も多くあります。

『後の先』については解説がなくネットで調べてみました。 剣術は一撃必殺の技、それを躱されると隙が生じます。 相手の必殺技を予測し、躱して隙に相手を倒すことだそうです。 ボクシングのカウンターパンチと同じだそうです。

事業活動でも『後の先』はあります。 マーケットをよく観察していてよい方法を編み出したやり方をまね、一気に市場を制圧するようなやり方です。 実際の場面で目の当たりにするとあまり良い印象はありません。 他社のまねをし、少し改良して一気に市場制圧する方法はオリジナリティが弱く、まねるという点で節操が無い様に思います。

しかしチャンバラも事業運営もシリアスな勝ち負けの世界、ちなみに小説に描かれた剣術の世界で『後の先』は卑怯な手とは解説されていません。 相手の一撃のスピードが速く躱しきれないか読み切れない技であったらやられてしまいますからマネの技ではなく受けて立つ達人技です。

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[会社運営]

各論と総論

 経営の仕事は総論を練り上げること、各論は現場直接の話になります。 木を見て森をみず、のことわざも同じことだと思います。

木が1本生えていて、その木の横にまた木が生えていてさらにその横にも生えていて、見渡せば林になっていて、さらに離れてみると大きな森であると思っている人は多いと思います。

森はあるエリアの植生が樹木で構成されているところ、草だけ生えていればそのエリアは草原になります。 木が生えていれば森かというと公園も木が多く生えていますが森とは識別できません。 では森は広いか狭いかの問題かというとそれも森の意味するものです。 木が多く生えていてその中に動物がいて、生態環境があることでしょうか。

言いたかったのは木をたくさん積み上げても森の議論にならないことです。 事業で言えば個別の商品の価格や品揃えは各論でよく話題になることです。 ディスカウントストアでは低価格が売りですが、販売数量が多ければさらに低価格で販売する事が出来ます。 いわゆる薄利多売、小規模店舗のディスカウントストアはあまりありません。

ディスカウントストアというビジネスモデルは総論の範疇、ディスカウントストアで高級ブランド品の販売はいくら低価格で提供できても一般的ではありません。 高級ブランド品は高額でも取引されるので高級、値引きして販売するのであればもはや高級ブランド品ではありません。

各論では原則を無視した議論がなされがちです。 それを積み上げるとまとまりがありません。 時々一見まとまりのない品揃えで成功しているディスカウントストアがあります。 ドン・キホーテは高級ブランドのバッグや時計を値引きして販売しています。

前置きが長くなりましたが、原則は総論は総論として、各論は各論として議論しなければならず、各論の積み上げが総論ではないのと同様に総論を分解すれば各論を導き出せるものでもありません。

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[会社運営]

職員採用

 私は求人の仕事をしています。 当社は中小企業ゆえに新卒が押し掛けてくることはありません。 殆どの職員が中途採用です。 当社にとって魅力ある人が応募してくることもあります。 時代は採用難、採用出来ないばかりか応募も減少しています。 中高年の転職組は求職者がまだ多いように思います。

先日応募いただいた上場大企業で昇進を重ねられた50歳代前半の方はこの年代の就職環境の厳しさにぐったり疲れておられました。

近年の求人難はなぜこんなに厳しいのかよくわかりません。 ほんの10年程前まで新卒ですら就職率が低く、人的リストラも広く行われていました。 大企業の業績が円安の影響で大きく改善したことは解るのですがそれだけでここまで求人難に陥るのか理解できません。 10年ほど前から見ればIT技術の向上など生産性も上がっているはずです。

私の入社した20年前の当社は人・モノ・金・情報どれも不足していました。 手に入るもので勝負せざるを得ないので、低賃金で求人をかけると多くの応募者があり、出来るだけ面接をこなし、優秀な人を採用しました。

仕入先と交渉し、当社に合う仕入先に変更することで多くの情報を得られるようになりました。 業績が改善し、多くの銀行の訪問を受けました。

人は採用できないときは有料職業紹介を介しても欲しい人材を潤沢に採用できません。 そこで応募者の多い50歳以上の人の採用を提案しました。

この年代の人の履歴書をみると立派な経歴が記載されていて、こんな人がなぜ応募してくるのかと思いますが応募されるので面接いたします。 『何でもします』とお答えになります。 異業種から来られた方なので少なくとも1年ぐらいは下働きをしなくてはなりません。 何人がそのような方も働いていただいて、優秀な方、前職の地位が高かった方も自転車で顧客を訪問するような下働きをしていただき、取締役になられた方もおられます。

採用にあたって年齢も経験も重要ですが、その人の持ち味あった働き方を提供できれば今の環境でも採用は叶うと思います。 障害になるのはご本人のプライドや体力もあるでしょうが、受け入れ企業の管理職のかたくなさは一番大きな障害になっています。

