監査役BLOG

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価値観

[価値観]

日本の高額所得者

医療介護の業界にいると管轄である厚生労働省の施策についてパターンが見えてきます。 介護保険では自己負担が1割であったものが来年8月から一定以上の所得がある人は2割負担になるそうです。 医療費もこのように歴史の中で3割負担になり、自民党政権時代に老人保健をもつものは1割負担になりました。

医療に関し保険診療を受ける年齢層は圧倒的に高齢者が多く、老人保健の1割負担は大きな負担と想像します。

医療・介護の国レベルの支出は40兆円後半となり、厚労省としては何とか伸びを抑えたいところで、あの手この手を考えますが、選択できるオプションは限られています。 その場合、どのような社会背景の中でなら厳しい施策を実行できるのか、どの程度ならいけるのかということです。

自民党の安定政権下で今後同様の負担を強いられる可能性は強いと思います。 しかし程度において2割負担は微妙です。 3割負担にして一般の人は2割とし、いずれすべて3割負担というのが期待のシナリオのような気がします。 それならば老人健康保険は3割負担に戻すべきという話に繋がりそうです。 さらに言えば介護保険は医療保険の30%程度の予算規模も影響しています。

国家レベルでは国債をはじめとする借金が1000兆円を超えてひさしく、残高の伸びは加速しています。 厚生労働省に限らず国の予算は後がない状況でしょう。

私ももうすぐ61歳の誕生日を迎えますが、若い所得が少ない時に大きな金額を収めた年金が所得が高いために給付されません。 先日本当に自分は所得が高いのか調べてみました。 高いと思っていた所得税は私のように高が知れた所得では大したことはありませんが、市府民税は意外に大きく、不動産を所有しているので固定資産税・都市計画税、そして日日の生活にかかわる消費税と税額は大きな比率になっています。

当然まめに節約を心掛けています。 クリーニングは極力家で洗濯、車を所有しない、散髪は家でバリカンで行う、野菜を食べ健康に留意し医者に掛からない、本は図書館で買う、酒は飲まない、タバコは残念ながら止められず減らす、服は買わない、照明はLEDに変えこまめに消灯、エアコンはなるべく使わない(食事量を減らし、生野菜を食べると体の発熱は減ります)、人に笑われるようなけちけち生活で同時に体脂肪を減らそうとしています。

日常生活でストレスが大きく、仕事のストレスと重なった時に過食となったり、お酒を一杯だけ飲んだりします。 節制する生活のパターンが作れないと仕事での生産性は低下し、新たなストレスが生まれます。 この年になってうまく生きていくことのむずかしさを実感しています。

 

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[価値観]

復讐の連鎖

ある社長と自らの会社職員に対する感情について話をしたことがあります。 その人は若いとき大変やんちゃな人で、高校も中退していましたが、私がお話しした時は一見温厚な人に見えました。

「そら私も人間ですから嫌な奴もいますよ」、この件に対する発言はこれだけでした。 つまり好き嫌いはあるもののそれをおくびにも出さず社業に励んでおられます。

その人が別の機会に「会社の方針に従わない職員にはどうするのですか」、「研修に参加させます。 とても面白くない研修で、早い話が会社を辞めろと言うことですわ」、社の方針に合わなければやめてもらうというのがその人の考え方です。

大企業ですからそんな研修システムを使うことができますが、当社ではそんな研修システムを持っていません。 そこでイライラが募り、「どうしてくれようか」と思うようになります。

いらいらが募る社員は①会社の考えと合わず、身勝手な発言や行動を行う人(職員の話は聞くようにしていますが、自ら責任をとれないことを周囲の人間にしゃべる人、主に会社の悪口。 どこの企業にも問題があり、まじめな経営者は法律の範囲で、時には人情も織り込み、問題の解決にあたっています)、②会議では発言せず、決定事項と違う行動を勝手に行う職員(いわゆる従面腹背)、③もっともらしい理屈で常識はずれの提案をする人、④人の言うことを聞かない人(反論もしなければ従いもしない、非生産的な人)等など言えばきりがありません。

経営者向けのセミナーで職員を四つのカテゴリーに分け、どれが一番辞めさせるべきか、という問いがありました。 優秀・無能対会社の方針に従う・従わないの掛け合わせで、講師は優秀だけれども従わない組み合わせの人が最優先で辞めさせるべき職員としていました。

