監査役BLOG

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生活

[生活]

私の暑さ対策

暑い日が続きます。 子供のころ、私はがりがりに痩せていました。 冬の寒さは苦手で、寒い冬は掘りごたつに潜り込み、外出などしませんでした。 夏の暑さはまだましで、大して苦にしなかったように思います。

体は弱く、冬になると風邪をひいて鼻水をたらし、いつも頭がぼーっとしている子供でした。 それがずっと続き、大学に入るころにはずいぶん元気になって、冬に風邪をひいている時間はずっと短くなりました。

しかし今の身長で57㎏、食べても食べても体重は増えませんでした。 その後就職して体重が夏は60㎏、冬は65㎏が続き、仕事が極端に忙しくなって70㎏を超えました。 就労時間が長く、一日4回の食事、体重が増えて当たり前、仕事が一段落しても痩せることがありません。 毎年スーツを新調せねばならず大変でした。

仕事が一段落して定常業務に戻り、山に登りにゆくようになりました。 初めは体が重く、上りはどうしようもなくつらかったのを覚えています。 やがて体重が67㎏で一定になり、その体重に応じて心肺機能も発達して、上りでも息が上がることがなくなりました。

冬山に行くようになり、自分が意外に寒さに強くなっていてびっくりしましたが、夏山ではばてることが多く、夏に山に登らなくなりました。 同時に頭が禿げ出して、太ると禿げるのかと思いました。

太って変わったことといえば汗を大量にかくようになったこと、夏場にテニスをするときは5~6リットルの飲み物を用意して飲んでしまいました。 週末に初めにかく汗は臭かったですが、そのあとの汗は水そのもの、いくら汗をかいても体がくさくなりません。 代わりに食べるものに醤油をかけて食べるようになり、塩分の補給をしていました。

今の仕事に代わって運動量が減ると体重が増えてきます。 60歳前になった時は食事量が30歳代の半分になったにもかかわらず体重は減りません。 さらに減らすと少し体重が落ちるのですが、62歳になった今では70㎏を下回ることがありません。

体重の増加は55歳のころからで、中性脂肪の上昇に加え無呼吸症候群である事が判りました。 その意味でも体重を落とさなければなりません。

同時に夏の暑さが耐えられず、寝るときは必ずエアコンで室温を下げないと寝られません。 若い時、エアコンがなく夜寝ると朝にはパジャマが寝汗でびちよびちょでした。 それでもよく眠れたのですが。

今でも汗はよくかきますが、パジャマがびちょびちょということはありません。 しかし暑さに弱く、62歳にして体質を変えるべく筋トレをはじめ、食事も減らし、エアコンは極力使わないようにしました。

暑くなればシャワーを浴びる、一日二回はシャワーを浴びるようにしています。 お湯のシャワーで、シャワーの後はしばらくの間暑さをしのぐことができます。

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[生活]

60歳を過ぎてからの筋トレ

中学の保健体育の授業で「40歳を超えると筋力は増加しない」と習ったのを覚えています。 ほぼ40年前に当時十数歳の私は『今のうちに筋肉をつけておかないと』と思いました。

最近は年齢に関係なく筋力は増強できるとなっています。 私は62歳、最近スマホをもつようになって健康データをチェックすると一日の歩数が数百歩と自転車走行10㎞で、「これでは筋力低下する一方」と焦りました。

私は朝型人間なので朝起きた時に筋トレを行います。 『自重 筋トレ100の基本』という本を買いました。 本屋で平積みしていて売れ筋だと思いました。 副題の『もう器具などいらない!!』にも惹かれました。 部屋にトレーニングマシーンを置けば邪魔になるし、「さあ、筋トレをやれ」と言われているようでね。

はじめ腹筋をやってみました。 つま先をソファーにひっかけ、ひざを少し曲げ、腕を胸の前で交差させて上体を起こすおなじみの方法です。 何と10回出来なかったのです。 悔しくて頑張ることにしました。 しかし毎日するのは筋力増強のためにならないらしく、二日に一度となると忘れたり面倒だったり、思いついて頑張ると腹筋がつったりします。 それでも30回出来るようになりました。 裸になっても美しいスタイルを維持したいとの思いや老化防止や最近増えすぎた体重を減らすことなどいろいろ要求は多いのですが。

