監査役BLOG

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生活

[生活]

認知症

 夏に母が自宅で倒れていて、救急搬送されました。 入院した母は早朝に夜中に脱出を試み、病院に迷惑をかけたので病院から『さっさと退院してくれ』と言われました。 一人暮らしをしていて、退院して自宅に戻ったとしても認知症になっているのが解ったので一人暮らしは無理と判断しました。

 その自宅もゴミ屋敷となっていて、とても人が住める環境ではありません。 そこで高齢者施設に入居させることにしました。 本人は一時的に悪化した認知症から回復しておらず、帰宅を強く望み、施設でも脱出を試みたり玄関ドアのガラスをステッキで割ったり 、毎日おやつをもって慰めに行ってもフォークを投げつけられ、どうしたものかと悩む日々が続きました。

 数週間して認知も当初より軽度になって、普通に話ができるようになりました。

 母は我が強く、人の言うことを聞かなかったりを私に対してこうしろ、ああしろとうるさく言うのであまり良い関係ではなかったのですが、 軽度の認知になってから邪気のない笑顔でよく笑い、これがあの母かと思うほど嫌味のない人格になりました。

 もちろんいつも安定しているわけではなく、時としてお世話になった人を悪く言ったり しますが、ここ一か月は全く落ち着いています。 認知症の症状である短期記憶もそれなりで、毎日訪問しては昨晩のおかずは何かと尋ねるようにしています。 突っ込んで聞くと少しずつ思い出して答えてくれます。 何より毎日聞くので『また同じことを聞くのか』と笑い出します。 つまりは昨日もおとといも同じ質問をされたことを覚えています。

 答えられないと『あかんな、こんなんでは生きていてもしょうがない』と少し落ち込みます。 『毎日、出来事をノートに書いてみては』といって今日訪問すると『大隅氏ノーベル賞受賞』とノートに書かれていました。

 母は今年90歳、 病気はありません。 エアコンで室温がコントロールされた部屋で毎日元気に暮らしています。 

部屋で倒れたのは熱中症、昨年エアコンを付け替えたのですが使い方を忘れてしまい、この夏の 暑さで熱中症になったのが発端です。

 もう少し丁寧にエアコンの使い方を教えればよかったのか、緊急搬送されて認知症が明らかになり人が変わったように明るくなったことが怪我の功名なのか、30年後の自分と重ね合わせてみると複雑な思いです。

 しかし母が変わったことで積年の悪い関係が改善され、今は平和な親子の対話ができるようになりました。 

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[生活]

引越し

 引越しの可能性が出てきました。 普段の生活ではシンプルで物をなるべくもたない生活を心がけてきました。 本はできる限り図書館で借りるとか、服は必要最小限にするとか、今住んでいるマンションの部屋が比較的広く、いざ少しづつ整理を始めると意外に多くの荷物があります。

 常に必要ですが捨てられるもの、 例えば古い資料とかメモ用紙とか、まだ使えて捨てるのに惜しいけれど持ってゆくにはちょっとと思うもの、大型家具など、これは転居先で収まるのであれば持ってゆかざるを得ないものです。

 服は人並みあることが解り、夏冬のスーツ 併せて10着以上あります。 そんなにたくさん必要ないと思います。 厄介なのは観葉植物、知らぬ間に大きくなり、記念に貰ったものなど捨てるわけにゆかず、どこか貰い手を探すことになります。

 一つ一つを注意して行うとすれば気の遠くなるような 作業です。 最近母が施設に入所し、ゴミ屋敷状態の荷物を一つ一つ仕分けし、産業廃棄物業者に引き取ってもらいましたが、何日もかかった作業の最後はほとんど廃棄扱いにしていました。

 引越しの可能性が出てからほとんど物を買っていません。 食品など貰った素麺がたくさんあって、毎日そうめんを食べていますが、一箱の素麵を食べきるには相当日数がかかります。

 毎日少しでも廃棄するものを作っています。 着なくなった服、古いファイル、先日は廃棄ファイルの内容で問い合わせが来て愕然としましたか、雑貨等日にポリ袋一杯を捨てるのに迷います。