この話を聞いたとき、優秀で会社の方針に従わない人は話し合えば使い道があるのではとおもいましたが、最近は講師の判断は正しいと思うようになりました。 もちろん優秀でなく会社の方針に従わない人は言うまでもなくやめてほしい人材です。

昔は講師と同じ発想で、話し合ってやめてもらった人もたくさんいます。 そもそもそんなに会社の方針を良しとしないのであれば会社は居てほしくありませんし、本人も自分の考えと会う職を探せばよいわけですから。

多くの善良な職員の中にも会社の方針と違うことを平気でする人がいます。 その人には具体的に何が方針に沿っていないのか説明し続けることが必要だと思いますが、朝初めて会えば挨拶をするとか、今日に完了しなければならない仕事は残業してでも完了させるとか、社会常識の範囲のことを言わなければなりません。 それは説教好きでない経営者にとって大きな苦痛です。

思い込みもあります。 賃金の水準が低いと勝手に思い込む人です。 賃金相場は各種統計が出ていますが、同職種の人と比べて公平に賃金が決まっていても少ないと思い込む人です。 これもそんなに自分が優秀と思うなら別の職を見つけるべきです。 もちろん賃金の決め方が完全ではありませんので若干の不公平があるかもしれません。 しかし概ねストライクゾーンを外していないと思います。 大抵はその友人が自分より高い給料をもらっているとかです。

しかし一番たちが悪く、問題なのは悪意のある行為・発言を隠れて行う人です。 このような行為発言はいずれ私の知り得るところとなりますが、憎しみを抱いても仕方ありません。 十分話し合い、それなりの処断をすべきです。 その時一切の感情を排除し、決定することが経営者の真価と言えます。

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[価値観]

[生活]

意志の強さ

全く私個人の話です。 タイトルについて私は意志は強いほうなのか弱いほうなのかよくわかりません。

自分の性格を知ること、特に強みや弱みを知ることは難しいと思います。 かつて社員全員に性格診断テストを行い、自分も回答を分析してもらいました。 ほかの多くの社員と一か所だけ飛び抜けている項目がありました。
危機対応という項目です。 ちょっと平均を上回っているのではなく、圧倒的に高い得点でした。

それがすぐれた長所なのか、日常性格で問題になるようなことなのかよくわかりませんし、今までの人生で何度かあった危機に平然と対処したのかなという程度です。

そもそも強みとは何か、会社や家族や一定の人間関係の中に限定すれば、その人が組織に貢献できることが一般に強みではないかと思います。 営業職に就いている人あたりの良い人が、そのキャラクターで高い実績を上げることができれば「人あたりのよさ」はその人の強みとして評価され、同じ人が短気であるため時として長引く商談において集中力が続かず、失注するとかは弱みとされるでしょう。

私の話に戻って、強み・弱みのテーマで意志の強さを話題に出しているわけですから、気持ちのどこかに意志の強さを自分の強みにしたいと思っているのかもしれません。 私が過去に会社という範疇で意志が強いと感じたのは10年考え続けて主要取引先との取引をやめたことです。 なぜ取引をやめたいと判断したかと言えば当社の目指す方向と違ったこと、そしてその会社の企業文化が受け入れられなかった、つまり好き嫌いに近い感覚でしょう。 当社の目指す方向も社員全員がそう思っていたわけではなく、私の将来ビジョンに照らし合わせてということで、今にして思えば独りよがりでした。

次になぜ10年もかかったかと言えば取引をやめる以上、やめることで以前より会社が良くなる確証を求めていたからです。 自らの責任において判断することですから良い結果をもたらさなければ経営者としての存在価値にかかわります。 別の取引先を準備する、ブランドを作る、展開を考えるなどです。

結果的に大成功で、その判断で会社は発展への道を歩み始めました。 これだけ見れば意志の強さ、継続力の強さがあるのかと自己判断します。

しかし禁煙はできない、何度もトライして1ヶ月続くがまた煙草を吸ってしまう、禁煙のことになれば意志の弱さを思い知ります。

自分はいったい意志が強いのか弱いのか、または例示した二つのことから別の言葉で自分の強み弱みをあらわさなければならないのか、それともそんなことを追求することに意味がないのが、悩みは尽きません。