思い知ったことは、徹底的に減少した筋力を戻すのに相当の忍耐力、継続力が必要だということです。 持久力を付けるためエレベーターをなるべく使わず階段を昇降しますが、なかなか14階を上るのは決意が必要です。 毎度エントランスでエレベーターの前を通り過ぎ、決意して非常階段のドアを開けます。 もちろん筋トレメニューのどれに取り掛かるのも決意はいりますし、やった後の肉体的苦痛、筋肉痛はいつまでもなくなりません。

筋力増強は年齢に関係なくとも肉体疲労の回復は年齢とともに衰えるように思いました。 やり始めて逆に体重がわずかながら増加して、これはどうしたことかと悩みます。

60歳を過ぎての筋トレやダイエットの工夫が必要である事が判りました。 自重トレーニングに書いてあるセットメニューはそれなりの強度があり、たとえば腹筋なら30回を目標にしていましたが、25回で辛くなれば止める、その代り一日に二回やるとか、分散して隙間時間を活用することにしました。 それを記録します。

コーヒーを飲む前に腕立て伏せ、トイレに行く前に腹筋というような方法です。 回数を減らして分散しても累計で一定数をこなせば筋肉痛は起こるので効果があるようです。 ボディビルダーのような体は無理でも何とかスーツ姿が見苦しくない程度と思っています。

食事も工夫が必要で、大豆を食べるとか量を減らすとか、うんざりするようなメニューを継続しています。

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[価値観]

[生活]

働くことの意味

採用面接でなぜ応募したのか質問するとさまざまな答えが返ってきます。 社会貢献を果たしたい、やったことに感謝されたい、困った人を助けたいなどです。

ケアマネージャーと話をしていて、利用者のお一人が修験品をバザーに出店し、なにがしかのお金を稼いだことに対して大きな喜びを感じた話を伺いました。

介護を必要とする年代になれば積極的にお金を稼ぐというわけにはゆきません。
喜びの本質はどこにあるのか、お金そのものにあるのか、それともお金を稼いだこと=社会に価値をもたらし金銭で評価されたことかとおもいます。

自分の母親を見ていてそれなりに資産を持っていながら子供や孫にかすめ取られることは大してて苦にしておらず、その一方でお金を稼ぎたいばかりに株式投資などにお金をつぎ込み根損失を重ねていると自ら稼ぐことに大きな喜びがあるようです。

高齢者に限らず新卒の人も自らお金を稼ぐ=貢献を果たすことの意味を原点に戻って考えれば職業選択はもう少し整理できるでしょうし、私の母親のように誤った稼ぎ方から足が洗えるのではと思います。

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[生活]

小売店

私は小売店に行くのが好きです。 しかしショッピングはほとんどしません。 よく行くお店は、コーナン、ドンキホーテ、デパート(阿倍野ハルカス、なんば高島屋)、Q’sモール、リサイクルショップ、心斎橋のブラント店、業務スーパー、コンビニエンスストア、アウトレットモール、洋菓子店、和菓子店、バイクショップ、自転車屋などジャンルを問わず行きます。

不動産業者と話をしていて千日前通りを天王寺から浪速区に入ったところにあるローソンは大阪で一番販売額が多いそうです。 私がコンビニで買うものといえばコーヒーか弁当、菓子パンなど500円程度の買い物ですが、そのコンビニでは客単価が一万円を超えるお客さんがたくさんおられるそうです。

最近のコンビニでの買い物で生活のすべてをまかなうことはほぼできるかもしれません。 一般売薬の取扱店は少ないですが、衣類、食べ物、飲み物、歯ブラシ、髭剃り、さすがにエアコンなどの電気製品の取り扱いはありませんが、日常生活で必要なものはすべてそろうでしょう。