 結局時間が無くなれば全部捨てるのでしょうが、シンプルに生きる難しさを痛感しました。 

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[生活]

憎しみ

 自分に不都合なことがあれば、それが社会規範に反していれば怒りが訪れます。 例えば車を運転していて信号無視した自転車が飛び出し、急ブレーキで事故を回避したとします。 それは信号無視というルール違反から怒りになります。 その時、信号無視していた人が携帯をいじりながら自転車を運転していて、こちらが急ブレーキで事故を回避したのに無視して走り去ったとします。 携帯をいじりながら自転車を運転することが重大な違反でないとして、罰則がないわけですからそれは憎しみにつながります。

 私の場合、憎しみはなかなか消えることはありません。 40年も前に自転車どうし接触したことがあり、どちらがも悪いのですが、『気を付けろ!』と言った相手への憎しみは今も消えることはありません。

 海外の紛争地帯でいつまでも紛争が収まらないのはそこに住む人の憎しみの連鎖が原因の多くを占めると思います。 政治的なスローガンを見ていると紛争をさっさとやめることが解決策に見えても憎しみが意地を張らせているように思います。

 誰もが憎しみを抱き、そうそう簡単に消えるものではありません。 取引先で何年もかけて値引き交渉をして成功したと思ったら通知書一枚で元の値段に戻す旨が記載されていて、 抗議しに行きました。 相手は大企業、こちらは零細企業、相手は強力な法務部もっていて、本件で訴訟になっても中小企業である当社におそらく勝ち目はありません。 

 法律違反のないことを前提にしても値引き交渉の根拠の一つとして変わっていないのに一方的に値引きを取りやめる態度は商習慣に照らしても正当と思われません。  当然取引は中止し、個人的にもその企業グループの製品は買わないようにしていますし、ことあるごとにその大企業がいかに悪意に満ちた企業であるか、話題にしています。

 フェアトレードが話題なる中でその企業が存続し続けることができるのはフェアトレードが日本のマーケットにおいても絵に描いた餅で、経済産業省がそのような商行為を規制する法律を策定しないのは中央省庁の大企業寄りの側面を示しているのでしょう。

 多くの企業がフェアトレードを目指し、このようなふるまいの巨利を得る大企業の取引姿勢を改めさせる交渉を粘り強く行えば日本の国際的競争力やよく話題になる生産性は向上すると思われます。

 個人の憎しみの話題に戻って、 こちらは損害や経済的損失の小さい話題です。 フェア、アンフェアの話題と言えなくもないですが、気持ちの整理をつけるべき話題でしょう。

 以前は憎しみのエピソードを思い出すたびに気分の悪い思いをしたのですが、60歳を超えてそのような感情の起伏が大きくならないようになってきました。

 最近、90歳の母親が 認知症であることが解りました。 8月の暑い日が続いたときに自宅で倒れていて緊急搬送され、短期記憶が完全に欠落していることから認知と判断しました。

 母は私よりさらに憎しみの感情が強く、何か不都合が起これば関係者のだれかに憎しみを抱き、自分を正当化するところが強かったように思います。 それが認知になり、誰がのせいにするよりも自分も悪い、愚かであったと判断するようになったのです。 某証券会社の口車に乗せられ、リスクの高い金融商品を交わされ、認知になってからその証券会社の職員を呼びつけ、全部解約を通知しました。

 今までであれば証券会社の詐欺だと憎しみを燃やすところでしたが、認知後自分がバカだったと反省しています。 しかも反省してそれで終わりで、余計なことをしなけりばよかったなどとくよくよ思っていません。 はた目には認知になったというより正常に戻った感がありますし、ずいぶん都合のよい認知と思います。

 私自身も憎しみや執念が弱くなってきたことを思えば程度はともかく認知症に 向かっているのかと思います。
他の人より憎しみに対する感情が強く働くことが、脳の劣化で弱くなった、暗算が下手になった程度のことでしょうか。

 憎しみ、執念が弱まることは生きてくうえでは楽です。 こだわることが少し減ったように思います。 他人の意見も素直に受け入れられることが増えました。 こうなればただのお人良し、経営者に不向きになってきているのかもしれません。 

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[生活]