意志が強いと信念を持てば禁煙はできるのかもしれません。 そんなことまで考えて禁煙しようとする自分が情けなくもあります。

医者に煙草をやめないと肺が傷んでいますよと脅され、何の苦労もなく3ヶ月禁煙し、少しオーバーに医者が言ったというのを聞いてその日から煙草を吸い出しました。 そもそも信頼感で成り立っている医者がうそをつくことに腹が立ちましたが、そこまで言っていただいたことに感謝こそすれ反感を持つのは間違っています。

しかしこの事例で自分が健康でいたいという強い願望があり、その価値観に沿うことであれば忍耐も苦労もなく禁煙ができたことについて、人は持っている価値観で粘り強くもなるし、意志の力が力むことなく発揮できることを知りました。

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[価値観]

[採用]

好きなこと

求人に対して採用面接をしているときにいろいろ質問します。
「勉強することはいかがですか?」、「好きなことなら勉強できます。」

「どのような仕事をしたいですか?」
「自分が関心を持つこと、好きだと思えることで働きたいと思います。」

では今まで好きなことが見つかって懸命に努力したり勉強したことがあるのだろうか?、好きなことが見つからなければ定職につかなくてよいのか?、意地悪を言いたくなります。

最終の学歴期間に多くの人と話をし、いろいろな友人と何か一緒に行った、それがクラブ活動でもボランティアでもよいのですが、主体的に行い、自分の長所、短所を見出して大ぐくりで自分の長所、短所の一部が見えてくるものだと思います。

もちろんそれを見つけようと努力して初めて見えてくるものでしょうが、そもそも長所や短所について勘違いしている人が多く、この質問でも「おや!」と思う回答が返ってきます。 そこで今まで褒められたことを質問するようにしています。

そもそも自分に振り返って長所と短所を正確に言えるか?、というと当然ながら抽象的で周囲で言われる長所・短所と異なってきます。 つまり解りにくいものだと思います。

わかりにくい理由の一つに仮に「創造性に富んでいる」と思っていて周囲もそのように思っている、しかし創造的なことで評価されたり、貢献したりしなければ長所と認めにくいことがあります。

それに対して「好きなこと」は自分が一方的に好きになり、そう思うことですから誰が何と言おうと好きなことに変わりありません。 しかし好きなことと得意なことは全く別物です。

人は社会や組織で生かされていて、貢献しなければ評価されません。 当たり前のことでそれに気づかない人が多いと思います。 近年就職の現場ではミスマッチと呼ばれる早期退職が言われて久しいです。 もちろん受け入れがたい組織もあるのでしょうが組織が自分に合うように期待しても無駄なこと、自分が変わる必要があります。

組織で生きるうえで組織の風土に迎合するのも限界があり、組織の中で自分の好きなものを見出すことに集中すべきでしょう。 もし自分の好きなことを捨てられないのなら。

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[価値観]

[社会]

原子力発電所

私は原子力発電所賛成派です。 あまり政治に絡む話題はしたくないし、賛成派と称する上で明確な安全性に対する知見を持っているわけではなく、情緒的な意見です。

海外でも数多く稼動しており、絶対的に危険なものなら国連ででも稼動禁止にすべきで、そうでないなら安全なものにしてゆけばよい、安全が絶対的に確認されない以上禁止とまでは思いません。

東海村で放射能漏れが起こり、その対応の危機感の無さが話題になっています。 確かに世論が反原発に動いている中で感度の鈍い話です。

もともと原子力行政で通産省と電気事業者の癒着などが暴露され、反感が高まった中で大震災による原発の放射能漏れと連鎖しています。

世論が反原発に向けばいろいろな学者先生が『だから言ったのに』という報道が繰り返されます。 それが怖くて隠される原発以外のリスクも多くあるのでは、と勘ぐってしまいます。

友人と遠慮のない会話をしていると『お前はそんな事を考えているからよくない』と批判されます。 なるほど、考えた事をいくら気の置けない友人だからといって口から出してしまえば気分の悪い話もあるだろう、言った事を非難されたより考えた事を非難されたわけで、『そこまで言われるなら考えないようにしよう』と思っても邪悪な事を考えてしまいます。