そのような生活を想像するするとおそらく陶器の食器や調理器具はなく、使い捨てのもの、紙のトレーやコップ、プラスチックのフォークにナイフ、書籍はなく雑誌があるかもしれません。 寝具はさすがにコンビニ以外で買うことになります。 家電としては洗濯機はコインランドリーで間に合いますし、エアコンは最近は部屋についているでしょう。 冷蔵庫は必要ないかもしれません。 その代り毎食分を買い出しに行くかカップめんや菓子パンを買い置きすることになります。 そうなると湯沸しが必要になるかもしれません。

これはシンプルな生活で、仕事がアルバイトであれば家賃と携帯代とコンビニの買い物で貯金は無理かもしれません。

その他の小売店の一つで生活をイメージできるのはデパートでしょう。 衣食住はコンビニよりバラエティに富んでいて、商品アイテム数は何倍もあるでしょう。 デパートが意外に不便なのは金融機関の現金払出機や宅急便の取り扱い、コピーサービス、一般売薬の販売がないことでしょうか。

知人にデパートで生活のほぼすべてを賄う人もいます。 デパート活用術を会得すると意外に便利で、夕方惣菜の値引き等を利用して節約を果たしておられます。

アウトレットモールは衣料品に偏重していて、生活感はありません。 そもそもアウトレットですから正規品に比べてお安いわけで、ファッショナブルな人が利用するより、衣料品の節約を目的とした小売店でしょう。

つぎにドンキホーテですが、もともとディスプレーに特徴があって有名になったお店です。 商品を積み上げられるだけ積み上げ、その中から欲しいものを探す商品陳列ですが、取扱商品も少し趣味性があると思います。 しかし放火事件が何度か起こってから消防署の始動が入ったのか、最近はずいぶん整然としたディスプレーになりました。

他所のお宅お邪魔したり、TVで居宅内の映像を見ていて、ドンキホーテをイメージしてしまう生活感を感じるときがあります。 家の中にモノがあふれ、壁にはポスターやカレンダーがつるされ、人形やちょっと便利なものが雑然とあるお宅などです。

私の母親は80歳代後半で、部屋がごみ屋敷化しています。 ほとんど外出しないのに服があふれ、冷蔵庫に食品があふれています。 何度か注意しましたが、一向に聞く耳をもちません。 こちらもイメージはドンキホーテですが、おいているものが衣類中心で、内容としてはやはりごみ屋敷です。

たまに行くバイクショップ、最近はスクーターがはやりですが、私の好きなネイキッドがたくさん置いてある店です。 最近ネイキッドにのるバイク乗りは減ったように思います。 スクーターの次はアメリカン、そしてオフロード車、ツアラー、カブのような実用車、そしてネイキッドでしょうか。 販売台数が少なくなって単価が上がり、小型車くらいの値段がするのに1万キロを走行していない中古が並んでいます。

バイクは衣食住に関係しないものですから、バイクショップに生活感は乏しいです。 しかし、転倒したキズの無いオフ車や初度登録から5年を経過して3千キロしか走行していないリッターバイク(排気量が1000ccを超えるもの)が並んでいるのを見ると、無理して買って殆ど乗らず、部品を変えてカスタマイズし、磨き上げたオーナーの生活感が透けて見えます。

たまにバイク走行のメッカと言われているところに行くと、道の駅などでは磨き上げられ、部品の変えられた高額バイクが並んでいて、バイク談義に花が咲いています。 バイクの色に合わせたレーシングウェアをまとい、ヘルメットも同系色にペイントされていて、コスプレの世界を思わせます。

小売店のカテゴリーだけ同じ価値観の人の集団がいて、価値観で人がつながっていると思います。 バイクのマフラーに30万円出す人は、カルティエで3万円のネクタイを買うだろうかと思います。 ものに対する価値観は千差万別、人の価値観に触れないように気を使いながら小売店回りを楽しんでいます。

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[生活]

孤独

今日は私の62歳の誕生日、よくも長生きしたものだと思います。 最近は仕事一筋で遊び友達は減り、仕事では権限委譲を進めたので幹部は自分の業務・職務範囲の責任を果たすべく、私の愚痴に耳身を傾けたり、世間話に付き合ってくれません。 当社のように従業員が100人を超えた程度の会社は微妙で、会社のトップが何をしているか見えにくくなります。