ダイエット

 ダイエットの話題が多い。 日本経済新聞にも医療関係の記事に特集が組まれていたり、書籍、TVコマーシャル、ネット広告などにも数多くのものが紹介されています。

 私も中性脂肪が高く、医者からダイエットと運動を進められていて、10年弱食事量を減らし、カロリーの低いものを食べるよう心掛け、徒歩、自転車、筋トレと軽運動も行っていますが体重は横ばいです。

 新聞記事や書籍を読んでいてもダイエットの定説はないように思います。 結局は摂取カロリーと消費カロリーの差が体重になっているわけですから、摂取を減らし、消費を増やす以外にないのでしょう。

 基礎代謝は成人男性で1500kcal前後でしょうから1食200kcalに抑えると一日以内に空腹感を覚えます。 そこで高カロリー食を食べてしまいます。 くうふくを感じる時間はカロリーが不足しているわけですから痩せている時間、空腹でもないのに食べてしまうとオーバーカロリーの可能性があるわけですから体重は増えるはずです。

 一日三食ではなく、空腹を感じたら食べるというのも試してみましたが、食べだすと満腹を感じるまで食べてしまい、満腹感までの時間差分食べ過ぎてしまいます。

 そこでキャベツのような野菜を食べて満腹にすると減量できます。 しかしキャベツばかり食べるのは飽きてしまい、継続できません。 このあたりで自分の意地汚さと意志の弱さにうんざりしてしまいます。

 やはり三食きちっと少ないカロリーの食事を頂くことが良いようです。 計算された摂取カロリーをとり、守れなければペナルティーを課すぐらいでなければなかなか体重は減らないように思います。 そんなことはないだろうと思う人は若い人、63歳になると筋トレで筋肉量を増やすことはできても体脂肪を減らすことは若い時より難しいようです。

 最近遺伝子解析をしてもらい、肥満遺伝子が活性化しているか調べました。 結果的には一つの肥満遺伝子が 機能しているとのこと、自分の体は遺伝的にはほぼ正常であることが解りました。 一日あたりカロリー摂取量を40kcal減らさないといけないそうです。 自分の一日当たり必要カロリー摂取量は正確に解りませんが、若い時の半分程度の食事量なのに痩せないのは基礎代謝が相当減っているせいと信じています。

 今後もいろいろ試してゆきたいと思っています。 

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[生活]

[習慣化]

日常生活

 今年の夏も酷暑で、63歳となった身には大変つらいものがあります。 学生の頃に同じ暑さの中で炎天下のバイトに励んだり、ソフトボールを講座の皆とやったり、汗でひちょびちょになりながら元気に暮らしていました。 研究室にエアコンなどなく、窓全開で扇風機の風にあたりながら数式だらけの専門書と格闘したりしていました。

 サラリーマンになるとエアコンのきいた事務所でネクタイを締めて事務作業に従事していましたが、なぜか18時を過ぎると エアコンは節電のために停止し、ひたすら無風の事務所で事務仕事を行います。 仕事はそれなりにできていたと思います。 真横に座っている上司や斜め前の部長はネクタイを緩めることなく黙々と仕事をこなし、仕事はこのようにこなすものと思ってましたが、残業はつらいものでした。

 今は会社では最後の一人変えるまでエアコンは動いていて、作業環境はずいぶんよくなったと思います。 ずっと冷房の中にいると体が暑さに馴れません。 そこで今日のような休日にエアコンなしで家で仕事をしてみます。 本日の最高室温は 37℃と大変熱く、仕事ははかどりません。 サラリーマンを辞めて現在の仕事に就いたときに『365日働くぞ!』と土日も少しでも仕事にかかわることをするようにしてきましたが、耐暑性の低下した体にとってはとてもつらいことで、日か落ちてから今エアコンをつけてブログを書いています。

 東南アジアの経済発展著しい国の大統領が 『近年の最高の発明はエアコンである』とおっしゃったそうです。 赤道に近い国においては人が酷暑の中で働くうえでエアコンは必要条件なのでしょう。