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[社会]

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

長い間この言葉の意味を実感できずにいました。 ネット上では多くの解り易い解説がなされていますが、言葉の理解と実感とは別物です。 たまたま『うちの会社はどんな会社か?』という問いを代表から受けて思い出した言葉です。

当社は歴史は42年を経ていますが、多くの企業がそうであるように最近40年の環境変化は著しく、二転三転している中で歴史や文化を問われても簡単に答えられないというかそんなものは存在しないとも言えるでしょう。

多くの経営者の記事を読んでいてその人の成功体験を語っているものが多いです。 成功体験はずばり経験であり、年月を経て残るものが歴史になります。

当社のような零細企業に歴史に残る成功体験はありません。 どんな会社の答えがないのであれば将来の事でもありますし作ればよい、それは少なくとも経済誌に書かれた大企業のトップの成功体験ではなく歴史を紐解いた方が良いのではと思ったのが言葉の実感の第一歩でした。

歴史小説はほぼ史実を背景にフィクションを構築します。 江戸末期であれば国際関係、社会制度、GDP、文化など研究されていて、その中で徳川幕府がどのような課題を懸念し、どのような施策を展開して失敗したが多くの解説があります。 タイトルはドイツの宰相ビスマルクの言葉、生存中に日本は維新を迎えています。

今の日本の国際関係やイノベーションと呼ばれるものと同等の変化や環境が維新期にもあり、多くカルチャーショックと変革をもたらしています。 見えるものの浸透は素早く、ビスマルクに接見した明治政府の重鎮の岩倉具視使節団の写真を見ると岩倉以外はスーツ着用です。

現代社会のイノベーションは見えないものが多く、AI等の普及はいたるところで始まっていますが実感できるのはテレホンセンターの受け答えでしょうか。

話は『どんな会社?』に戻りますが、当社は100年続いた両替商などと言っても明治期に入って意味を成すとは思えません。 いち早く銀行という概念で商売を始めたところが勝ち残ったのでしょう。すでに起こった変化の先駆けに追従できる会社であれば存続できるでしょう。 とはいえAIソフトウェア開発を行うつもりはないようです。 むしろAIで代替できない事業に取り組むことになります。 最後までとは言わないけれど人が介在しなければならない事業です。 それを感じ取れる企業であれりたいと思います。

 

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[会社運営]

会議運営

 会議の目的の一つに『決めること』があります。 取締役会は株式会社において法定された重要事項を決定する機関と会社法に定められ、重要事項も定義されています。 会社法は会社の債権者及び株主の保護を目的としていますので、取締役会の決議事項が否定されるのは債権者や株主の不利益になる決定であったり、他の法律の定めに反する決定をなした時です。

もちろん取締役会であっても決議機関以外の役割を果たすことがあります。 取締役の情報共有などがあります。 議題があればほとんどの場合何らかの決起をなす上で大抵重要事項なので会議運営では気を使うことになります。 各取締役は議題に関わる事項を示してくれます。

例えば重要な仕入先をどこにするか、候補が何社かあり選ぶときに仕入先に関わる事業部門を担当した人は議題が出た段階でどこにするか決めています。 ひょっとして担当取締役は以前にその仕入先からお歳暮を貰って飲食やゴルフの接待を受けたことでそこに決めようとしているのかもしれません。 仕入先はたいてい継続反復取引先、決定要素としては品ぞろえが豊富、仕切、納品品質(欠品がない)、情報が多い、良い会社で駆け引きがないなど多少心情的判断もあるかも知れません。

取締役の中には仕入先選定に関係のないことを話す人がいます。 ある有名人がそこの会社出身とか親戚が務めているとかなどです。 選定に関係のない話題が多く出てくると時間が過ぎて何も決まりません。

私は『それは意思決定に関係するか?』と問います。 もちろん理屈の上ではA社であるが直観でB社と思う事があります。 私の場合はそれが多く、直観がうまく働いて成功した場合も多くあります。

成長している会社の経営者は感の優れた経営者が多いように思います。 そのような経営者が感で判断したときでも決定理由をうまく表現できれば他の取締役は素直に従います。 感とは何か、おそらく経験に基づく推定で、他のメンバーの意見と異なる意見を感として表明する人は他のメンバーと違う経験値が多いのかもしれません。

私は素晴らしい感が働く経験をしてこなかったように思います。 多くの困難を追い詰められながら判断してしのいできた経験などです。 マイナーな趣味をもっていたので、一般的でない経験は多いかもしれません。 趣味の一つに読書があり、これは珍しい架空の経験をさせてもらい、経営判断に大いに役立つ感を養えたのではないかと思います。

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