いつも聖人君子で邪悪なことも考えず、清く正しくは残念ながら生きていけないと思ってしまいました。 しかしほんとにものの理を見抜き、余計なことは言わないが返事に困るような事を平気でさらっと言う、天使のような人が世の中にはいて(残念ながらお目にかかったことはないですが)、素直で疑うことなく、それでいて皆に信頼されて社会に貢献する人が居るのでしょう。 このような事をたまに考え、最近思い出すのが震災直後に岩手県の宮沢賢治記念館に行ったことです。

広い公園に野良猫がたくさん居て、ふくろうの置物があちこちに配置されています。 建物は震災直後ということもあり、来館者は私一人、静かな展示館でその雰囲気が宮沢賢治なのか、きっと理想の人間を思索し、現実との違いに悩んだと思います。

私に『邪悪な事を考えるな』と言った友人に『出来るならお前がやってみろ、現実とのギャップに嫌気がさすぞ』と言ってやりたい。

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[価値観]

終末の生活

当社は高齢者介護の事業と薬局を営んでいます。 私は薬剤師ではないので、高齢者介護のお客様に接する機会が多かったのですが、介護用のベッドを使われる方は寝たきりであったり、歩行が困難であったり、そして多くの場合認知症であると思われました。

自分も今年60歳を迎えるにあたり、終末の人生に就いて考えることが多くなりました。 幸い健康にも恵まれ、中性脂肪が高いとか、鼾をかくようになったとか(就寝中のことなので自分では解かりにくいですが)、程度のことが健康障害です。 しかし裸眼で新聞が読めなくなったり、読書の集中力が落ちたり、会話で固有名詞が出てこないなど不便なことも多くなってきています。

それぞれをよいほうに考えれば、走ってでも間に合わそうとは思わなくなり、自分でできない事を他人に潔く任せたり、自分でやろうとして悩むより出来る方法考えたり、忘れてしまってくよくよ考えないようになったり、複雑なことよりシンプルな考えを支持できるようになったりします。

自分ではこの仕事に就いて55歳定年を思っていたのですが、60歳の節目を迎えるに当たり一体いつまで働くのか、それが悩みの一つです。

最近数年間はこっそりと重要な仕事のマネジメント・決定権をそれとなく幹部の人に任し、任された人は最初は恐々権限行使していましたが、その人のスタイルに社内の仕組みが変わり、よほどの問題がない限り口を出さないようにしてきました。

しめしめ、ぼちぼちリタイヤできるか、と思いきや新たな課題が見えてきます。 社内の仕組みが出来て行き、それを運用してどこに進むのか、主には将来展望の話題になります。 人に自転車の乗り方を教え、自転車を与え「さあどこへでも行きやがれ」と突き放した途端、「どこへ行くのですか?」、「俺に聞くな、そんなこと知るか!」、「何言ってるんですか、前に進むために我々はあなたの仕事をしたんですよ」、これには参りました。

屁理屈を考えるのは私の得意技、「そもそもリタイヤを考えている者が進むべき道を示すのか?」、沈黙の後怒り、「あんたの指示に従いついてきたんだ、何を中途半端な」、私の屁理屈は屁理屈に終わってしまいました。

世の中には働きたくても働く場のない人が多くいて、私の場合は贅沢な悩みです。 今までに多くの経営者の人と面談し、今の私よりはるかに高齢で現場の指揮を執っている経営者が多いことに感心しました。 健康状態も私より優れず、スポーツも出来ない人がほとんどです。 それらの会社が結構な利益を計上していたりして、経営者の高齢化が問題にならないケースも多いのか、ぐらいに思っていました。

彼らのエネルギーの根源は負けず嫌いの気持ちや責任感、その年になるまで随分勝負してきて今更勝ち負けに拘るのか、負うことの出来ない責任は重圧となるでしょうが、総てがエネルギーになっているようです。

私の場合、運命に逆らわない事を選択します。 こっそり退場できないなら舞台で踊り続け、機を見てこっそり舞台の袖に寄っていくのがいいように思います。

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[価値観]

税制

個人の所得税率上限が45%、適応者の所得は4000万以上で決着したようです。 この所得ランクの人は数万人だそうです。 我々一般人にはどうでも良い話で、もともと民主党政権時代に5千万円以上の所得に適用という案に対して公明党は3000万円以上で提案しており、間を取ったようです。