 へそ曲がりの自分としてはエアコンに頼らぬ生活をしてみたいという希望を捨てていません。 そもそも体温より高い気温の中で生きてゆくには水分補給は欠かせません。 次に摂取カロリーを抑えて体の発熱を抑えるようにします。 さらに体が冷えると言われている野菜をたくさん食べて、寝るときはアイスノン、そうまでするならエアコンのスイッチを入れるだけで済むのですが、いくら暑くてもへそ曲がりはくじけません。

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[生活]

整理

 母が夏バテで倒れ、緊急搬送されました。 日常生活レベルが低下して一人暮らしが出来なくなり、施設に入所することになりました。 90歳までよく一人で頑張ったことと思います。

 母が住んでいた48㎡のマンションを整理することになりましたが、突然のことで何がどこにあるかわかりません。 さらに衣類や家電の収集癖があり、部屋はいわゆるゴミ屋敷です。 ゴミ箱のそこに預金通帳があったりして確認しながら整理しました。 整理に数日を要し、最終的に3.5tのトラックに積みきれない廃棄物が出てきました。 

 物のない時代に育った人なので安売りがあれば買い置き、 服がいるようになればしまってある服を出さずに買いに行く、そうして溜まったものです。

 はじめは几帳面にしまい込んだものを見つけることができなかったり、安売りでつい買ってしまったりしたものが、モノがあふれてくると整理がつかず一方的に増加してゆきます。 最後は足の踏み場もなく、整理や廃棄を促しても聞こうとしませんでした。

 いずれ自分もそうなるだろう、物のない時代に育ったわけではなくてもと思い、せっせといらないものを整理しています。 それでも家財は自然に増えて行き、服や書類や雑貨が部屋に散乱しています。

 ある人と整理の話をしていて 一年間着ることのなかった服は思い切って捨てる、見返すことのない書類も捨てる、と教えられました。 一年間に一度も袖を通さなかった服は既に存在し、それでも服を買い続けています。 そこで物を買わない事を心がけてきました。 物の増加ペースは落ちたように思います。 比較的書類がたまるのでいらない書類を思い切って廃棄し、先日廃棄書類の問い合わせが来て困りました。

 多少困っても捨て続ける、困ったことがあるから残すべきものの判断ができるようになる、あるものは徹底して利用する、利用できるよう何があるか常に持ち物チェックをする、日常生活をするうえでかなりの物品は必要ですから必要量を把握する、ティッシュぺーパーはいずれ消耗するにしても三箱もあれば良く、歯ブラシは予備に一本、石鹸は三個とまるで倉庫の在庫管理のようです。

 ほとんど物を持たない生活をしている人もいて、ティッシュが必要になればポケットティッシュを一つコンビニで買うなど家にほとんど物のない人がいるようです。 そうなれば頻繁に買い物に行かねばならず、私の生活パターンではありません。 私は週間行動予定で買い物は週に3回までと決めています。

 介護保険が始まったころドイツと日本の高齢者の持ち物についての話題を思い出します。 日本人はベッド周りにおいているものはドイツ人の10倍あるというものです。 この話を聞いてからヨーロッパの家庭内風景と日本の家庭内風景をドラマなどを見るたびに比較してきましたが、確かに日本人は 物品が多いようです。

 最近の若い人を見ているとスマートフォンとコンビニが物的・精神的生活を支えていて、シンプルだなと思います。 しかし本は読みません。 図書館でも若い人を見ることは稀です。 ネットで調べられることの特徴は細切れの情報、本はネットの記事より文字数が多いので考え方、価値観、思想を把握するのに向いていると思われます。 そのような面倒なものをもたず、細切れの情報のみで生きてゆくのも究極のシンプルライフでしょう。

 彼らは人生の週末において頭の中は情報のゴミ屋敷になっても部屋の中にモノがあふれていることは想像しにくいです。
 

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[生活]

[習慣化]

継続力

 何かを続けて行うことは大きな成果を生むと言われています。 ことわざにも『継続は力なり』とありますし、ドラッカーも習慣化することで大きな成果を得られると言っています。

 ドラッカーの『習慣化』は継続反復行為の苦痛を軽減して続けられる方法の意味も含んでいるように思われます。 例えば毎朝7時に腹筋100回をすると決めて実行すると腹筋をしない日は気持ちが悪い、便通がないなど人によっては問題が起きます。 しかしやっておれば便通もある、1年もすれば腹筋が割れて内臓脂肪も減り、体重もやらないよりは減るでしょう。 体調がよくなって朝食が進み、逆に太るかもしれませんが。