先日はある課長から営業の地域戦略について質問がありました。 『自分の権限外の事なのでコメントできない』というと『まさか?』と思ったようです。 小さなことでもトップがすべて判断すると思っていたようで、そのようなことを判断するのであれば部門長、店長、課長からから膨大な報告を受けねばならず、それは大変なことになります。

課長にしてみれば話は聞いてくれるがこんな人に何を話しても無駄と思ったことでしょう。 それだけ自分の負担を減らしてもトップにはやらねばならない事があり、それはそれでうまくやるのは大変なのですが、もちろんその課長に『こんなに大変なんだよ』と言っても始まりません。 それぞれの役割ですから仕方のないことで、課長は蚊の成績として自分の成果は目に見えますが、私の成果は見えにくいものです。 それを言っても愚痴になるだけ、自分の役割を果たす上で何日も考え抜いても視力の衰えた目で夜中まで本を読んでも誰も褒めず、労わらず、判断したことが誰かの不手際でうまく行かなくとも私の責任、『全く腹が立つ』と愚痴は尽きません。

今朝、ある職員から7時にお誕生日メッセージをいただき、自分のことを思ってくれる職員もいて涙が出ました。 以前にも自分の仕事ではないことで残業していて、わざわざお茶を届けてくれる人がいて涙か出たことがあります。 どうも自分は人の優しさに弱いのかと苦笑い、経営者の仕事もたまには良いこともあります。

うれしいこと、辛いことはそれを感じるのは心ですから、辛いことが続けば慣れてきて辛さが弱まり、うれしいことが続いても慣れてしまうものです。 うれしいと感じることがたまにやってくると心は大きくうれしいと感じるもので、涙が出るほどうれしいのは最近辛いことが多く、慣れ切っていたのかと反省しています。

つらいことのいくつかは自分で辛くないことに変えることができると考えるからです。 仕事であれば思い切った決断、結果責任を取らねばならないのでうまく行かない時はさらに辛くなりますが、うまく行けばうれしいことになります。 それが自分のつらさを回避することが目的なら上手くいこうがいこまいが、そもそも仕事としての判断ではなくなります。

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[生活]

[習慣化]

バランス

『貯め』という言葉に寝だめ、食いだめなどがあります。 どちらも長期的には貯めることができないです。 1週間起きっぱなしで、3日寝ての生活には無理がありますし、食べることも同様です。

貯められるか、貯められないか微妙なこともあります。 たとえば勉強やスポーツなど一時の集中は重要で、たとえば1ヵ月の合宿集中英会話教室など一気に会話力が付くかもしれません。 プロスポーツ選手でも下積みの時期は寸暇を惜しんで練習するけれどプロになって練習量を意図して減らす人がいます。

しかし私の知る高い評価を受けている人は大成してからも概ねコツコツと努力しています。 私がお世話になった大学教授は退任してからも他人の論文を読み、自ら執筆していました。

大成してから、もしくは大成しなくても成長期が過ぎてから成長期とは違う努力が必要に思います。 たとえば私の場合、経営者になって15年ほど経ちましたが、今更経営の勉強をしてもと思うことがあります。 なりたての頃は合宿形式の研修に参加したり、セミナーに参加したりしました。

最近、知識切売形式のセミナーに行っても全然関心が湧きません。 しかし自分の仕事の範囲で気になる事が次々沸き起こり、本を読み、関係しそうな人と話をするようにしています。 本は読んでいると時としてわくわくし、刺激を受けます。 特定のテーマに関するセミナーを受けても関心が湧かないのに、講師が読んだであろう、そして理解しているであろう著作、つまりその分野で伝説化している書籍を読んでわくわくしてしまいます。

講師の知識・経験のフィルターにかかって出てきた言葉はすでにくすんで見えるということでしょうか。

かつて中間管理職は少ない方が良いという話題になった時、ある人が『それは間違いである』と反論しました。 その人は表現力に難があり、意図がよくわかりませんでしたが、セミナーに参加して講師が少ない管理職を薦めたので質問したそうです。 管理職の役割を並べてそれが管理職なしでやることができるのかという質問です。