別の記事では中小企業の交際費の1割課税枠を引き上げるか制限を外す案が出ています。 交際費は利益処分の経済行為ということで、大会社では交際費の使用額に対して法人税率の課税が行われます。 1万円の飲み食いをして1万円を払うとその1万円の支出に対して4千円超の税額が課税されます。 つまりどこに払うかは別として14000円支出しないと1万円の飲み食いは出来なくなります。

これを無制限に非課税にするというものです。 中小企業の経営者、私もその一人ですが、が役員報酬などで所得を増やせば高い所得税率の課税がなされ、役員報酬を抑えて経費を使え、つまり金を持っているものは金を使えということで、お金を使いたくないと考える経営者は法人所得税を払って内部留保を図るか低率の所得税率の範囲の所得で我慢して生活費の金成を交際費など損金に落とす方法をより鮮明にしてゆくことになります。

知人の町工場で自宅の暖房用の灯油を向上の暖房用から抜き取るのを見て「せこいことをする」と言っていました。 しかし節税という観点ではせこいことしか有効な節税策は見当たりません。

そもそも接待交際費は会社の業績を拡大するため得意先を接待するのに必要な経費を認めるもので、単なる飲み食いを認めるものではありません。 とはいえ税務署がどの飲み食いは無効か、有効化と判断しづらく、事実上は常識の範囲であれば認められてしまいます。

元議員秘書が「もし、税金を所得いくらに対していくらと明確にすれば革命が起きるよ」と解説されたことがあります。 現在の税金体系は納税主体が法人・個人、および消費税のようなここの取引に課税され、総額でいくら払っているのか解からないようになっています。

もし年収1000万円の人が貯蓄しないで生活すれば恐ろしい額の課税を受けていることになるでしょう。 例えば500万円は納税しなければならないとか、先日私が代表を務める会社の市府民税の請求がきましたが、利益に関わらず〇〇と課税されます。 利益が出ていなくても赤字でも払ってもらいますよという税金です。 課税合計を年収の〇〇パーセントとして課税されるならわかりやすくなるでしょう。 しかしあまりの高額に革命か暴動が起こるというものです。

税率をあげてゆけば、事業で成功した人はもはや日本に居たくなくなるでしょうし、事業で成功しようという意欲も低下するでしょう。

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[価値観]

営業職

当社は多くの職種で求人しており、私はその面接が重要な仕事の一つです。 零細企業が規模拡大を図るには個人の人質への依存度が高いと思います。 当社のように高齢者介護の仕事や処方箋調剤など制度ビジネスを行っていると他社との差別化は図りにくいです。

病院で処方箋を貰って薬を買いに行くときどこに行ってもあまり代わり映えしません。 しては困るのが制度ビジネスです。

当社の薬局に来られる患者様になぜうちに来られるのか聞いたことがあります。 流行っているので薬が新しい、人間らしい扱いをしてくれる、前の理由は八百屋じゃあるまいし薬は使用期限が定められていますので、期限切れの薬剤を投薬すれば問題になります。

後者の理由は心療内科の患者様で、やり取りをするときの薬剤師のスタイルが良いようです。 つまり最後は接遇、それも型にはまったものではなく心の通っていることが肌で感じられる接遇ということになります。

誰だって人柄の良い人と話しをしたいでしょうし、以外に見抜ける、見抜かれているように思います。 つまり制度ビジネスの肝は良い人材を集めることのように思います。

その中でも営業職は目標を立てやすく、達成に向けて自分の工夫も生かせますし、達成感も実感できる職種といえます。

当社では目標管理が全職種で一番進んでいて、納得性のいく目標設定、達成に対するペイ、いいこと尽くめに思えるのですが、応募者がいません。

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[価値観]

所得税率

自民党政権になって矢継ぎ早に政策が打ち出されています。 自民党は打ち出の小槌を持っているのかと思うほど大判振る舞いです。 その対価として消費税率のアップ、これは3党合意で決まったことですが、所得税率を上げるというものです。

所得税率は所得の段階に応じて課税されるもので、年収5000万円であれば195万円、330万円、695万円、900万円、1800万円、そして4000万円超から45%という案が出ています。 要は税金をたくさん徴収して再配分すると言うものです。 所得格差もあり、高額所得者に累進課税を強化するのは当たり前と言う発想です。