 私も習慣化を目指して毎週習慣化することの予定表を作っています。 習慣化出来ていれば予定表はいりませんが、継続しなくなることを避けるために 、項目を見直すために予定表を作り、出来たら丸を付けるようにしています。 例えば日本経済新聞を読む、一日に5000歩以上歩く、腹筋30回、掃除などです。 一週間で丸が100以上になれば良く出来た週になり、50個程度であればその週はさっぱりとなります。
 項目にとらわれたり、目標達成を厳格に考えたりしないで気楽にやろうとしますが、ある程度達成意識は必要に思います。 これを初めて何年か経ちましたが、新聞を例にすればどの産業分野が景気が良く、国の経済政策がの目的が大雑把に理解できるようになってきます。 経済の大きな傾向を把握したいがために経済新聞を読みだしたのですが、初めの五年ぐらいは理解できない記事が多く、読む意味が薄かったように思います。

 出版されている経済の本を読んでみましたが、内容がそれなりに理解できても日々の実際の経済に照らし合わせて役立つことは少なかったように思います。

 腹筋は丸の数が少ない項目なので筋肉の形がまだ出てきていませんが、ウエストは確実に小さくなってベルトは何度か短くしました。

 習慣化で難しいのは継続すること、目標を持つこと、それをやることで何か得をするような 報奨があることですが、日本の経済が理解できて株式投資で大儲けできるほど株式相場は甘くありませんし、会社の基本の基本の方針を決めるのに大いに役に立つかといえばかすったような話、せいぜい銀行員と金融の話をして自分の見識の方が高いとうぬぼれる程度でしょうか。

 今更腹筋が割れてムキムキの体になってホテルのプールで注目を浴びる年齢でもありません。

 最近思うのは人間関係の継続力、私は比較的多くの趣味を持ち、その都度かなりの友人を作り、趣味が変わるたびに過去の友人との人間関係が切れてきました。 共通の趣味がある間は話も通じるし、一緒にその趣味を楽しむことができるのですが、その趣味をやめてしまって付き合いを続けることはありませんでした。 これからは継続できる友人関係、友人でなくとも知り合いでいいのですが、5年、10年続く人間関係を作っていきたいと思っています。 

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[価値観]

[生活]

フロー概念、ストック概念と節約

 会計ではフロー概念として損益計算書、ストック概念としては貸借対照表があります。 あえて解説すれば前者は川の流れに例えれば水の流れる量を示し、一定期間にどれだけ流れ込み、その水がどのようになっていったかを示すもの、途中で蒸発したり、農業用の灌漑に利用されたり、ダムに溜まったりする量を示します。

 後者はダムに溜まった水の量を示します。 これはある時点の量を示します。 会計でいえばお金でいくら残ったとか、固定資産としていくら在るかとかです。

 経営者に多く見られるのはフロー概念、損益計算書に注目している人が多いということです。 今季いくら儲かったなどということに注目します。 もちろん大企業も同様でもっと細かく全社期間損益、部門期間損益、直接経費と間接経費の比率、期間も年、四半期、月次、さらに細かいところでは単品の損益などを管理しています。

 一方ストック概念について川の流れのたとえと大きく異なることはマイナス概念があるということです。 負債の部と呼ばれるのがこれで、借入金、未払い費用、買掛金などです。 川の流れで借り入れは考えにくいです。

 このフロート・ストック概念は 日常生活でも言葉は違えど出てきます。

 少し話は変わりますが、私は個人的に倹約家であります。 子供の時に躾けられたことが価値観となって、必要以上に節約します。 移動手段は自転車かバイクか徒歩か電車など公共交通機関です。 会社で車を用意してもらえれば楽なのですが、車をほしいと思ったことはほとんどありません。