その後10年ほどたって中間管理職の意味が解ってきました。 したがって現在は適正な管理職の配置を心掛けています。 この例では、理屈ではなく経験から納得したことです。

そのような経験による経営ノウハウを自分が若い時、もしくは立ち位置が違う時期に知ったとしても納得しないばかりか、仮に刷り込まれたとしたら間違った管理職が絶対必要だというような固定概念の形成に繋がったことと思います。

元の話戻り、知識をためるための勉強や読書は弊害もあることを知りました。 仕事に限定すれば自分が担っている役割の中で興味をひかれたことについて最適の読書や勉強をすればよいと思います。 勉強も優先順位を考え、その的に集中すべきで、採用面接などでも自分がやるべきこと、やれることを集中して考えた形跡のない人が『将来の夢は?』と聞かれて『経営者になりたい』と答え、経営者の役割・責任が理解できていない場合が殆どです。

笑い話で中年男性の再就職に際し『何ができますか?』、『部長なら…』という話に似ています。

ではどうすれば良いか?、常に日常に近いことで疑問に答えられる勉強を薦めます。 たとえば私の場合、歴史小説を読み、組織の有るべき姿の参考にします。 下手な組織論よりよっぽど役に立ち、ストーリーの中に感情移入して主人公になり替わり『自分ならこうする』といったシュミレーションを描きます。

歴史小説はSFやファンタジーと同様現実離れしていて、それでいて現代社会に通じるものがあります。 過去に忠実に描かれているものは孟子、孔子、老子など古典思想家の考えが色濃く出ていて、それが現代に通じるところに面白みと役立ちを感じます。

関心事の焦点を絞り、そのつもりで日々バランスよく努力すれば日々バランスを配慮した食事が健康体を作るように仕事でも人格成長でも多くの引き出しを作ってくれます。

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[生活]

人の成長

最近、採用面接で働く目的は? どのようになりたいか? などと質問して返ってくる答えが『自己の成長』です。 自己という以上個人の事で、想像するに(もちろん応募者に成長の具体的な内容を質問しますが)スキル=社交性・自己表現力・コミュニュケーション力、と知識や経験を指している場合が多いようです。

なぜそれを求めるかというと、これも想像ですが、会社に入って高い実績をあげて、週休・昇進を果たしという希望が根底にあります。

それを悪いこととか、つまらないこととか言うつもりはありません。 たとえば営業で採用するからには売り上げを上げる人の方が好ましいでしょうし、管理職が不足しているので昇進してくれる職員が多いほど当社は良い会社になります。

実際にスキルや知識を身に付けようとするなら、私ならまず読書、ネットサーフィンより紙の書籍を読むほうが良いし、漫画より文字の方が良いと思います。 さらに言うなら若いうちは乱読も良いでしょうが、気に入った一冊を何回も読むのも良いと思います。 そしてその本は『目指せ!トップセールス』のようなハウツウ本でもよいし、経営学の本でも小説でもよいと思います。

私の読む本のジャンルは冊数では圧倒的に北方謙三著の小説です。 なんで小説かというと単純に面白いからで、テーマとなる生き様や価値観、判断力や組織運営までいろいろと書き込まれていて、会社経営でいえば組織編制や人事評価などに非常に役に立っています。 経営学者が書いた組織論や軍隊の組織と意思決定などの本も読みますが、例えば当社の最小組織の人数を何人にするかといった課題に役に立ちます。

要は学んだことが実践して同課の繰り返しで理屈に枝葉がついてくるように思います。 あまり学者の書いたものを読みすぎると理屈が勝って現場の状況を軽く見てしまうような気がします。

当社のような小会社でも外部環境が変わったり、人が育ったりして臨機応変に組織形態は変えなくてはなりません。 要は人に組織を合わせる訳ですが、個々人の把握ができなくなるとこの方法は取れず、組織編制は現場の上級管理者に任せてしまいます。