そんなに税金を取られて、さらに実際に財やサービスを購入しようとすると10%の消費税が課税されます。 仮に富裕層で収入の50%を役員賞与で受け取ろうとすると企業の利益処分になりますから法人所得税約40%を課税されたものの残額から受け取り、さらに45%の所得税を課税されるともともと企業が稼いだ利益の33%が可処分所得に、そして何かを購入すれば10%の消費税、元の利益から3割くらいに目減りします。

自由主義経済で所得格差は必然であり、最低性格保障と言う観点からばら撒きともとれる再配分も一部は認容せざるを得ませんが、程度の問題としてどうかと言うことです。 オバマ大統領と最後まで大統領を争ったロムニー氏は年収約12億円あり、払った税金は正確に覚えていませんが2~3億円、日本の金持ちは皆海外に出て行くことになります。

私は大阪でも金持ちの多いと言われる天王寺区で仕事をしていて、道路を走る車の多くが高級車であることに驚かされます。 2千万円もする高級車を個人で買うことが出来る人は気の遠くなるような収入を得ていることになります。 以前会社の経営者で年収の多い代表として日産のゴーン氏が約9億円の年収と発表されていました。
天王寺で3千万円の車に乗り、1億ぐらいのタワーマンションに住むにはゴーン氏に近い年収が必要でしょう。
高齢者介護の経営者にも高級車に乗り、タワーマンションに住んでいる人がいます。 人の財布を気にしても仕方ないですが、増税で大判振る舞いする前に節約や不正の排除や、求人難に陥っている国家資格者を増やすなり、やるべきことは山のようにあります。 政治家は、特に自民党は、もっと特に安倍首相はそのように考えてほしいです。 私は大判振る舞いの政策が失政であると信じており、そのつけはいずれ国民に回ってきて、自民党が敗退する時期が来ると思うのですが、もう少し実りある政治が行われないと次の世代はアメリカではないですが財政の崖を落下することになるでしょう。

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[価値観]

日本の文化

社内研修で選んだIT業界の話題で、日本の文化についてひはんが多く有りました。 使うことの無いボタンのついたリモコンや車などです。
商品差別化のために機能を追加するとボタンが増える、作り手側の論理で顧客はそのような差別化を求めていないというものです。

日本の文化として、例えば饂飩のトッピングを例に考えて見ると甘い味付けの揚げが乗ったきつねうどん、昆布が乗っている昆布饂飩などトッピングによる差別化、私はボタンの多いリモコンと同じ発想のように感じます。

より良い物を製造しようとするのは日本の文化がその基礎を支えていて、私が子供のころの一般的価値観はそのような差別化が絶対正義であったように思います。 初期の日産サニーに対してトヨタカローラのCMは『隣の車が小さく見えます』でした。

確かに製品作りの感性や新しい機能を売るより新たに何が出来るかを訴求する製品は携帯電話機で典型的にブレイクしました。
電車に乗ろうとして同行の職員に「次の電車は何分初だろう?」と聞いたら携帯電話を操作して「〇〇分初ですね」と答えてくれたが、頭上の時刻表を見れば一目瞭然でした。 私はアイフォーンのようなものを持っていないので、列車の発車時刻以外にいろいろと役に立つのでしょうが、研究者や大企業の経営者等がこの平べったい携帯電話を操作している姿を見たことがありません。
まあしかし便利な物なのでしょう、私には余り関係ありませんが。 電車の中でも家路に向かう勤め人もふざけた学生もかなりの確率でこの機械を操作しています。

これらの人が将来偉大な学者や優秀な経営者、優れた役人になるとは思えませんし、文化・芸術の世界で活躍するように思いません。 人が文化・経済・科学研究の世界で活躍するには考える時間が必要で、プラットホームで電車を待つ間や、電車で移動中には考えを整理しなければならないことを必死で考えているか、頭の中を整理するためにボォーとしているか、そこにネットから得られた情報を詰め込めば頭の中は情報でいっぱいで、考える隙がなくなってしまうでしょう。

話は横道にそれましたが、差別化やストイックな改善を批判するよりそれを利用する感性を磨くべきで、日本の文化に根ざした感性がIT関連製品の開発においても海外の文化に引けをとらない想像性を発揮する時期が来ると思います。
なぜなら日本の文化の洗練度そのものが高いからと信じています。

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