 中小企業の経営者と面談の機会が多い税理士は私のことを『変人クラブ』と呼んでいます。 多くの中小企業の経営者は自分の所得を最大化するため経費を使い、最終利益ゼロを目指しています。 最終利益が100万円であれば約40万円は 納税額になります。 であれば100万円でゴルフに行き、酒を飲みごちそうを食べることで自らの快楽を追求します。 しかし交際費などで落とされるこれらの経費がすべて無駄化といえば経営者の稼ぐ意欲につながり、接待を通じて商談が整ったりします。

  従業員の給料を増やし、従業員に感謝されることを求める経営者もまれにおられます。 給料は労働の対価、会社への利益貢献を正確に測り、それに応じた給料を払うことが私は正しいと信じており、一般的な職員の給料も相場とその人の利益貢献で決めていて、利益が出たら昇給という発想はあまりありません。 赤字になれば同じ仕事をしていて給料を下げることになりかねません。

 では私は自らの報酬もケチってもいざという時のために内部留保を 高めようとしているか、もちろん企業規模に応じた内部留保は求めるところですが、事業の効率化や新規事業へ投資してゆきます。

 このような投資が貸借対照表の改善につながるかといえば残念ながら直截的ではありません。 しかし、企業が多くの経験を積み、内部体制が合理的になってゆくことは貸借対照表に泡われない資産といえるでしょう。

 個人の話に戻れば、けちけちしている私に他の経営者は『お金を棺桶まで持ってゆくのか』と揶揄されますが、自らの経験の蓄積や投資に個人でも人並みにお金を使っており、自らの見えざる資産を増やそうとしています。 教養や知性や決断力は棺桶まで持ってゆきたいと思っています。

 どうせ儲かったお金を使うなら規模拡大や効率化でより安定した利益を稼げるようにします。  

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[生活]

時間と成果

 昔、山スキー(雪山をスキーの板を使って登攀する)を教えてくれた人が水彩画の画家になってグループ展を毎年開催しています。 二回に一回は見に行きます。 毎回画風の変化に驚かせられ、絵を描くことは進化すること、単純に自分の画風やテクニックで書き続けて、偶然傑作になるものと思っていましたが、この人は以前の作品とは全く異なるものを書いているのを目の当たりにして驚きました。

 前々回に広い川の淀みを描いた絵が気になり、何度も見返した記憶がありました。 今回も同じような淀みの絵があり、額縁から川の水が流れ出てくるような錯覚にとらわれました。 どうも静水を描くと生きる画風なのかと素人ながらに感心しました。 しかし淀みの質感はリアルであっても描かれた対象は単に淀んだ川で、部屋に掛けようかという気がしませんでした。

 そこで淀みの絵を二枚譲ってもらい、部屋に掛けて10日ほど経ちました。 見慣れてくるとだんだん良くなってきます。 毎日何度もその絵を見て、不思議なものだと毎日感心しています。

 絵を描く趣味は描いた絵を残しておけば自分の成長は実感できます。 自分が書かなければ絵は存在せず、絵の存在そのものが自分の存在そのものになるから過去を振り返ったときに自分の伝記がそこにあります。 この人は描いた絵をすべて売ってしまい、手元に置いていません。 絵は書いたら、書けたら、表現できたら反れてよい人のようで、未練をもっていません。 むしろ過去が見えるのを好まないように思えます。

 私は会社経営という仕事をしていますが、私の仕事の方法は自分ではほぼ何もしない経営者です。 人の話を聞き、それで終わりで、必要に応じて控えめなアドバイスしたり、『やってみたら』と背中を押したりするだけです。 だから過去を振り返り、自分の業績や成果というものは何も見えません。 大きな方向性の判断やビジョンの策定、取引先の選定など大きな項目には関与していますが、自分で営業に出かけることも社内の制度を考えることもしません。

 大きな方向は数年の期間の中で実現され、成果を生んできます。 そのような大きな決断は数年に一回あるかないかで、毎週一枚の絵が仕上がるのとは様子が違います。

 例えば年初からの半年は重要な決断をしていません。 採用面接など作業の一部はになっていますが、それは私がいなくても回るようにしています。 つまりは成果を生んでいないことになります。