自己成長の話題に戻り、私も私の仕事のためにスキルや知識が必要になり、かなりの時間読書や新聞を読むことに費やします。 抱えている課題にぴったりはまる書籍や新聞の記事に出会えばよいのですが、そうは行かず、手当たり次第に丹念に読みます。 もちろん読書は一人で行うもので、読み合わせ会などやりませんし、セミナーにもあまり参加しません。 特にセミナーは講師がテーマに沿って多くの書籍を読みますが、講師が経営をしているわけではないし、コンサルタントとして他社の経営にアドバイスすることはあっても内容に重みがありません。

結局自分一人、悶々と悩みながら読み続けます。 いつも面白いとは限らないので、読書を習慣にしています。 今週はこの本を読み切ると決めて予定表に書き、朝5時ごろから読み始めます。 私にとってこの時間はゴールデンタイム、起きるとストレッチをして体を目覚めさせ、読書などを始めます。 8時45分までの3時間が勝負で、後の45分はコーヒーを淹れ、薬を飲み、トイレに行って歯を磨く時間になります。 基本的に朝食は抜きます。 空腹の方が効率が良いからです。 体重を減らさなければいけないので朝食抜きは良い習慣と思っています。

最近読んだ外山滋比古氏の『知的生活習慣』、『リンゴも人生もキズがあるほど甘くなる』には同じことが書かれていて、早朝に仕事をされるそうで、私と違い昼前までがゴールデンタイムと書かれていました。 大学をおやめになってフリーとなられたので昼前までが可能なのでしょう。

氏の生活習慣で散歩の話が出てきます。 せいぜい1~2時間仕事をすれば散歩など軽い運動をされるそうです。 ノートを多用されているとか、ほかにも私の生活パターンと一致する話が多く出てきてなるほど、と思います。

氏は本を読みノートに纏め、原稿を書くのが仕事ですが、私の場合、原稿を書くところが会社経営に応用するところです。 氏は自由奔放に著述され、いろいろなところから批判を受けたりされているようですが、私の場合、考え抜いた方法がうまくはまって業績に繋がるかどうか、がポイントです。

うまく業績向上に繋がれば歌でも歌いたくなります。(実際は歌いませんが) またうまくツボにはまったというのは自分が勝手に思っているだけで、ほかの原因が実は作用している事が多いはずです。 しかし、自分のモチベーションを高めるために『これば自分の手柄』と勝手に思うようにしています。(他では言いませんが)

うまく行ったと思えるのは2~3割、あとは失敗です。 失敗も期待した管理職が上手く方法を実践してくれなかったとか、外部環境が変わってしまったとか、原因が私の方法以外にある場合もありますが、こちらも単純に判断できません。 なるべく心の中で責任は自分以外のところにあると慰めます。(もちろん公言したりしません)

いくら他人に責任転嫁しても失敗は失敗、心は晴れず引きずってしまいます。 次は成功するぞ!という気持ちが次の読書のモチベーションになります。

しかし本当に言いたかった『自己の成長』は例示したような話ではなく、人格的な成長で、こちらは次の機会にお話しします。

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[生活]

how to 本

日本経済新聞に本の販売ランキングが掲載されていて、今まで読まなかった本に興味をもち流し読みしました。 タイトルは
「仕事が速い人」と「仕事か遅い人」の習慣 残業しないで定時に帰る方法
というものです。 会社で残業が問題になっていたこと、自分は仕事は遅いのではないかと懸念をもっていたことが惹かれました。

普通、会社では従業員の勤務時間で可能な仕事を配分します。 残業前提で仕事の割り振りはしないと思います。 当社で営業職は例外で、お客様の時間に合わせることがあり、一定の残業を含む仕事量を割振りしています。

月例賃金に30時間分の予告残業手当を含み、その範囲で工夫すれば標準的な売上を達成できる設定です。 仕事料の設定が正確にこの時間と割振りするのは難しく、開拓しにくいエリアを担当した営業はその時間熱心に仕事をしても平均的成果を生まない場合があります。

一方私はもともと事務職で、今は経営者ですが事務仕事が多く、データを読む、分析する、組み立てるといった作業に多くの時間がかかります。 なぜならデータ分析から組み立てるのは方針などですから、一般にどのように考えるのか、例えば地域戦略を考えるときに地域戦略の本を読んだりしますので時間がかかってしまいます。 たまに他社の経営者と話していて具体的な数値が明確に頭に入っていたり、理にかなった戦略を披歴されたりすると自分の考えが優れていないと落ち込みます。

戦略などいかにうまく説明しようと結果が出なければ絵に描いた餅になってしまいますが、クリアな説明はそれを担う従業員に浸透させやすいでしょう。

仕事の質と速さを混ぜて生産性で悩んでいて、この本を読んだわけですが、本の意図はあくまで仕事の速いひとと遅い人の習慣を観察して書かれています。

早い人は早寝早起き、ものを買わない捨てる、インターネットやTV視聴時間が短い、空腹で仕事をする、体を鍛える、痩せている、やらないことを決める(遅い人はやることを決める)、記憶に自信がない、お金を使う、仕事を人に振る、気を使わない、目標を立てる・・・・・といったことが実例を交えて書かれています。

さて自分はどうかというと実は当てはまっている事が殆どで、特に早寝早起き、朝に集中、やらないことを決める、ものを買わない、記憶に自信がないなどです。

人生の経験から、人に言われたからではなく、このような習慣を身に着けたわけですが、仕事はやはり遅く、作業=電卓で集計やエクセルで表やグラフを作るなど時間がかかっている方だと思います。 何でも速くできればより多くの事が出来て、忘れる前に覚えたことを仕事に反映できて仕事の質も向上するように思います。

ただ一つ決定的に違うのは速くやることを意識しないで仕事をしていることが多いと思います。 いつも自分の描いた方針や戦略がより速く、より良い結果を生み、自分らしいことを心掛けているように思います。 思わなければ何も始まらず、速さと質の追求はできることが読んでみてわかりました。

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[生活]

ある有名大学学生がよく読む本として新聞に紹介された外山滋比古氏の『思考の整理学』という本を読むと、ことわざの解説が出てきました。

著者はことわざが学校教育においてないがしろにされていると述べておられます。 その原因が知的でないということのようです。

私が学生だった頃は親からことわざをことあるたびに言われました。 それを言う親や大人は『大事なことを教えてやろう』という感じで、何度も繰り返されるのでいまだに焼き付いていますが、他人を諭すときに使った記憶はありません。

同様に会社やプライベートの会話でことわざを喩に使う人はお目にかかりません。 ことわざが廃れたのか別の言葉で置き換わって表現できるのか、言葉のたとえが実感できないからかわかりません。

『李下に冠を正さず』は李(すもも)の木の下で曲がった冠を直すと、李の実を盗んでいるのではないかと誤解を招く恐れがあると言う意味で、私の父はよく言いました。 正直に生きるのは勿論のこと、正直であることの誤解も避けよという意味は父の生き方そのもののように当時思いました。 しかし冠を被ることは日常ではないことで、李の木の下という想定はこれも日常的ではありません。

現在であればコンプライアンスの一言で済ませているのかもしれません。

前出の本で解説されていることわざに『従僕に英雄なし』があり、私は初めて聞くことわざでした。 世間で英雄と評価される人に身近に仕えたものはその英雄が凡人に見えるという意味だそうです。

著者の解説でことわざは、経験値を言葉で言い表したもので有益であると評価されています。 『従僕に英雄なし』も世間で有名な経営者の直属の部下に言わせれば大した人ではないことになるかもしれません。

私自身はそれこそ世間で英雄扱いされることはありませんが、事業に失敗した人から事業成功の秘訣を聞かれたことがあります。 私は『運が良かった、特に人に恵まれた』というとその人は大変納得され、『世間で成功した人は皆そのように答えます』と言われました。 私も事業で成功した経営者の本を読んでいて、運の良さを成功の秘訣として書かれていたり、内容から運の良い人と思う記述に何度もお目にかかります。