 高額の役員報酬をもらっていれば、たとえオーナーであっても焦ってしまうでしょう。 報酬に見合う成果を上げなければと、重要な経営判断を迫られる機会は突然訪れ、あっっという間に機会は去ってゆきます。 ぱっと飛びつかないと逃してしまいます。 報酬が多いとどんどん飛びつきます。 飛びついて不首尾に終わる確率は9割以上、見極めが大切です。

 『老人と海』の漁師のように何日も大物を狙って漁をし、ここ一番でヒットしたときは絶対逃さぬファイトが必要です。 経営でもそのファイトを失わないよう健康に気を付け、会社内外のことを目を凝らしてウォッチしています。 日々業務に追われ、作業の辛さ、迷い、苦悩と達成感に浸れる現場と仕事を持つ人をうらやましく思うことがあります。

 それぞれに役割があり、自らの役割を淡々とこなすのが私の地味な人生、毎日今日何があったかノートに書き込み、ため息をつく毎日です。
 

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[生活]

認知症

 叔母が認知症になり、認知症に特化した施設に入所しました。 叔母は京都に住んでいたのですが、身寄りで近隣に住んでいるのは甥が4人だけです。 その一人が面倒を見てきて、私にも連絡してくれました。

 施設に面会に行きました。

 認知になったのは昨年末、その前後の記憶が混濁しています。 それ以前の記憶も怪しいのですが、私が誰であるか解ります。 最近になって夫である叔父がなくなり、甥がすべての段取りを整えることになりました。 その甥、私の従弟ですが、に頼まれ私が叔母にご主人の死亡を告げ、通夜に連れてゆくことになりました。

 認知の叔母にご主人の死を告げるのは辛い役回り、出向いて面会し、直截に伝えました。

 叔母の話では叔父は自分と離婚して若い人と再婚したことになっています。 死を告げても受け入れようがありません。 つじつまの合わない状態で『とにかく行きましょう、知っている人がたくさん来るから』といって連れ出しました。

 タクシーに乗ると叔母はテンションが上がり、『こんなに近くなら走っていけるじゃないか』と言い出し、20分ほどで式場につくとまだだれも来ていません。 しばらくして世話役の従弟がやってきて、東京に住むへつの甥がやってきました。 叔母の記憶にその甥の面影が残っていて静かに一礼しました。 私と並んで座っていて『そや、○○さんや、思い出した。ちょっと呼んできて』と私に言ったので、東京に住んでいる従弟を呼ぶと改めて挨拶をしました。

 その後、次々と見知った人が来て喪主である叔母に挨拶してゆきますが、叔母は話の辻褄が合わないまでも話をします。 挨拶をした人は叔母が認知になっていることを知っているので辻褄を合わせようとはしません。 叔母は私に騙されてここにきているのですと説明しています。

 通夜が終わり、施設に戻るとき叔母に『皆に騙されたと言うのはひどいじゃないですか』というと『冗談に決まっているやろ』とにっこり笑って私の腕をはたきました。

 従弟が『叔母が行きたくないと言ったら友達に合いに行きましょうと騙して連れてこい』と事前にアドバイスを受けていて、それを叔母は見抜いていたことになります。 恐るべし、叔母の洞察力、唖然としました。

 住んでいるのは認知症専門施設、叔母の周りは認知症の人ばかりで話し相手にもなりません。 ますます認知が進むでしょう。 毎日よく知っている健常者のひとと話をし、自分で生活すれば完全回復するのではと思い、従弟に話してみました。

 従弟は僧侶、医療介護の専門家ではありませんが、『そうかもな、それはそれで問題もある』とのこと、介護の専門家に聞くと認知の改善はありえても完全治癒はないとのことでした。 認知の改善は記憶、論理思考、コミュニケーションなど社会生活のうえで必要な能力が回復することだと思いますが、記憶が以前の半分まで回復したとか簡単な日常会話が通じるようになったとかではなく、ほぼ元に戻ったのにある瞬間に自分が誰だかわからなくなるような回復もあるようです。

 まだらに回復すると正常な時はこんな施設から出てゆきたいと思い、施設を退所して自宅に戻れば突然問題行動に走る可能性があり、それなら認知のままで施設にいるほうが安全ということになります。

 本人が自我を幾ばくかでも回復することは素晴らしいことですが、マダラの回復がもたらす代償はかなり大きいようです。
 

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