運が良い人がいると仮定すれば、運の悪い人もいることになります。 採用面接をしていて、そういう人にお目にかかります。 本人が『私は運の無い人間です』とは言わないまでも職歴が多く、勤めた会社の倒産が転職の理由の殆どと言う場合、運に恵まれないのかと思います。

履歴書記載事項にそういったものがなくても初めに顔を合わした時、少し話した時、脈絡もなく不運の言葉をイメージしてしまう方がおられます。 理屈でなく感じてしまう、同じようなことは何ともある、こういった事象は科学的ではないにしろことわざなり経験値として心に留め置くのは役立つことのように思います。

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[価値観]

[生活]

人生の目標

私は日常生活において毎週目標を設定しています。 たとえば今週はこの仕事を仕上げるとか、掃除は何回するとか、筋トレ何時間などです。

この目標は一年ぐらい続けていて、以前は今週出来たことを週単位でメモにしていました。

目標設定するようになってから違和感を覚えるようになりました。 『そもそも目標は結果を示すもの』という疑問です。 筋トレを毎週何時間もするのはその先に肉体美を整えるとか、ですが肉体美を整えるという目標は設定したことがありません。 むしろ60歳を過ぎて体力に自信を無くし、何とかしようと考えたからで、その前に無呼吸に陥って体重を減らす、食事を改善して筋トレをすると繋がっています。

無呼吸を改善する、そのために体重を何キロに落とす、最終目標からどんどんプロセスや方法に落とし込んでしまったために目標設定に違和感を感じたわけです。

そこでいったい自分はどうしたいのか、を考えました。 会社にも私より年上の方がおられ、皆大変お元気なのですが、それとなく聞いてみました。

所得の面で働かなくてもよい人も多く、責任や拘束の軽い仕事を比較的低収入でやっておられます。 体も元気、頭もしっかりしている、能力も高い、しかし余生を遊んで暮らしていては社会との関係が薄れ、人生に充実感がないので働く意義に価値を見出しておられるように思いました。

私の場合、定年がなく、オーナー企業の代表ですから辞めろと言う人もいません。 しかし企業の代表としての職務を全うしたいと思うのは当然で、そのために健康でいる必要もあるし、向上心をもって仕事に取り組まなくては立場に立っているだけになります。

仕事は事業全般を監視し、決定を下し、成果を生むことにありますが職員に相談できないことも多くあります。 ある人にそのことを遠回しに言ったら「そんなことは立場・個人の問題で立ち入ることはできない」と一蹴されました。

多くの決断をなし、時間の経過とともに結果が出て、『あの決定が間違っていた、自分のミスだ』と嘆くことは多くあります。 うまく行って当たり前、失敗したことは忘れられません。 手を抜いていたわけではないけれどミスジャッジはいつまでも心に残ります。

このように結果にとらわれ、嘆き苦しんでも生産的でなく、また失敗した決断が次に役立つとは限りません。 周囲が賛成しようが反対しようが自らの感性を研ぎ澄まし、毅然と判断する、それができるよう常に自分を磨いておくことが必要になってきます。

別にガンコになろうと言っているわけではなく、常にベストコンディションで決断する、それが良い結果を生まなくても結果は結果と割り切ることだと思いました。

だから日々の目標設定も日々の精進として結果を目標にしない、良い結果を生むプロセスに注力しようと結論付けました。 もちろん結果を想定しないわけではありません。 結果にとらわれて個々の決定をくださない、常に健全でよい判断をすれば結果はある程度ついてくると考えるようになりました。

かつて女子テニスプレーヤーのグラフ選手はサーブの時に何を考えているかと聞かれて『トスをこの高さに上げスピンをかけセンター奥に落としてバウンドさせ、浮いてしまったリターンを相手バックにフラットで打ち込む』といったプレーを頭の中で映像として描き、その通りプレーすると言っていました。 このセットを6対2でとるとかは言いません。

同じように健康を維持して健全な判断ができるようにする、そのように考えて腹筋をすればより健康につながるように思います。

結果は重要ですが、結果を目標にすることは上手く行かない気がしました。

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